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2017年10月

2017年10月28日 (土)

今日の躓き石 「フォーシーム」 再度の絶賛

                               2016/03/19
 今回の題材は、小学館発行のコミック誌 ビッグコミック No. 1407に掲載された連載「フォーシーム」(サダヤス 圭)第109話「成立せぬ賭け」である。
 ここで取り上げるのは、一年半ぶりであるが、楽しい、と言うか、痛快なお話は続いている。そう、文句を言っているのではない。大絶賛しているのである。

 この話は、MLBで「快進撃」している日本人痛快クローザーの話であるが、毎回、何か波乱が生じないと、連載が続かないのであるが、ここでストーリーの展開についてとやかく言うものではない。話せば長いし、どうせ、簡単に要約できない、念入りに込み入ったお話である。

 敵役のチームGMが、オーナーのじいさまと二人きりで話し合う押し問答であり、当然、元々英語で書かれている想定の台詞で、「セットアップ」としっかり書かれているのである。

 作者は、しっかり取材した上で、こういう時、業界人は「Setup」と言うのだと確かめてカタカナ入り日本語にして書いているのである。

 野球用語のカタカナ語はかくあるべきである。久しぶりのスタンディングオーベーションで絶賛するところである。

 しかし、多分誰も、この作者のプロ魂に気づかないだろうな、と思ったので、またまた書き立てているのである。

 言うまでもないが、ここでは、「Setup」は、セットアップする奴という意味の名詞である。会話では、口調が動詞扱いの時と違うので意味が通じるのである。

*蛇足-余談
 それにしても、世の中には、言葉の拾い食いをする輩が多すぎる。せめて、水洗いして、匂いを嗅いでから食らいついて欲しいものである。
 そうでなければ、東南アジアのレストランで、食べこぼし掃除に飼っている猫のようなものである。食事していて、足元に何かいて、食べこぼしがあると駆け寄って飛びつくのは、知らなければ不気味である。

 いや、この悪態は、世間の並の(つまり最低の)アナウンサーや解説者のことである。ここで賞賛しているのは別格の存在なのである。

以上

2017年10月26日 (木)

今日の躓き石 「やさしい日本語」大賛成「ツーリズム」不満

                         2017/10/26
 本日の題材は、毎日新聞大阪夕刊第三版のトップ記事であるが、毎日新聞の言葉遣いをどうこう言うものではない。

 福岡県柳川市が始めた「やさしい日本語ツーリズム」事業の趣旨には大賛成なのだが、記事末に書かれた「やさしい日本語」のルールで、疑問を感じたのである。

 弘前大佐藤教授の研究グループが考案された内容の隅々まで書かれているわけではないので、少し及び腰になるのだが、少なくとも「カタカナ語」を使わないというルールは、書かれていないので、取りこぼされたのかと懸念するものである。

 その表れか「やさしい日本語ツーリズム」と観光客誘致のタイトルの末尾が、カタカナ語になっている。比較的、元になった正統派の英語の趣旨を素直に伝えている立派なカタカナ語と思うが、これは、「日本語」ではないので、文字通り、看板に偽りありである。

 できれば、他の自治体などの良い見本になれるように、看板を書き換えてほしいものである。(できないと言わないで欲しいものである) 

 事は、観光客の誘致に限ったことではないので、もう少し柔らかい、やさしい言葉にされたら良いと思うのである。
 ツーリズムは、呼び込む側には、地域おこしというものの、客寄せ目当ての経済効果狙いと見られかねないので、「おもてなし」とは言わないまでも、十分に意味の伝わっていない現代はやり言葉でなく、日本語で表現していだきたかったものである。
 自治体内で事業計画の旗を揚げるときは威勢が良いかもしれないが、「看板」としては、余り共感されないのではないか。

 いや、それでなくても日本語は難しいのに、もっと難しくする不届き者が多い中、正しい、いや、やさしい日本語を広く勧めて頂けるのは、大変ありがたいことなのだが、それだからこそ、もったいないと思うのである。

以上

2017年10月23日 (月)

「今どきの歴史」 第二回を巡って 7/7

        私の見立て★★★☆                2017/10/23

*地域は国家

 教授は、600メートル南の遺構とここが、当時としては、一地域を形成していたのではないかと思っているようだが、まことに妥当な話である。

 今日でも、地域は国家と同意語になることがある。

 当時、よろい武者は、地域の副将でなく大将であり、「地域」国家の上様とか殿様とかに相当していたはずである。

 いつの時代であろうと、600メートルは通勤可能範囲であり、別にアスリートでなくても、歩いて15分で着くであろう。水運は書かれていないが、古来、大抵の荷物は、背負って移動したものであるから、水運に乏しいのは大事件ではない。大体、奈良盆地内は水運に欠け、平安京も、長々と背負子の労で支えられていたのである。

 それはさておき、地域は、人の往き来、ものの往来は盛んであったろうから、国としての一体感はあったはずである。

 と言うことで、大筋は、慎重な教授のおっしゃるとおりである。

*愚行への戒め
 それにしても、決め文句の「日本のポンペイ」とは、本家を知らない無頓着なものにしか言えない軽薄な発言である。当人は、死ぬほど恥ずかしく思うべきである。

