倭人伝「長大」論 総決算 4 資料編 4
七.晉書 愍懷太子伝
愍懷太子遹,字熙祖,惠帝長子也。謝才人所生,少而聰慧,惠帝即位,立為皇太子,年轉長大而不好學,喜與左右嬉戲,不能尊敬保傅,敬狎賓友,賈后素忌太子有佳譽
(私訳)愍懷太子遹は、恵帝の長子、唯一の男子であった。生母は謝才人であった。子供の時は、賢いと評判であり、父恵帝の即位後、皇太子に立てられたが、賈皇后と不和であり、成人となってから(年転長大)学問を好まず、取り巻きと悪ふざけばかりで、尊敬を失っていった。
並兒長大,訟常。掾史議,皆曰:「孫並兒遭餓,賴常升合,長大成人,而更爭訟,非順遜也。」
意獨曰:「常身為父遺,當撫孤弱,是人道正義;而稍以升合,券取其田,懷挾姦路,貪利忘義。並妻子雖以田與常,困迫之至,非私家也。請奪常田,畀並妻子。」眾議為允。
(私訳)後漢の鐘離意が会稽郡北部の督郵であった時、烏程県に孫常と言う名の(成人)男子がいて、弟の並とともに、それぞれ十頃の耕作地を得て分居していた。(同居はしていなかった)
孫並が死んだ後、不作の年に、孫常は、弟孫並の妻子に多少の米穀類を与えたが、その後、直作券(地券)を操作して、孫並の遺した耕作地を奪ってしまった。
並の子は年長ずるに及んで孫常を告訴した。掾史の議に皆は言った。
「孫並の子は、餓えた時に伯父孫常に穀物の世話になったのに、年長じて成人になって、伯父を訴訟するのは、不遜ではないか」
「孫常が、弟の残した妻子(寡婦と遺児)を飢えから救ったのは、人の道、正義にしたがったものであるが、弟の残した土地を地券を操作して我が物にしたのは許しがたい。土地を妻子の元に返させるものである。」
衆議はそのようになった。
*ここでは、読者が「長大」の語彙を読み取り損ねないように、世人の発言として、「長大成人」と同意語を重ねている。どうやら、「長大」という言葉は、日常の言葉としては、次第に廃れつつあったようである。
当方は、通典記事には、編纂時点の時代観、歴史観が反映しているようなので、必ずしも、原史料の言葉遣いが、忠実に収録されているとは見ないのである。とは言え、後漢代の判例を収録したのであるから、言葉遣いの大要は変わっていないと見える。
いずれにしろ、当時、土地耕作の権利は、父親から息子に伝えられるものであるから、本来、継嗣が取得すべきであるが、それでは、後家さんと子供では、与えられた土地の耕作できず、収穫の貢納ができないから、権利を剥奪されかねないところ、伯父が土地を預かって耕作し、収穫を分け与えたとのことである。その限り、特に不当ではないようだ。
問題になったのは、継嗣が成人して、自立して耕作できるようになっても、土地の権利を帰さなかったので、不当だと言っているのである。土地を預かっている間、伯父は、母子に代わって人手をかけたとは言え、得られた収穫のかなりの部分を我が物にしていたと思われるから、特に謝礼に及ばないと見たものだろう。雇い人扱いでは、妻帯は覚束ないと見たのであろうか。
国家の役目は、人々の諍いを和解させることにあり、関係者の言い分を聞き取った上で、掾史が審議し、告訴は却下されかけたが、督郵の地位にあった鐘離意が、告訴を指示する裁定を下し、掾史が参道したということである。その際、過去の判例として参照する目的で、各地から多数の「決断」が集積されていたということである。
本件は、刑法とは言え、今日で言えば、民事のように見える。
用例評価という事で言うと、此の際の「長大成人」は、まずは、二十歳程度であろうと思われるのである。
以上
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