倭人伝「長大」論 総決算 4 資料編 3
四.三国志 蜀書十一 張裔伝:筑摩書房正史三国志による
少與犍為楊恭友善,恭早死,遺孤未數歲,裔迎留,與分屋而居,事恭母如母。
恭之子息長大,為之娶婦,買田宅產業,使立門戶。
張裔は、友人楊恭が、数歳にもならない幼子を残して早死にした際に、遺族を別に設けた家に迎え、楊恭の母に対して、自分の母に対するように事えた。恭の遺児が長じたとき、彼のために妻を迎え、耕地と家業を整えて身の立つようにした。長じたとき、つまり「長大」の年齢は確かではないが、成人になってまもなく、つまり、数えで十八歳前後と思われる。
五.三国志 呉書七 諸葛瑾伝:筑摩書房正史三国志による
逮丕繼業,年已長大,承操之後,以恩情加之,用能感義。今叡幼弱,隨人東西,此曹等輩,必當因此弄巧行態,阿黨比周,各助所附。
ここは、諸葛瑾が、新魏帝曹叡を前帝曹丕と比較して、「曹丕は、曹操を継いで即位したとき既に長大、つまり、立派な成人であり、(継嗣時代に学んだ)曹操の統御を引き継ぎつつ恩義を施して、国を保ったが、曹叡は幼弱で補佐役に万事を頼っている」と言ったということである。
*曹丕は、東呉創業者孫権とほぼ同年であった。
諸葛瑾が見るところ、早世した曹丕の後継者曹叡は、君主孫権と比較して幼く、頼りなく見えたので「幼弱」とされたのであろうが、実際は、青年だった。
つまり、当用例は、かなりいい加減な言い草を採録したものであり、「幼帝」、実は青年である曹叡と比較して年長の意味のようである。曹丕は、一人前以上の三十四歳の青年皇帝であった。と言うように、諸葛瑾と孫権の真意は、読み取りがたい。
同時代用例で「三十四歳」は希(ほぼ絶無)である。
六.三国志 魏志東夷伝 高句麗伝:筑摩書房「正史三国志」による
高句麗在遼東之東千里,(中略) 其俗作婚姻,言語已定,女家作小屋於大屋後,名壻屋,壻暮至女家戶外,自名跪拜,乞得就女宿,如是者再三,女父母乃聽使就小屋中宿,傍頓錢帛,至生子已長大,乃將婦歸家。
高句麗の婚姻事情である。約束が固まると、女性の家では婿屋と呼ばれる離れを建て、婿になる男性がやってきて、女性の親の許しを得て同棲する。子供が生まれ、大きく育つと、婿は妻を連れて自家に帰る。
*古代の高句麗は、中国本土と風土も民俗も随分異なり、子供が何歳になったときに「長大」として、婿が自家に帰るか不明だが、このような同棲期間は、十五年を越えるとは思えない。一方、この同棲期間に蓄財するから短期間とも言えまい。
東夷傳記事であるから、倭人伝の「長大」と共通した語義を踏まえているようにも思うのである。
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