私の本棚 長野正孝 古代史の謎は「海路」で解ける 2-3/3
卑弥呼や「倭の五王」の海に漕ぎ出す PHP新書 2015/1/16
私の見立て★☆☆☆☆ 2017/12/25
*洛陽井蛙の海洋観
因みに、前漢を嗣いだ王莽を打倒した反乱の嚆矢となった赤眉の首謀者は、山東琅邪の海の者であったようだが、後漢創業者の光武帝劉秀は内陸人で、特に海好きではなかったようである。
蛙の子は蛙である。
*語義変遷
たかが、「海」と「路」と二文字の話であるが、古代と現在の世界観の違いを露呈するものである。世界観が違えば、同じ文字を使っても意味が違うのである。
古代史論では、丁寧な用語校正が望まれるのである。
*海洋観概観
さて、世上で信奉されている中国史書の用語観であるが、上に示唆しているように、中原の用語観は、各地方にそのまま適用されるものではないはずである。
一方、三国志に先行する史書は、中原用語で書かれていたのであるから、海に関する語彙が貧弱で偏っていることは自然な成り行きである。
*帯方郡海洋観
気になるのは倭人伝に示されている帯方郡書記の海洋観である。帯方郡の統治領域、今日で言う朝鮮半島中南部は、東西、南の三方を海に囲まれていた。その現実的な海洋観は東夷伝の韓伝記事からもうかがえる。
狗邪韓国からの行程で、三度海を渡るが、ひと絡げに東海などと言わず、一海、翰海、一海と言い換えている。つまり、狭い海峡を川の支流と同様に三海に見分けていたのである。海嫌いの中原人の意見ではない。
海峡中央部の対海国<>一支国の区間は、前後の区間と比べて流速が速いはずであり、その上、目的地は小島であるから狙う的が小さく、とびきりの難所と感じたはずである。それが、特別扱いに現れているようである。
そのように、倭人伝の海洋観は、実際に往来していた帯方郡と倭国のものである。かくのごとく、環境が違うから言葉も違うのである。
再度言うが、古代史について論じる時は、丁寧な用語校正が望まれるのである。
多分今度こそ 完
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