 ポンペイは、地中海世界に威勢を振るっていた共和制ローマなる超大国の富裕者の別荘、観光地であったから、発掘された遺跡には建物も、文字も、絵画も、彫刻も残っている。
 また、国都ローマの結構近くにあったこともあって、噴火埋没について、周囲からの観測記録も豊富に残っている。
 記録があるから、文化遺産なのである。

 火山災害が似ていると言うだけで、そのような名乗りはおこがましいのである。くれぐれも、世界に恥をさらさないことである。

 それを、「ますます似合っててきた」というのは、記者がものを知らないから言えることである。
 記者のおつむは、中のねじが外れているだけでなく、はめも外れているようである。裸で歩き回るのを、怖くも、恥ずかしくもないというのは、単に、感受性が、捨て去られているという事でしかない。

 記者の職業人としての評価は、私の見立て★ であるが、最低というものではない。下には、下があるのである。

                                                 完

「今どきの歴史」 第二回を巡って 6/7

        私の見立て★★★☆                2017/10/23

*単身移住の可能性

 もっとも、馬の成育と新天地への展開とは別に、本家たる北部九州から、直接、それこそ最東端のこの地に移住したとの推測は、一応可能だが、少なくとも、多くの馬を、数世代分の移住先を飛び越えて移動させることは不可能というものだろう。

*技術の担い手
 「技術」と簡単に言うが、この技術は一人歩きするものではないし、技術者が持って移動できるものでもない、馬と馬を育てる大地、即ち、牧草地が必要なのである。

 馬は連れて行けるが、無理なく連れて行ける範囲は限られる。

 牧草地は、誰かが偵察に行って、探すしかない。


 そして、馬飼は、多くのものが、手分けして、そして、ともに、途方もない力を尽くさなければならない。何か、安直な必勝法があって、それを読めば、だれでもできるものではない。

 以上、別に馬を飼い育てた経験はなく、まして、馬を引き連れて移動した経験もないから、全て、後世の素人の推量であるが、こうした着実な成り行きしか考えられないのである。

*地方社会の怪
 そこで、またまた、時代錯誤の言葉遣いが出て来るのだが、古墳時代の「地方社会」というのは、中央政権が集権的なものとして存在し、権威を届かせていたという仮定に基づくようである。

 しかし、当時の住民にとっては、ここが我がくにであり、よろい武者が我がきみだったのではないか。見たことも聞いたこともない、行ったという人もいないような無限の彼方のことなど、思いはしなかったであろう。

*未知の光景の怪
 その後に「未知の光景」などと時間空間錯誤の「たわごと」があるが、担当記者の独りよがりの幻視は「勝手」にして、まじめな読者に、「勝手」な妄想を押しつけないで欲しいものである。
 担当記者は、「眼前の光景」に陶酔しているかも知れないが、その光景は、当人の脳内のものであって眼前と錯覚していても、他人には一切見えないのである。
                                                未完

「今どきの歴史」 第二回を巡って 5/7

        私の見立て★★★☆                2017/10/23

*馬飼の技術移管
 続き
 言うまでもないが、当時南北に往来していたのは、甲板と船室がある帆船としてもまだまだ小振りであり、多数の馬を無事に運ぶのは、大変困難であったろうと思うのである。何しろ、馬は、誕生直後の一時を除けば、寝るときも含めて一生立ったままであり、天井の高い船室でなければならないのである。
 そのように、海峡越えの船でどのようにして敏感な馬たちをおとなしくさせたかは、当方の知るところではないが、相当に困難であったはずである。

 とは言え、それまで、動物としての馬は、何かの折に到来していたかも知れないが、飼い馬の技術はなかったのであろう。

 魏使倭人伝も、飼い馬、飼い牛を使役する姿は見かけなかったとしている。

 以上の背景から、ことの成り行きを察するに、三,四世紀の何れかの時期、多分船舶が大型化した時期に、専門家集団が少なからぬ数の馬とともに九州北部に渡来したものと思う。

*技術の緩やかな流れ
 幸い、到着した土地に馬の飼育に適した土地があって、一旦そこに定着し、子馬が育って所帯が大きくなったところで、東方に見つけていた馬の飼育に適した広大な土地に分家を造り、人と馬が移住したのだろう。

 そこから、時を経て次の土地に、そして次の土地にと、数回の分家を歴て、当地まで広がったことのように思えるのである。馬が二、三世代育つのを分家の目安とすると、20年から30年ごとの展開、つまり、人で言うと一世代ごとの展開のように思える。

 九州北部から、この地に至るまで、何度分家を繰り返したかは知るすべもないが、30年程度の四,五倍程度として、一世紀からひょっとして二世紀の月日が経ったのではないか。

 大きな仕掛けの伴う技術は、ゆっくり、ゆったりとしか伝わらないのである。

                                       未完

「今どきの歴史」 第二回を巡って 4/7

        私の見立て★★★☆                2017/10/23

*最先端技術の怪

 「今どきの」の触れ込みに相応しいのが「当時として最先端技術だった馬の生産」なる、まことにけったいな言い回しであるが、これは、記者の頭のねじが、何カ所かで外れているせいらしい。
 と言うことで、以下(記者の?)失言を肴に持論を展開させていただく。

