倭人伝「長大」論 総決算 2 曹丕用例批判 2-2
2017/08/12
つまり、当用例は、東呉皇帝孫権が敵国魏朝皇帝を評するのに、言葉の通常の意味を外れて、それぞれ若年、未熟としたものであり、言葉の本来の意味を知る用例として相応しくないことになる。
いや、この判断は十分な論証を欠いていて、一読者の憶測に過ぎないかも知れない。
この用例を除けば、三国志ないしは同時代史料の「長大」用例で、三十代対象のものは無いに等しい。
*余談
明帝曹叡は、在位十三年、三〇代半ばで早世し、十歳に満たない少帝曹芳が即位したのである。
言葉の本来の意味で言うと、曹叡は即位時「已に年長大」(二十代になったばかり)、曹芳は即位時「幼弱」となり、孫権の発言は、皇帝を一代ずらせば、正鵠を得ていたことになるが、それでは、諸葛瑾の健在な期間を外れるので、あるいは、「呉書」編纂時の不手際で、諸葛瑾の継嗣諸葛格への諮問が、誤伝されたのかも知れない。
いずれにしろ、「呉書」を記録した孫権政権史官にしたら、痛快な曹魏批判なので残ったのだろう。
いや、この余談は、一読者の憶測である。
この項終わり
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