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2017年9月

2017年9月30日 (土)

今日の躓き石 あおられた「リベンジ失言」 野球放送のずさんさ

                           2017/09/30
 本日の題材は、BS/CSの伝統の一戦中継である。ここでは、民放の乱れた言葉遣いは、一々言ってられないから回避しているのだが、今回は、ちょっとひどいので、ここに書き残すことにした。

 大体が、解説者の頭のねじが外れているのか、とんでもない失言が飛びだしたのである。危険球頭部直撃に対して、あれで危険球ではピッチャーが「かわいそう」だとか、「頭の近く」に当たったとか、迷言を連発するのである。、往年の名選手も、台無しである。

 言うまでもなく、投球はこめかみのあたりでヘルメットを叩いているから危険球なのである。審判の判断に間違いはない。「頭の近く」というのは、肩口のことなのだろうが、画面にはっきり見えているのに、見間違いするとは、視覚障害でも起こし掛けているのだろうか。

 かわいそうというのも、身びいきで、かえって、ずさんなのである。プロ選手が、放送の場で哀れまれるというのは、まことに情けないのではないか。

 素人目にも、別に、外角を狙ったボールが頭に行ったのではなく、送りバントしにくくするために、威嚇をかねて胸元あたりを狙った球が、「ちょっと外れた」だけである。いわば、覚悟の暴投なので、冷静に見るべきである。

 こうした胸元狙いは、最近、バントの場面で何度か見かけた投球なので、日本のプロ野球も、MLBに染まったかと思ったのである。

 以上は、単に、解説者がお粗末な失言をして、アナウンサーがたしなめなかったと言うだけであるから、良くあることなのだろう。

 問題は、敵の先発投手が、今回の登板は前回の失敗に対する「リベンジ」だと失言したのを、言葉の意義を理解していないアナウンサーが、『「やり返す」、「リベンジ」、それしか無い』と言っていたと、何度も何度も繰り返していたことである。恥をかかしたのだろうかと邪推するほどである。

 選手は、普段、この言葉が悪いとの禁句教育を受けていないから、お構いなしに平気で使うのだろうが、プロたるアナウンサーが、この手の失言を拡大再生産するのは、なさけないと思うのである。

 選手がやり返すというのは、別に仕返しして、痛い目に遭わせてやる...などの趣旨ではないから、ことさら悪意を拡大して、「リベンジ」などと言ってはならないのである。

 それにしても、総体として、実況放送と言っても、大半は想定の範囲なのであるが、それにしては、つまらない言い間違いは多いし、民間放送のアナウンサーは、日頃、どんな勉強をしているのかと思うのである。
以上

今日の躓き石 ここにも「ムーディ」病が蔓延か

                        2017/09/30
 今回の題材は、商用サイトの記事である。

 最近、死語となりかけていた、悪質な(もっともらしい)誤用カタカナ語「ムーディ」の別サイトへの登場に呆れて批判したが、ここにも、同様の症状が現れている。

 記事冒頭に以下の注釈があるので、タイトルの用語は、「編集部」の責任である。
 いや、このサイトで記事として公開されている以上、記事の責任は「編集部」にある、とするのは、当然とは言え、プロとしていさぎよいことである。

 なお、Webページ化にあたり一部を編集・再構成しています。(デジカメ Watch編集部)

 折角、メディア関係者が、悪質な誤用カタカナ語の使用を控えて、世間から忘れられるのを待っているのに、無頓着な筆者が蒸し返し、サイト編集者が止めないものだから、また、害毒が広がってしまうのは、何とも、情けないものである。

 原因が、伝統的に特定業界に特有の乱暴な用語にあるとしても、それを、一般に広くまき散らすのは、勘弁して頂きたい。

 関係者の自覚を促したいものである。

以上

2017年9月27日 (水)

今日の躓き石 無慈悲な四字略語「犯給制度」

                             2017/09/27
 今回の題材は、毎日新聞大阪朝刊第13版、オピニオン面の「記者の目」で、そのタイトルに、一瞬憤然としたものだが、よく考えるまでもなく、これは、毎日新聞の造語ではないので、このような無慈悲な言葉が三十六年間にわたり跋扈していたのは、毎日新聞の責任ではない。