*馬の生産という怪談
 「馬の生産」とは、当時クローン複製技術があったかと勘ぐりたくなる言い回しである。

 人と馬との関わり合いというと、家畜としての馬は生産するものでなく、飼い育てる、つまり、人に慣らし、苦役に耐えるよう訓練するものと思うのである。

*最先端技術という怪談
 また、ここで「最先端技術」とは、これまたけったいな言い方であり、当時の「技術」の進み具合をだれがどう見定めたか知らないが、この地域に新たに伝わった、くらいの穏当な言い回しができないものか。しかも、記事の言い方では、「最先端技術だった馬」と読めないこともないから、一瞬読み足が躓きかけて、立ち停まるのである。

 ここは、時代錯誤と言うだけでなく、勘違いが漂っていて「眉唾」である。受取りようによっては、教授の信用が地に落ちるのである。

*馬飼の技術移管
 中原世界では、商(殷)王朝期に、少なくとも、馬車戦車が造られていたことは確かのようであるから、既に野生馬ではなく飼い馬だったと思うのである。
 つまり、飼い馬は、太古以来知られていたのである。また、6世紀初頭まで列島内に馬を育てる「技術」が皆無であったとは思えない。少なくとも、未踏の超絶技術ではないと思うのである。

 当時半島にそのような技術があったかどうか示されていないので困るのだが、半島南部のどこであれ、南に馬を引き連れて渡海可能な範囲に、馬を飼う人々がいたとしなければ話が続かない。
 多分、半島内に、以下に述べるような南遷に適した土地が無かったので、短期滞在だけで、さっさと渡海したのかとも思う。
                                           未完

「今どきの歴史 」第二回を巡って 3/7

        私の見立て★★★☆                2017/10/23

*逃げない意気込み 続き
 そして、大変肝心なことだが、よろい武者は、災厄から逃げるのとは逆に、災厄に向かって突き進んでいるように思う。

 溝を後にした場所で身構えていて、火砕流の先駆けにはじかれて、自ら溝に入って安全を図ったのか、押し流されたのか、当日現場にいてもわからないことを必死で議論するのは徒労だろう。

 後世も、「さむらい」は敵に背を向けないとしたものである。ひょっとすると、物見に出て帰ってこないものを気遣って、探しに行ったかも知れないと、さむらいの心意気を想像する。

 少なくとも、よろい姿は不用意でも異様でもないと思うのである。

 よろいを着る目的は、民心をどうこうするものではないように思う。混乱の際に民心をかき立てるのなら、指導者の健在が遠くからも見えるように旗竿を立てるだろう。

*眉唾だくだく
 考古学者は、どうしてこのようにつまらないところで、見てきたような語りを好むのだろうか。「考」の字が泣くというものである。

 別によろいを着て暑かろうが寒かろうが、指導者が体面を重んじようが、どうでも良いのではないか。

 教授が眉唾と言うのは、山を拝んでとの俗説だけだと承知なのだが、それに続いて、暑い、重いと続いているので、不満なのである。

 それにしても、武装に身を固めるとしたら、かぶとは必須と思うのだが、なくしたのだろうか。

*ストーリーと実像
 以上のような「ストーリー」(用語として合っているかな)は、他人の意見を排斥して証明できるものでないし、また、しようとすべきものでもない。各人の推測に止めるべきである。そうでないと、このように批判を浴びる。

 また、気軽に「実像」と言うが、文字や絵の記録が残ってないから、歴史の彼方の事象の実像(実際の姿の意味か??)が見えてくるはずはないのである。
 軽率、軽薄な言い方で、言うものの学識を、大いに疑わせるのである。

                                      未完

「今どきの歴史」 第二回を巡って 2/7

                       私の見立て★★★☆☆                         2017/10/23

 6世紀の古墳時代と言うが、奈良盆地の古墳開始は、堅実な見方で4世紀初頭と言われている。
 その場所からこの場所に、ほとんど2世紀かけて、古墳造成技術と技術者集団が展開したと見るなら、同様に、馬の技術も、長い期間をかけて伝わったと見るべきではないか。

倭人首長
 また、教授は唐突に、ぽんと「倭人」の首長を持ち出して、この人は「副将格」と言うが、どうやって支配組織を確認したのだろうか。素朴な意見として、馬を飼うことに専念する集落はその全体が、渡来人集団だった可能性はないのだろうか。「主将」、ないし「首長」は何者か、判断の根拠はあるのだろうか。

