「今どきの歴史」 第二回を巡って 7/7
私の見立て★★★☆☆ 2017/10/23
*地域は国家
教授は、600㍍南の遺構とここが、当時としては、一地域を形成していたのではないかと思っているようだが、まことに妥当な話である。
今日でも、地域は国家と同意語になることがある。
当時、よろい武者は、地域の大将であり、「地域」国家の上様とか殿様とかに相当していたはずである。
いつの時代であろうと、600㍍は「通勤可能範囲」であり、別にアスリートでなくても、歩いて15分で着くであろう。水運は書かれていないが、古来、大抵の荷物は、背負って移動したから、水運に乏しいのは大事件ではない。大体、奈良盆地内は、河川水運に欠け、平安京も、南方に淀川水系を抱えながら、水運に適した河川が備わっていなかった上に、牛馬の運送も育たなかったために、長々と背負子の労で支えられていたのである。
それはさておき、この地域は、「畿内」とは別世界であり、域内外の人の往き来、ものの往来は盛んであったろうから、地域としての一体感はあったはずである。
と言うことで、大筋は、慎重な教授のおっしゃるとおりである。
*愚行への戒め
それにしても、決め文句の「日本のポンペイ」とは、本家を知らない無頓着なものにしか言えない軽薄な発言である。当人は、死ぬほど恥ずかしく思うべきである。
ポンペイは、地中海世界に威勢を振るっていた共和制ローマなる超大国の富裕者の別荘、観光地であったから、発掘された遺跡には建物も、文字も、絵画も、彫刻も残っている。また、国都ローマの結構近くにあったこともあって、噴火埋没について、周囲からの観測記録も豊富に残っている。
記録があるから、文化遺産なのである。
火山災害が似ていると言うだけで、そのような名乗りはおこがましいのである。くれぐれも、世界に恥をさらさないことである。それを、「ますます似合っててきた」というのは、記者がものを知らないから言えることである。
記者のおつむは、中のねじが外れているだけでなく、はめも外れているようである。裸で歩き回るのを、怖くも、恥ずかしくもないというのは、単に、感受性が、捨て去られているという事でしかない。
記者の職業人としての評価は、私の見立て★☆☆☆☆ であるが、最低というものではない。下には、下があるのである。全国紙の文化面記者として、許容限度ギリギリという事である。
いや、当ブログ筆者は、記者の上司でもないし、指導する立場にはない。当人に聞く耳がなければ、全て虚報である。世の中そんなもんである。
完
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