犯給制度 肉親犯罪の遺児を救済

 よく考えてほしいのだが、「犯給制度」というのは、もともとの言葉の本質と言うか大事な部分をを捨てて略語にしている。言わば、不出来極まる造語であり、一国民として、一日も早く改善されることを望むものである。

 つまり、略語の構成文字として意味のない「制度」に二文字を費やし、一方、事の本質を示す「被害」が抜け落ちている。悪意で取ると、犯罪に給付するという趣旨なのかと思うのである。それとも、このような制度名称は、略語の字面で趣旨を誤解しても良いという意図なのだろうか。

 私見では、「犯被給制」とした方がだいぶましである。意味がわからないが、少なくとも、「被害」の「被」が光っていると自賛する。

 それより肝心なのは、なぜ、制度略称を漢字四文字に限定するのかということである。太古以来の官僚制度で、四文字略語とする伝統があるのであれば、この際、陋習を廃して、せめて六文字に改訂すべきだろう。

 そういう意味で、天下の毎日新聞が、「犯給制度」と言う名付けに対して、特に異論を唱えていないように見えるのは、何とももったいない話である。
 官僚が言葉に無神経でも、新聞は、十分以上に神経を使って欲しいのである。

以上

2017年9月21日 (木)

今日の躓き石 死語の復活か? 「ムーディ」徘徊

                     2017/09/21
 今回の題材は、下記サイトの記事タイトルである。
  ギター・マガジンが本気で教える こだわりの愛器撮影テクニック
 第3回:カッコよくムーディにギターの魅力を引き出す

 前々から感じているのだが、このサイトは、言葉遣いのチェック、つまり、校閲に当たる機能がないらしく、人前で口にできないような性的な言葉や誤解で生じたカタカナ言葉が、でんとタイトルに座っていて、しかも、誰も、抗議しいないらしくて、長々とさらし者になる体質を維持しているのである。
 立派な商業サイトが、こうして素人のブログに酷評されるとは、悲しいものである。

 今回出てきたのは、とうの昔に死に絶えたと思っていた「ムーディ」というカタカナ語である。心ある人たちが、使うのを避けて、死語の自然消滅を待っているのに、これでは台無しである。

 何がどうなのか、ネットでちょっと調べればわかるのだが、元になったと思われる英語の意味は、決してほめ言葉ではないのである。だから、この記事は、紹介されているひと/ものに、どっぷりと泥を塗りつけているのである。
 このような不手際な著者の書いた記事には、とても寄りつきたくない。門前払いと言うべきか。
 本当に、悲しいことである。

 記事の筆者が、この辺の事情を知らないでいたとしても、使い慣れないカタカナ語を使う際の常識で、ちょっとネットで検索すれば、罰当たりな言葉であると気づいたはずであるから、うろ覚えで書いたものなのだろう。あるいは、当の業界は、百年一日のごとく、いい加減な言葉遣いで世間に迷惑をかけ続けているのだろうか。

 額の多少はともかくとして、いい加減なうろ覚えで記事を書いても、原稿料が入るのは、結構だと言うべきか。

以上

2017年9月17日 (日)

今日の躓き石 ベートーヴェン第九歌詞の無粋な字幕

                           2017/09/17
 今回の題材は、ベートーベン第九交響曲の歌詞の無粋な翻訳である。
 と言っても、誰がどうかと言うことではない。ほぼ、全部がそう訳されているのであるから、定訳というしかないのであるが、いくら定説であっても、異論を唱えるのである。
 いや、この点は、当ブログで一度書いた気もするのだが、趣旨が伝わらなければ、また書くのである。

 衆知の如く、件の字幕は、ここで歌われていた、ドイツ語で書かれたシラーの詩"Seid umschlungen Millionen"の日本語訳であり、大要として、「いだき合え幾百万の人々よ」と言う呼びかけである事に違いはないが、それでは、詩の本来の趣旨に即した翻訳にならないのてある。

 シラーは、全世界とか、あらゆる人々とか、当時知られていた全世界に呼びかけて書いているのに、日本語訳では、呼びかけの対象は、百万人の一桁整数倍であり、つまり、東京都人口に遠く及ばない、むしろ少数の人々であるかのような印象を与えているのである。