 多くの馬を育てて増やしていくというのは、当時、その地域で未踏技術だったから、よろい武者は、絶大な力を持っていたのではないだろうか。

 だから、教授も、先立つ部分で「為政者」として、敬意を払っているのであろう。

 そりゃそうである。単に馬飼職人であれば、配下の者に、貴重な馬を避難させるように先頭に立って指示するものであり、危険な方に向かって進むことはないのである。

 いずれにしろ、「為政者」とは、首長のことではないのだろうか。専門家集団が、専門知識に欠ける素人をいただいていたとは思えない。

*逃げない意気込み
 教授は、「よろいは暑くて重い」とにべもないが、当時夏であったとしても、噴煙、噴石があれば、災害の現場に出向く際によろいで身を固めるのは当然である。志のない俗人には、志のある武家の心情を、推察すらできないのだろうか。もったいないことである。

 大体が、よろいもかぶとも、そして佩刀も、普段から耐えがたいほどに重いが、だからといって、戦いの場で、素で立ち向かうわけには行かない。

                                             未完

「今どきの歴史」 第二回を巡って 1/7

                       私の見立て★★★☆☆                         2017/10/23

金井東裏遺跡(群馬県渋川市) 渡来系リーダーの誇り

 毎日新聞夕刊文化面の月一(とは書いていないが)読み物「今どきの歴史」第二回は、発言に慎重な羽生田(はぶた)教授の言い分が、比較的素直に引用されているようであるが、担当記者が理解不足なのか、時折脱線、陥没している。

 いや、教授の言う「眉唾」は古色蒼然たる表現であるが、現代人の一般読者に衆知としてか、説明無しに発言が引用されている。
 普通、眉唾はキツネやたぬきのだましに対するおまじないであり、つまりやり玉に挙がっているのは、「嘘」である。

 その伝で言えば、「今どきの歴史」第一回が「眉唾」と言うか法螺話というか、非学術的な放言の類いで開始したが、今回は、慎重な研究者である教授の談話が中軸になっているので、地道な内容だったことを喜びたい。

 よろい武者は、歯にストロンチウム塩を含んでいると言うことから、後ほど説明するような何代もの移住の後裔でない可能性が高いが、ここにやってくる方法は、それだけではない。

 推定するなら、この地域の馬飼集団の首長後継者として婿入りしたとも思われる。これなら、よろい武者が、北部九州育ちと思える特性を示してもおかしくない。(教授、あるいは記者は、なぜか、半島出身にこだわるが、西日本は、普通河内平野あたりまで含むと思う

 そんな「ストーリー」は検討したのだろうか。
                                               未完

今日の躓き石 毎日新聞の「オールラウンダー」大安売り

                          2017/10/23
 今日の題材は、毎日新聞大阪朝刊スポーツ面のスピードスケート報道である。
 距離別で、最短郷里から、中距離まで総なめした偉業を「オールラウンダー」と軽くいなしているのは、気の毒である。

 言い方が悪いかも知れないが、距離の刻みがあって分かれているが、スピードスケートは、所詮早く走るのが唯一の指標である競争であり、急に何かが変わるわけではないと感じる。切れ目があるのであれば、その前後を区切れば、それぞれではっきり違いが見えると思うのである。

 いや、そんなバカなことを言うのは、「オール」と言う冠が付いているからである。少なくとも、三分野以上で揃って優れていなければ、「全部」優秀とは言わないだろう。

 因みに、体操競技の報道では、担当記者が「複数の種目」で優秀な選手を「オールラウンダー」と呼ぶのだと息巻いていたが、それにしても、「全」6種目あるのだから、その過半数、つまり4種目で優秀、他は、それに次ぐ好成績でなければ、総合して高い得点が得られないはずであり、また、一般読者の納得も得られないはずである。
 過去の記事の流れでは、全能王者だけが「オールラウンダー」とされているようであり、これに近い成績の選手を大量に(つまり二人以上か)養成することが、各国(中露二国に加えて複数の国のことか)で急務とされているとの報告も、出所も当否不明だが、断定口調で書かれていたである。
 現に、二種目で抜群の成績を示しても「オールラウンダー」かどうかの審議に登っていないようなのである。「オールラウンダー」が、他の追従を許さない偉業なのか、単なる器用貧乏、何でも屋のできすぎなのか、いまだに、明らかにされていないのである。

 このように、毎日新聞のスポーツ報道という大変狭い世界でも、「オールラウンダー」と言う、素性の悪いカタカナ語の使い方は、大きく揺らいでいるのである。記者同士で意味が揃わないのだから、一般読者が理解に大いに苦しむのは当然である
 全国紙の取るべき態度とは思えない。

 元に戻って、「オールラウンダー」と言う言葉は、できの悪いアメリカのスポーツジャーナリストが、「オールラウンドプレーヤー」というまっとうな言葉を、文法無視の言いはしょりをしたのを、英語のよくわからない日本人が、意味もわからないままに使い散らしているのであり、毎日新聞ほどの伝統ある全国紙の記者が、ちゃんと理解しないまま悪乗りしているさまは、もったいないと思うのである。

 今日の報道用語で厄介なのは、カタカナ語の無秩序な使い回しである。いや、スポーツ界のように下世話な分野から、学術や政治のような高度な分野まで、一般読者がよく知らないカタカナ語で、一発脅かそうとしている向きが多いのである。別に、珍しいことではないし、大昔からあったことである。

