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2017年8月12日 (土)

倭人伝「長大」論 総決算 2 曹丕用例批判 2-1

                             2017/08/12

 *当記事は、前項記事とは別に書き綴ったので、重複している点が多いが、編集を省いて両立させるので、ご容赦頂きたい。

 倭人伝における「長大」の解釈については、後記する古田氏の提言が強固な論拠で語られていると解して、支持している諸兄が多いようである。もっとも、すでに、「強力な老女王の支配する古代王国」という仮想世界、一大浪漫を構築している論者は、このような主張は無視するしかないと思うのである。

 と言うことで、ここでは、冷静に「曹丕用例」批判を展開するものである。

*三国志 呉書七 諸葛瑾伝
 逮丕繼業,年已長大,承操之後,以恩情加之,用能感義。今叡幼弱,隨人東西,此曹等輩,必當因此弄巧行態,阿黨比周,各助所附。

 文脈を点検すると、この記事は、「呉書」記事であり、かつ、地の文ではなく、東呉皇帝孫権が、重臣諸葛瑾(蜀漢宰相諸葛亮の実兄)に対して、曹操、曹丕、曹叡の皇帝三代それぞれの事跡、資質を酷評し、魏朝皇帝曹丕没後の魏国内情勢について意見を求めた発言の引用である。

 発言の趣旨を読み取るとするなら、(孫権の親の世代である「老賊」曹操の後に続いた孫権と同世代の)「曹丕は、曹操を継いで即位したとき既に長大、つまり、立派な成人であり、(継嗣時代に学んだ)曹操の統御を引き継ぎつつ恩義を施して国を保ったが、僅か七年で早世し、曹叡は幼弱で補佐役に万事を頼っていて、国政の混乱を招いている」と言ったということである。

 裴松之評では、ここに示された孫権の魏国皇帝「幼弱」観は過大であるが、後の歴史の流れを見ると、曹叡は親政したが、後の少帝曹芳は、幼弱で皇帝としての統率力を持たず司馬氏の専横を招いたところから、孫権の見解は、深いところで正鵠を射ていたという趣旨のようであり、呉書諸葛瑾伝に採用されたのではないかと見ている。

 史実を確認すると、曹魏初代皇帝曹丕は、東呉創業者孫権とほぼ同年であったが早世したので、後継曹叡は、孫権の見るところ幼く頼りなく見えたのだろう。しかし、曹叡は、皇帝となったとき実年齢で二十歳を過ぎていて、幼弱というのは的外れである。

 振り返ってみると、曹丕の「年長大」も、意図して若年と揶揄していて同様に的外れとみられる。

続く

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