 大事なのは、millionは、確かに日本語では百万、つまり、1,000,000であり、シラーの詩では複数形であるにしても、日本語では百万から九百万までであるかのように見えてしまう。
 しかし、英語で言えば、10,000,000は、依然としてten million(10百万)でmillionの範囲であって、これは日本語の言い方にはないのである。この言い方は、100,000,000(100百万)の位、つまり、億まで続き、10億で始めてbillionとなる。
 すこしもどって、9億9千万まででmillionの領域なのである。

 少なくとも、シラーは、世界に数千万の人々がいることはわかっていたから、日本語訳は、何とかして、その主旨が伝わるように書くべきではないだろうか。

 つまり、シラーの趣旨に従い、百万というのを止めて、無数の人々よとか、全世界の人々よ、とかに言い換えるのが、正しい翻訳ではないだろうか。単語としては、違うが、詩の趣旨としては、そう言い換えるしかないように思う。

 最初気づいてから、かなりの歳月が過ぎたが、同感してくれる人が見当たらないので、蒸し返しているのである。

以上

2017年9月16日 (土)

今日の躓き石 The companyの話 ミス・マープルシリーズ 字幕の誤訳

                                  2017/09/16
 今回の題材は、随分以前から出回っている名作ミステリーの字幕の誤訳の話である。

 アガサ・クリスティー原作のミス・マープルシリーズのジョーン・ヒクソン版パディントン発4時50分(4.50 from Paddington (1987))である。
 下にも書いたように、随分以前にNHKで初回放送された英国BBC制作の傑作ドラマである。近年制作されたリメーク版が霞んでしまう不朽の名作である。今回は、AXN ミステリーチャンネルから放送されている。NHKも、リメーク版同様に再放送して欲しいものである。

 さて、被害者女性の所属していたFrench Touring Companyが、字幕では「旅行会社」となっていたが、ここで言うTouring Companyは旅行者などではなく旅一座である。フランス国内を小屋がけ興行して回るロシア風のバレエ一座の踊り子という設定である。

 こうした旅芸人の一座を、英国語でCompanyと呼ぶのは、元々、旅興行のご一行様という意味であろう。いや、companyは、元々、一緒にいる人たちという意味なのである。

 余談であるが、世界に冠たるアメリカニューヨークのメトロポリタン歌劇場は、The Metropolitan Opera Companyと呼ばれていた(いまでもそうかな)が、やはり、年間に何度か国内各地を巡業していたようである。  

 更なる余談である。
 それにしても、最近、リマスター版としてシリーズ全体が再放送されているが、最初(大昔に)NHKで見たときに比べて、ずいぶん、色調が改善され、最近制作と言われて、ワイド画面でないのと字幕の文字が大きいので、リマスター版だと気づく程度である。原版のフィルムからやり直したのだろう、映画撮影と同等のフィルム使用、照明、衣装など、丁寧な演出が光っている。さすがに、BBS(英国国営放送)制作である。

 今回のリマスター版で感心したのは、カットされていた部分が復活している点である。
 ミス・マープの依頼で家政婦としてお屋敷に入り込んだ女性が、手始めに、台所のゴタゴタを大整理し、沢山の食器を洗って磨き上げて、戸棚に整然と並べるところ、そして、夜になって、滞在している男性の靴が廊下に出ているのを磨いて返しておくところが、少なくとも、字幕版ではカットされていたのである。
 この部分は、大変短いシーケンスであるが、家政婦の初仕事として大変な手間を尽くした翌朝、伸び伸びとゴルフの練習をしているから、なるほど、骨身を惜しまないという自称通りの家政婦だとして、一気に信用を得たのだと思うのであり、この部分がないと、(画面に出ないが、朝食をりっ゜ぱにこなしたものの、画面上では)いきなりゴルフ練習したことになり、ウソっぽくなるのである。
 大した物である。
 他にも、本作の各所には、味わい深い演出が施されていて、何度見ても、新発見がある。