 それにしても、事情をよくわかっていないかたが「和製英語」などとくくっているが、出所不明、言語不明のカタカナ語が、堂々たる英語になるはずはなく、せいぜいが、単に、無教養な言い間違いに過ぎないのである。英語由来でまっとうな言葉、知らない方が悪い、と錯覚させようとしているから、まやかしには注意することである。
 何とか、程度の低いインチキ言葉の蔓延を防いで欲しいものである。せめて、蔓延を手伝わないで欲しいのである。

 言うまでもないが、当記事が公開されたからと言って、それこそ、大海の水を手桶で汲んで減らそうとするようなものだが、書かなければ、何も起こらないと思うから、しつこく、そして、丹念に書いているのである。

以上

2017年10月22日 (日)

今日の躓き石 毎日新聞 ドラフト主役に送る『リベンジ』の烙印

                          2017/10/22
 本日の題材は、毎日新聞大阪朝刊第12版のスポーツ面の「ドラフトの主役候補」と題した月刊アマ野球記事である。

 なかで、躓いたのが、「強肩強打 伸び盛り」と絶讃された有力選手なのであるが、国体決勝で夏の甲子園決勝で負けた相手に勝てたのがうれしいことを、「リベンジができてうれしい」と語ったと引用されているのは、何とも、情けないのである。

 何が情けないというと、まだ、社会に出ていない若者が言葉を誤ったとして、それを、堂々と全国誌の紙面に書き立てる担当記者の暢気さが情けないのである。
 報道の前線で戒めるべきことは、いい加減なカタカナ語を、ちゃんとした言葉かどうか調べずに書立ててはならないということではないかと言っているのてある。

 つまり、悪用、誤用をその場で止めるのも、記者の大切な使命と信じているから、ここに、しつこく批判記事を書くのである。

 是非考えて欲しいのは、「リベンジ」の由来である。
 毎日新聞の読者が目新しいカタカナ言葉に出会ったら、元になる英語を尋ねるはずである。そして、復讐の血祭りに直面して、情けなく思うはずである。何故、スポーツの世界に、欧米を吹き荒れているテロを呼込むのか、と歎くはずである。

 実際、今回の記事を英語に直訳したら、ぶっそうな文章になるはずである。日本の高校生は、「仁義」の血なまぐさい世界に生きているのかとなる。

 どうか、全国紙は、編集部門、校閲部門の絶大な是正力、指導力をもって、紙面から「リベンジ」を永久追放してほしいものである。
 そして、それと共に大事なのは、不適切な言葉を吐く選手がいたら、その場でたしなめてほしいものである。一流の選手は、一流の言葉で語ってほしいこどもたちは、一流選手の言葉に学ぶのである。

 いや、当方は、べつに権威ある論客ではないので、天下の毎日新聞が、ここに書いた意見の言いなりになる必要はないのだが、ご一考いただく価値のある意見ではないかと思うのである。

以上

2017年10月16日 (月)

今日の躓き石 消えない汚染語彙 NHK BS-1 MLB中継の「リベンジ」

                       2017/10/16

 本日の題材は、NHK BS-1 MLB中継である。
 当然、やり玉に挙げるのは、解説者の発言ではなく、アナウンサーの言葉である。

 単に口がすべったと言うことなのだろうが、頭の中に「リベンジ」が棲息していて、日常会話で何の気なしに使っているので、大事な場所、場面で口がすべるのだろう。

 みんながみんなそうではないだろうが、往年のNHKアナウンサーは、日常の場でも、放送の時と同じ基準で言葉を選んで喋る鍛錬をしていたという。時には、思い起こして欲しいものである。

 何とか、この呪わしい言葉を廃語にできるようにしていただきたいものである。
 百日言わなくても、一回言えば、それで帳消しなのである。
 NHKの影響力は、絶大なのである。だから、皆受信料を義務として支払うのである。だから、ここで批判するのである。

以上

今日の躓き石 消えない汚染語彙 毎日新聞囲碁記事の「リベンジ」

                            2017/10/16
 本日の題材は、毎日新聞大阪朝刊第12版「くらしナビ」面の囲碁将棋スペシャルコラムである。
 囲碁記事の週であるが、国内第一人者の参戦した世界ペア囲碁のちょっと軟らかな話題で、担当記者の気が緩んだのか、元々緩んでいるのか、和やかな記事というなだらかな散歩道に、失言が躓き石として埋め込まれている。素足なら、足が血まみれになっているところである。

 いや、厳しかるべき囲碁ジャーナリストが、第一人者の言葉として「リベンジ」を引用報道しているのは、困ったものである。

 囲碁界の第一人者、絶対王者も、まだまだ若いから、この言葉を口にするとき、世界に蔓延する血なまぐさい復讐連鎖は、意識に浮かばないのだろうから、言葉の選び方を誤って、禁句を口に出したのかも知れないが、報道のプロが、そのような忌まわしい言葉をそのまま紙面に載せているのは、どういう意図なのか、まことに理解に苦しむ。
 悪意に取るなら、第一人者は、言葉遣いがお粗末だと報道しているのだろうか。そういう人格攻撃の意図なら、まことに陰険である。(スポーツ面には、そうした悪意を見てしまいそうな失言記事が珍しくないので、そう思うのである)

