私の本棚 長野正孝 古代史の謎は「海路」で解ける 2-1/3
卑弥呼や「倭の五王」の海に漕ぎ出す PHP新書 2015/1/16
私の見立て★☆☆☆☆ 2017/12/25
*(多分)最後の海路談義
著者が本書で大々的に打ち出した新語「海路」に関わる談義は、とことん尽きないようである。
ここで話題にあげたいのは、中国太古の言葉遣い、漢字遣いで「海」という時に託された思いであるが、これは、後世の倭国人の「海」に託した思いと大いに異なっていたということである。
その思いを「海観」と称すると、聞き分けにくいし、字面の据わりも悪いので、「海洋観」の三字で進めるが、当時になかったろう言葉なので注意が必要である。
こうして言っているものの、ありようは、当方の知識外であり、白川静氏の著作に啓示を受けたものである。
*冥界としての「海洋」
太古の中国人、特に、中原を支配し文字記録を残した中国人にとって、海は冥界のような異郷であったということである。中国には、四方、四海の概念があったが、この海は、現実の海というより概念であったのである。
でないと、地理上、西と北に海のない中国世界で、「四海」と言う筈がないのである。
*河水海に至る
さて、現実に還ると、河水(黄河)は、上流では、筏や川船で渡ることのできる程度の流れであるが、東海に向かい滔々と流れるとともに、大小支流が合流して泥水の大河になるのである。
河口近くは、太古以来今に至るまで、ドロドロの岸辺を分けてドロドロの水が流れ、どこが岸でどこが流れかわからぬ、人を寄せ付けない扇状地となり、それは黄海の沖合に連なるのである。当然、扇状地を横切る陸上交通も不可能であった。巨大な人外魔境である。
本書の筆者は、この辺りの地理的事情を、良くわきまえていて、帯方郡から回航した倭国船は、河水河口部の泥の海を避けて、遡行可能な支流を通ると書いている。
過酷な環境であったとする見解自体に異論はないのだが、そうした過酷な環境を、一貫して、水域に不案内な自船で乗り切るとは、思えないのである。
まして、非常時なのである。なぜ、倭国使節の上洛に責任のある帯方郡が、船を仕立てないのだろうか。いや、なぜ、郡の上洛便に便乗させなかったのだろうか。
未完
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