 NHKの時間枠に合わせたのだろうが、省略したシーケンスで、実際の膨大な手間を推測させた演出の苦労はだいなしであった。

以上

今日の躓き石 NHKも気づかないcombineの話

                                 2017/09/16
 今回の題材は、中高生英語の範囲である。別に天下の一大事ではない。軽い話題である。
 何週か前のNHK Eテレのコンサートの後で送られてくる「コンサートプラス」の話である。

 インタビューされていた中国系新進ピアニストが、演奏したいくつかの耳慣れない曲は、いくつかの要素をcombineしていると言っていたが、これは、英米人でもしょっちゅう間違えるから、特にどうこう言うのではないが、大変ありふれているが、はっきりした言葉の誤用である。

 combineは、二つの要素を組み合わせるときに限定される。combineと言う言葉が、はっきりと、二つを合わせるという意味だからである。三つ以上の要素が混ぜ合わされるのは、mixと言わなければならない。英語も、きっちりしているときはきっちりしていて、知らないのは、不勉強ということである。
 いや、まさか、二種類の要素しか付け加えていないという趣旨ではないと思うから、誤用だと言っているのである。

 それにしても、今回に限らないが、中国系の人の名前がカタカナしか出てこないのは、困ったことだと思う。誰もが、親が一生懸命選んでくれた漢字の名前を持っている筈である。カタカナ表示は、ずいぶんもったいない、とんでもない親不孝と思うのである。言うまでもないが、カタカナ表示から、元の漢字を特定するのは、不可能である。

 特にどうと言うことのない話であるが、NHK関係者の中に、一人くらいは、以上の趣旨がわかる人がいて欲しいものである。

以上

2017年9月14日 (木)

今日の躓き石 サッカー界の不出来な談話「メンタル」頼り 続報

                  2017/09/13
 今回の題材は、毎日新聞大阪朝刊第13版スポーツ面のサッカー記事である。

 前回記事で、『アジアCL準々決勝第二試合の前評判記事なのだが、第一戦アウェーで1-3と敗れて、素人目にもかなり不利な状態におかれた監督の談話だから、調子の良いことを言いにくいのはわかるのだが、「サッカーは何が起きるかわからない。メンタルが大事」とある。』と書いて、 「サッカーは何が起きるかわからない。」と言うのが、神がかりだよりで、技術も作戦もない、お粗末な談話だと書いた。
 「メンタル」は、意味不明な片言であり、発言者の同業者の一部にしか通じない、意味不明な言葉である

 今回は、試合後の時点である。
 試合の結果は、ドラマにも珍しい、絵に描いたような逆転劇であり、発言者の願いが、めでたくかなったようである。

 ただし、素人の経験でも、このような逆転は数少ないとは言え、時に見られる現象であり、主として、試合開始時に有利だったチーム全体の動揺が抑えられなかった、不利な流れを冷静に食い止めることができなかったことになる。

 言うならば、敗者が語っているように、二試合総合で、まだはっきり勝っているのに、最低限の失点に止めるように守りの態勢の崩れを立て直す策が、選手達に思い浮かばなかったことになる。
 サッカーはメンタルスポーツというのかどうか知らないが、急追されたときの気持ちの整え方ができていなかった、そして、そのようなときのフォーメーションの組み立て、各選手の役割分担の切り替えという、作戦面の用意がでてきいなかったそれぞれのメンタル面の備えができていなかったということである。まさか、ゲームの流れが悪くなったときに、怖じ気づいたとか言う低レベルの問題ではないだろう。

 とは言え、勝者は勝者である。「諦めない」不屈の闘志と勝ちが見えたときにたたみかける勝ち味の速さが、素人目にも、相手のひるみを見逃さなかった「勝因」と思うのだが、監督が、そうした面を掘り下げて説き聞かせてくれず、毎度毎度「メンタル」なる隠れ穴に逃げ込んでしまうのは、国際基準から見ても、何とも、お粗末である。
 
選手の内面の充実を具体的に賞賛なするのでもなく、また、一般人に、わかりやすく伝えようとするものでもないのは、さびしい。

 一度、監督自身、死ぬ気になって「メンタル」を禁句にしてみたらどうだろう。
 言うならば、口になじんでいる片言の「幼児語」に毎度毎度逃げ込んでいては、社会人としての言葉遣いの成長はないのである。