 これは、まことに嫌みな言い方だが、当事者が気分を害して二度と「リベンジ」などと書かないで欲しいという切なる気持ちが言わせているのであるから、別に、この下りに反論して貰う必要はない。この言葉を批判する記事を書き始めてずいぶん経つのだが、こうしてみると記者達の内面にずいぶん深くしみこんだ言葉だから、無意識に近いかたちででてしまうのだろうが、無意識で口に出すから、事は深刻なのである。

 因みに、当方のなじんでいる将棋ジャーナリズムは、専門紙に安直な「リベンジ」が多発して、情けないと思ったものであるが、同紙には「ご意見無用」(謝絶ではなく、記事に批判する奴は、門前払い)の輩が横行していて、紙として批判に耳を貸さない風潮だったから聞き入れなかったのだろうし、同紙が(実質上)廃刊になってからは、毎日新聞の紙面でしか目にしないから、廃語との遭遇機会はずいぶん減ったのである。

以上 

2017年10月14日 (土)

YouTubeの暴言連発 御乱行連発に苦慮 

                     2017/10/14
 またも、愚作動画に暴言をいただいた。今回は、モバイル解像度版と2K解像度版が、揃って受難である。

 京都国立博物館噴水夕景 2013/11/01 2K

 英語モードで示される英文を引用すると、

 identified as not suitable for most advertisers.

 とあり、誰がどんな権威で判断したのかわからないが、小生の動画は、
 大半の広告主に不適切であると断定した
 と言っている。(太字は筆者が付加) まことに、英文として不出来な警告・通達文であり、つまり、弁護士の確認をへていない素人作文と思う。

 これに対して、同意できない、と言うか、根拠がわからないから、同意も何もできないので、だれか人間が肉眼で見て確認することを求めるのだが、

 I confirm my video is suitable for all advertisers.

 と言わされる。(太字は筆者が付加)
 これも、何とも品のない、無教養な言葉遣いで情けないものがある。普通の教養人なら、my work of video movieというところである。

 YouTubeの判断基準が、何語であれ理解できないから、普通の人にわかるように、明確に根拠を示して欲しいというだけであり、別に、正体も意見も不明な不特定多数の広告主全員に適しているなどと断言する趣味はない。

 しかし、チェックボックスにクリックを入れないと送信できないから、このような無教養で、傲慢で、独善的な見解を自分の言葉としてconfirmしなければばならない。不本意であり、重ね重ね不愉快である。

 なんの罪もない動画作家が、なぜ、このような暴言を浴びせられ、言いたくもない断言を強いられるのか、たいへん、たいへん不愉快である。

 ただし、当方は、ありがたいことに、いや、もったいないことにYouTubeのシステムに無料で同乗させていただいているので、そのような恩恵を被っている救い主を法的措置に訴えることは、不適切と考える。ここでぼやくしかない。

 それにしても、もっと妥当な方法はないのだろうか。そして、もっと、当たり前の言い方はできないものか。

 いきなり、なんの根拠も示さないまま罪人扱いで、膝を屈して再検討をお願いしなければならない、というのは情けないのである。

 言い足すと、確かに、画面に登場する黒々としたブロンズ像は、服を着ていない男性像だが、ロダンの「考える人」を公衆の目に触れるところに公開するのが不適切だというのだろうか。

以上

2017年10月11日 (水)

今日の躓き石 毎日新聞の体操報道は無理難題連発

                    2017/10/11
 今回の題材は、毎日新聞大阪朝刊第12版のスポーツ記事、と言っても、ここ何度か苦情を呈している体操世界選手権の総評記事である。

 当ブログの題材、つまり、やり玉に挙げる事項は、大抵、無理なカタカナ用語の蔓延荷担への非難であり、今回も、最初に躓いたのは、「オールラウンダー」なる問題表現である。

 ただし、今回は、問題用語の言いっぱなしでなく「複数の種目を高い次元でこなす「オールラウンダー」としての力が、これまで以上に求められると一見もっともらしい。
 世界中がどうであろうと、毎日新聞スポーツ面の署名記者記事では、この言葉は、この意味で使うという宣言であるが、いわゆる独善でないかと疑問に駆られる。
 というのは、言葉の定義を意図したらしいが、一見日本語に見える「複数の種目を高い次元でこなす」なる言葉は、無意味な言い回しでしかないから、定義になっていないのである。
 「高い次元」とは、四次元、五次元のことを言うのだろうか。高い水準というものではないのだろうか。所詮、体操競技は、得点で評価されるのであり、次元の高い低いは評価されないのではないか。不可思議である。
 「複数の種目」
と言うが、六種目中二種目スペシャリストは、「オールランダー」と言うに相応しいのだろうか。いや、体操六種目に対する「オールランダー」の字義は、説明されていないのであるから、定義になっていないのである。

 それにしても、なぜ、もっと、一般読者にわかりやすい平易な表現をとらないのか、大いに疑問である。記者は、評論を業とする論客ではなく、新聞報道の任にあるものではないのか。

 続いて、中国、ロシア二カ国の選手名が挙げられ、「各国とも」と飛躍した意見が述べられている。世界の各国が、全競技でトップクラスを目指すことのできる選手の育成を測るはずがない。そんなことは、体操超大国以外では無意味なのではないか。
 まして、中国もロシアも自国語での表現に努めているはずであり、「オールラウンダー」なるヘンテコ日本語を目指しているはずはないのである。
 しかし、記事は、「取り組んでいる」と断定している。どのようにして、秘密であるべき各国の養成方針を内偵したのか、不思議であるし、そのような内偵をしているというのは、情報ソースの秘匿に関わるものであり、新聞として最高機密ではないのか。不思議である。

 いや、国内指導者は、絶対強者が一人では、今回のような事態で無くても一時的な不調もあるから、同様の絶対王者が何人かいて欲しいというのは、願望として理解できるが、そんなことが簡単に、と言うか、何とかしてと言うか、とにかく、実現できるのであれば、そりゃ、らくらくと世界制覇できるだろうが、そんな途方もない成果獲得を課題として取り組むものなのだろうか。

 協会指導者が、公の場で、新聞報道を前提に口に出す言葉とは思えない。乱心されたのであろうか。

 いや、記者は、当記事でそれを課題として明記すれば、それが契機となって達成されると見ているようであるが、そんなことは、無理難題の極みではないか。どの分野であろうと、世界王者クラスの選手,絶対王者を四人養成すれば、(スペシャリストだろうが、ジェネラリストだろうが)個人総合で一,二,三,四位の上位を独占して、団体総合王座、金メダルは確実に獲得できるのである。
 いや、当方は、課題として提示して、全員参加で解決すれば実現可能であると言っているのではない。あくまで、反語であるそんなことは、必死で取り組んでも実現できないから、みんな苦労しているのである。

 いや、全国紙記者に求められるのは、高邁な見地からの権威ある意見なのだろうか。

以上


 

2017年10月 6日 (金)

今日の躓き石 寂しいラウンダー 体操王者の受難

                            2017/10/06
 今回の題材は、毎日新聞夕刊大阪第三版のスポーツ面である。

 既報のように、故障で王座から失墜した絶対王者の残した穴を、見事に銅メダルで埋めた偉業を称えるのは良いが、最後に、大きな穴に突き落とすのは趣味が悪い。

 従来の「スペシャリスト」、つまり、種目別向けの専門的な演技から、苦手を積極的に克服する闘志と努力、そしてい、もちろん。卓越した技術に対して、つまらない「オールラウンダー」などと気味の悪いカタカナ語を貼り付けるのは、気の毒である。

 言葉の成り立ちからして、「スペシャリスト」と対比されるのは「ジェネラリスト」である。分野によって、言葉の解釈は揺らぐものだから、呼び方として適切かどうかはわからないが、新聞としての品格からして、筋の通った言い方で、絶対王者に相応しい最高の言葉を選ぶべぎである。

 どこかから、拾った来た趣旨不明のカタカナ語を無料で借用すべきではない。

 ただし、アメリカのスポーツジャーナリズムが報道するのは、野球、バスケットボール、フットボール、アイスホッケーなどのように、攻防がはっきりしている対抗競技だから、攻防両方に優れた選手を、「オールラウンドプレーヤー」と呼ぶのであろう。せいぜい数種の分野なのに、勿体ぶってAllと呼ぶのでわかるように、派手に言い立てるだけの無駄口なのである。

 それを、アメリカでも、できの悪いジャーナリストが間違った英語で"Allrounder"と形容しているのか、いないのか、そこまでは知らない。見えているのは、カタカナ語である。

 それはそれとして、丁寧に「オールラウンドプレーヤー」と言ったとして、それが褒め言葉かどうか不明である。

 ここで問われるのは、体操競技のように六種目にわたって、最高クラスの演技ができて、なおかつ、総合成績でトップに立つ偉大な選手を呼ぶべき言葉は何かと言うことである。

 少なくとも、All mightyに近い讃辞が必要ではないか。

 少なくとも、「オールラウンダー」は、もう止めたらどうだろうか。
 言葉の護り人としての権威が求められる全国紙の紙面に、できの悪いカタカナ語は似合わない。例え、スポーツ面であろうと。

以上

2017年10月 4日 (水)

今日の躓き石 早すぎる幕引き 体操王者の失冠

                          2017/10/04
 今日の題材は、毎日新聞大阪第13版のスポーツ面、体操世界選手権の記事である。ただし、でかでかと書き立てられているのは、王者の失冠である。

 正直言って、今回の記事に漂う鬱々たる懐古調には、大いに不満である。まるで、もう終わったという感じである。先年、「無敵のキング」などとあおっていた記事が、それこそ、過去の遺物となっているようである。

 一定期購読者としては、今回勝てなかったのは、別に、誰かに負けたわけではない。不本意なケガから回復すれば、当然指定席である世界王座に座る、と言うように見たいものである。 