 それにしても、記者は、なぜ、『監督の言う「メンタル」ってなんなんですか』と聞かないのだろうか業界通念として略語は慎む、つまり、言い換えることになっているはずなのだが、サッカー担当記者が、こぞって報道の義務を果たさないのは、何か職業病としての「メンタルブロック」でもあるのだろうか。

以上

2017年9月13日 (水)

今日の躓き石 サッカー界の不出来な談話「メンタル」頼り

                            2017/09/13
 今回の題材は、毎日新聞大阪朝刊第13版スポーツ面のサッカー記事である。

 アジアCL準々決勝第二試合の前評判記事なのだが、第一戦アウェーで1-3と敗れて、素人目にもかなり不利な状態におかれた監督の談話だから、調子の良いことを言いにくいのはわかるのだが、「サッカーは何が起きるかわからない。メンタルが大事」とある。

 これでは、談話になっていない片言であり、それを淡々と報道する担当記者の意図も測りがたい。「何が起きるかわからない」とは、神がかり頼みなのだろうか。
 そもそも、実人生は、何が起きるかわからないのであり、どんなスポーツでも、大逆転は、一応あり得ることである。

 続いて口をついたのは、「メンタル」と片言であるから、ますます、監督の意図がわからない。
 お隣のプロ野球記事では、勝敗いずれの監督の談話も、一般読者に趣旨が伝わるように丁寧に語られているが、あるいは、広報担当の努力なのかも知れない。
 一方、一流のプロスポーツなのに、サッカーでは、素人には意味のとれない片言言葉の飛び交う監督談話しか聞けないのは、なぜなのだろうか。

 真意を推察したくても、「メンタル」に続く言葉が端折られているから、一段と意味がわからないのである。片言のこども言葉では、選手や同僚とのやりとりはともかく、世間一般とのコミュニケーションはできないと思う。

 仕方ないので、勝手に思いつきを書き散らすと、負けん気を保つ、と言う意味なのか、相手の出方を深く読んで、裏をかいていくという意味なのか、勝つに決まっている、と楽観すると言う意味なのか、何を考えろと指示しているのか、監督の意図が読者に伝わらないのでは記事に意味が無い。

 記者は、監督談話にあきらめていないと付け足して、要は、試合が終わるまでは諦めない、との端的な意味と理解したのだろうが、そうなら、なぜ、聞き返さなかったのだろうか。そうした地道な取材が、報道の基本だと思うのである。

 付け足すように、戦力確認とかで字数を稼いでいるが、2点、3点の点差を付けて勝つしかない状況で、一段と攻撃的なプレーをするのは当たり前であり、持ち味発揮も何もあったものではない。そうした、当たり前のことを書くために、監督談話を端折ったのだろうか。
 それにしても、両者合わせて、プロとして、ファンにこころざしを詳しく伝える努力が欠けているのではないか。

 と言うものの、相手の監督も大した意味のあることを語っていない。「シンプルに勝ちを目指して戦う」と、むしろ淡々と語っていて、そりゃ、油断せずに、普通に勝ちに行くだけで良いのだから、そういうものだろう。まして、相手はJリーグでよくわかっているから、各選手に気負いも油断もないだろう。有利な側として、当然である。

以上

今日の躓き石 「友好的」なプロ野球風景 NHKBSにも蔓延

                              2017/09/13
 今日の題材は、昨日のNHK BSのプロ野球中継である。

 いや、確かに、最近のプロ野球の試合風景は「友好的」である。
 一塁に出た走者が、一塁手と談笑しているさまが当たり前になっている。

 NHKではさほどではないが、民間放送の中継では、選手の同窓関係、先輩後輩の関係がしきりに語られていて、まるで、同窓会名簿の披露のようになっていることがある。まことにも和やかなものであり、また、先輩後輩の支配関係が生きていそうでもある。プロ野球は、文化として、大衆化したと言うことだろうか。