 「レジェンド」は、急ごしらえのカタカナ語で、各自勝手な解釈が出回っているようだが、原点となる英語のlegendに立ち戻ると、本来、殿堂入り、博物館入り、の過去の人、遺物の意味である。現役の王者に使うべき言葉ではない。

 いや、この記事では、8連覇の偉業を「レジェンド」と呼んでいるとも受け取れるが、それは、レジェンドを個人の形容に限っているメディアの流れと大きくずれている。小ずるく言うと、流行用語の誤用である。

 思うに、近来、スキージャンプの世界で、とうに引退したと誰もが思っていた過去の人が、表彰台に現れて、まだ生きていたのかとの驚きを込めて、レジェンドと形容されたのであって、素直な褒め言葉ではないように思う。いや、じいさんやるな、と言う若者のやっかみかも知れない。,このあたりの経緯を良く確認いただきたい。

 その結果、誤解した国内メディアの一部が、レジェンドを古参の人たちに当てているようだが、例えば、囲碁本因坊六冠のように、現在バリバリの第一人者をレジェンドと呼ぶ輩が現れないかと危惧しているぐらい乱れている。すでに、いずれ来る衰退を早々と予定したポスト「**」なる称号が出回っているから、杞憂とは言い切れない。

 今回、毎日新聞は、自己流の「レジェンド」なるカタカナ語を、スポーツ界の花形として取り上げていた現役の一人者に貼り付けているが、大いに疑問を感じるのである。語義の固まっていないのを良いことに、自己流のカタカナ語語義を編み出し、勝手にひねり回して、世界制覇を図るのは、全国紙の権威を振り回す、横暴な行為であると考える。ご一考いただきたい。

 別囲みの記事では、個人総合で勝つには種目ごとに最高レベルを目指すという「キング」の高い志に対して、何でも屋を揶揄するとも思える「オールラウンダー」なるカタカナ語も貼り付けられていて、まことに気の毒である。
 いや、貼り付けたのは、後輩選手であるが、くだらないカタカナ語を妥当な言葉に言い換えずに談話を「ママ」引用しているのは、毎日新聞として同感しているからだろう。

 と言うことで、今回の暴挙に大反対である。

以上

2017年10月 2日 (月)

YouTubeの御乱行に苦慮、苦悶

                       2017/10/02

 今回の題材は、YouTubeチームの暴言である。

 南越前の秋 2017 南条SA上りの白花曼珠沙華(しろばなまんじゅしゃげ) 2017/09/25 モバイル

 それにしても、英語では、”Not suitable for most advertisers”(広告主の大半に適していない)と断罪しているのに、日本語では、「一部の広告主に適していない 」とは、どういうつもりなりだろうか。誤訳なのか、悪意でごまかしているのか

 大体、この判断の根拠となる規定は具体的に明文化されていない上に、解除されるときも、なんの説明も謝罪もない

 判定方法も明らかにされていないが、生きている人が見てのものでないことは確かである。根拠を明らかにしないので、他人に迷惑、不快を与えるバカ動画の類いとか、おそらくわいせつの傾向がある、とかいうものではないかとかんぐるしかないのであるが、なぜ、善良そのものの動画作家がそんなことを言われなければならないのか。

 何しろ、世界のYouTubeであるから、見る人が何を不快と見るか、予想できないのであり、その辺りの根拠が明らかにされないままでは、不愉快そのものであるし、大体、何が行けないのか理解できなくては、制作の際に避けようがない。

 当方の公開動画には、同一素材で解像度が違うだけのものがあるが、特にモバイル解像度だけ指摘されては、一体、何が問題なのか理解できないのである。

 一例として、高速道路SAで見かけた曼珠沙華の動画を挙げた。モバイル解像度版だけが指摘の対象となり、再確認を依頼している。ご参考まで。読者が不快と感じたら指摘いただきたいが、それでも、要は、不愉快なら、二度と見なければいい、投稿者の権利、表現の自由は侵害しない、と言うのが基本と思うのである。

 YouTubeには、素人動画公開の場を提供して頂いて大変、大変感謝している

 それでも、機械的に押しつけられる、動画に流れ込んでいる音楽断片の著作権がらみの問題のずさんなやり方、誤検知放置に加えて、今度は、これも、機械的に押しつけられる意味不明な広告主関連の言いがかりで、不満が募るのである。

 当方の動画は、広告掲載を認めているものの参照回数が少ないと言うことで、ずっと「ただ乗り」されている。(正直、不満である)公開開始以来、累計10万件になるが、びた一文受け取っていない。YouTubeへの動画投稿は、ベラボーな大金が入ると思っている人が大半なので、自己紹介の度に、誤解を解いている始末で、これも、大変迷惑である。

 それでも、一文にもならない広告を載せるのを認めているのは、自分の作り出した作品の質が広告に値するものだと信じているからである。広告収入を当てにしているのではない。

 その辺りの価値判断は、YouTubeとして認めないようで、精勤のご褒美をいただくことはないだろうから、慢性件数不足のものとしては、このような言いがかりを付けられないように、広告を外した方が良いような気がするのであるが、こんな嫌がらせに負けていられないというのもある。

 「一寸の虫には五分の魂」である。

以上

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