 このような風潮は、プロとしての倫理に反するものと思うのだが、誰も表だってたしなめないものだから、ついつい書きすぎてしまったかも知れない。

 そんななか、NHKで聞きたくない「友好的」という言葉が出てきた。
 いや、どうも、元プロは、『「有効」的』と言ったらしいのだが、そんな日本語はないので、つい、「友好的」と聞いてしまったのである。
 元プロというものの、燦然たる現役生活を過ごし、指導者としても令名をはせている、いわば超一流の方であり、だから、NHK BSの解説者として招かれているはずだ。
 ところが、言葉遣いについて、まるで、社会人として未熟な、現役上がりの見習い解説者のようなつまらない言い草を抱えているのは、何とも、もったいないことであった。
 これまでのキャリアを通じて、誰も言い間違いを正してくれなかったのが、気の毒と言うべきか。
 もちろん、さすがのNHKアナも、放送上で即座に訂正を入れることができなかったようであるが、これでは、NHKが『「有効」的』を公認したようである。間違った言葉の拡散に手を貸すのは、公共放送として拭いがたい汚点である、と感じる。

 プレーで人の手本になる人、優れた指導者として知られている人は、一流の社会人として、その言葉と行いが、ことごとく若者の手本になると期待されているのである。それに恥じない生き方をして欲しいものである。

以上

2017年9月11日 (月)

今日の躓き石  NHKBSのMLB談義にボストン事件の暗い影

                                                       2017/09/11
 今回の題材は、やや旧聞であるが、9月6日NHKBS-1のWorld Sports MLBのMLB談義であった。
 コメンテーターが、気軽に「リベンジ」と言ったのは、どうも、聞き手の「リベンジ」に反応したようだが、立派な経歴と見識に尊敬の集まるかたにしては、不用意と言うべきと感じた。と言うものの、旅先で言い立てるほどには感じなかったのだが、その後、大変なコメントを聞いてしまった。
 旅先の見聞が関係していて、ちょっと遅くなったが、やはり言うべきことだと感じたので、書くことにした。

 いや、相方にもご当人にも、何も悪意はないのはわかっている。特に、今回の問題発言は、水害被災者を勇気づけるつもりと理解する。ただ、不用意に、ボストン事件を引き合いに出したのは、大変具合の悪い発言と思ったのである。

 発言の意図としては、今回の水害は「天災」で仕方ない。ボストン事件と同様に頑張りなさいと言うつもりのようなのだが、ずいぶん軽率と思う。
 ボストン事件は「テロ」であり、計画的な犯人がいて、故意に大きな被害をもたらしたものなのである。コメンテーターは、「リベンジ」テロも、水害も同列に感じているのかと思うが、「絶対に」一緒にしてはいけないものである。

 皆さん、「テロ」に無頓着だから平気で「リベンジ」と口にするのだろうが、復讐は毎回血を呼ぶものなのである。ちゃんと、世界には、憎悪と恐怖が渦巻いているという事態を認識して、くれぐれも不用意な発言は避けて欲しいものである。

 こんなことを言い立てるのは、旅先で人通りの多い通路を挟んで記念写真を撮って、長々と自画自賛している邪魔っ気な外国人(複数・中年以上)に行き詰まって困って、邪険に手で払いのけるわけにも行かず、右手を高めに挙げて、退いてくれと挨拶して、目の前に手を振ったのだが、これをナチ式敬礼だと逆ギレされて大変むかついた経験をしたのである。いや、言葉が通じても理屈が通じない相手に抗弁してもしょうが無いので、わからない・気づかないふりをしたのである。

 遠来で日本文化に無知な外国人が、日本にナチ式敬礼などないと知らないのは仕方ないとしても、世の中には、同様に、自分の行儀の悪いのは棚に上げて、万事自分の狭い了見に照らして善悪を決めつけて、感情的になる人も少なからずいるのである。

 してみると、場違いな場所での悪意のない発言でも、人によっては、字面だけ捉まえて憤激・激怒することがあると言うことなのである。
 誰かが、今回のコメンテーターの発言を、丁寧に、つまり正確に翻訳して報道したら、「テロ容認発言」と受け取られる可能性がある
、ということである。

 それにしても、スポーツ選手の日頃の会話に、こうしたたちの悪い、と受け止められかねない発言が、出回っているのは、少しでも減らした方が良いように思うのである。

以上

2017年9月 2日 (土)

今日の躓き石 「台湾まぜそば」の怪

                              2017/09/01
 今回の題材は、世間の噂話に引っかかっただけであり、特定の商売人の商売に拘わるので、或いは営業妨害になるかも知れないが、気づいた以上見過ごしにできないので、疑問を呈しておく。

 それは「台湾まぜそば」と言う商標である。いや、当事者は、商標登録したわけではないと言うだろうが、自店の料理の名前として売り出しているから、立派な商標である。

 また、台湾は国名ではないというかも知れないが、実質的に単なる地域名を越えたものであることは衆知と思う。そのような重みのある外国地名を勝手に商標に冠して使って良いのだろうかということである。

 それと半ば裏腹なのだが、台湾に、台湾まぜそばという料理があるのだろうかという疑問である。聞くところであるが、この料理のレシピは、日本の国産品であるらしい。つまり、「台湾」で知られている料理でないものに勝手に「台湾まぜそば」と銘打って売り出していることになる。それでいいのだろうか、と思うのである。

 また、台湾まぜそばを台湾の現地料理と理解した人たちが、現地の料理店で、台湾まぜそばを出せと注文するかも知れない。消費者に誤解を招くような料理名は、消費者に誤った知識を与えるのではないかと言うことである。

 前から後から、不安が湧いてくるのである。

 発案者は、半ば死語と化した「中華そば」なみの感覚で名付けたかも知れないが、時代が違うのである。せめて、台湾全体でなく、例えば、「台北」とか「高雄」とか、地域名を冠にしたら多少はましなのだが、それでも、冠にした地域から怒りが来そうである。相手は、世界で一番日本事情に詳しく、日本語に詳しい人たちなのである。

 と言うことで、大きな問題にならない内に手じまいしたらどうだろうか。「台湾風まぜそば」とでもしたら、改善の意識が現れるから、少しは緩和されるのだが、現在は断言調なので、非難されたときに逃げ隠れできないのである。

 以上、何か法律に違反していると断定しているわけではない。ずいぶん損するから、およしなさいと言っているだけである。

以上

今日の躓き石 「やり返したい」思いの正体?

                       2017/09/01
 本日の題材は、毎日新聞大阪第13版スポーツ面の「野球 U-18杯」の戦評に続く、主将に関する記事である。いや、主将が「リベンジ」だと吠えたのではないから、一連の記事に続く「リベンジ」ではない。ちょっとした疑問に駆られたのである。

 主将は、チーム内に微かに漂う油断、慢心を戒めた後、自身が前回大会で打撃不振だったことを回顧して、いわく「悔しさは相当ある。やり返したい」と誓ったそうである。記者は、その言葉に「苦い記憶を糧に」と帰したことに、並々ならぬ決意を感じたようである。(主将の立場で、誰に、何を誓ったのか、何を賭けたのかは聞かないことにする)
 してみると、ここで言う「やり返したい」と言うのは、特定の個人や特定のチームに復讐するという意味ではないようである。単に、新たな気持ちで再挑戦したい、と言う意味のようである。

 それなら、日本語として間違った表現であるし、記者も、意味を知っていて共感しているのなら、自分の責務に立ち返って、誰にでも誤解(?)無くその真意が伝わる言葉に言い直して欲しいものである。

 いや、今回は、新しい「リベンジ」は新しい「やり返したい」の反映でないか、と発見した点で、大変勉強になったのである。

 と言うことで、今回も、全てのツケを担当記者に持ち込むのである。

 一般読者の理解困難な言葉は、何か理解の手掛かりを示して欲しいのである。

 ここで言うとすれば、『「やり返したい」と言っても、誰かに復讐するぞ、と言う意味の不穏な意味ではない。単に、やり直したいとの意味である。』と書き足して欲しいのである。そして、主将には、その言い方では、みんなに誤解されるから、「やり返したい」と言わないように、と助言して欲しいものである。

 いや、いつの時代も、言葉は時代とともに変化するのであるが、今回は、新聞記者の知らないところで、普通の言葉が大きく変化している兆候を見た気がするのである。

以上

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