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2017年12月31日 (日)

新・私の本棚 番外 諸説あり!「邪馬台国はどこ.」 3/4

 BS-TBS ▽邪馬台国2時間スペシャル! 前半  2017/12/30放送

 私の見立て ★☆☆☆☆☆ 無駄話    2017/12/31 2019/04/21

*第三の諸説 泥沼掘り下げ
 第三の諸説「誤読説」提唱は、両説泥沼紛争の中、ある意味当然ですが提唱者による倭人伝動機造作は、堂々別種の誤読、一段下劣な勘ぐりと言えます。魏志編纂の動機として、司馬懿を褒め称えるものと言いますが、魏志はその点大変不出来です。

*司馬懿の背信明記
 司馬懿は、景初三年一月一日、魏帝曹叡の臨終の場で幼君曹芳を遺託されたが、権力を独占し魏帝曹芳を廃し、孫の時代に、帝国を奪い取ったと明記されています。この魏志記事を読んで、司馬氏の偉業を賞賛するものはいないでしょう。

 また、曹操が司馬懿のライバルとは、誤読も甚だしいのです。何か、前の晩、寝る前に悪いものでも食べたのでしょうか。

*道里誤解の余波
 このトンデモ解釈は、倭人伝道里を誇張、粉飾と見る解釈の無批判な追従を含め、提唱者の十九世紀感覚から生じた骨董的思考と言えます。

 
例えば、洛陽から帯方の道のりと帯方郡から先の道里は、明らかに物差しもそのあて方も異なるから、子供算で数字だけ足し算して、一万七千里ほどと見るのは、歪んだ物差しも良いところであり非科学的な愚行です。

 大人は、足し算しかできないのではなく、ちゃんと内容を見るものです。

*一大率幻想
 ここで、提唱者は「一大率」を九州全域を自治する知事と断定し、伊都国が知事居所なら、本拠たる邪馬台国は別の場所とおっしゃるのです。

 私見では、提唱者の主張は、本拠と地方の大小感覚を相当に時代錯誤していると思います。何らかの政権が九州全域を支配しているとの幻覚は、どこから来たのでしょうか。しきりに、他文献を引き合いに出すのですが、何を見ているのでしょうか。

 文書連絡のできない三世紀の交通事情では、九州全域支配すら夢物語です。

*五百里幻想
 あるいは、こう言う方が理解されやすいでしょうか。
 伊都国~奴国間は五百里、これを、450㍍程度の普通里と解釈すると二百三十㌔㍍(公里)程度、今日の地図で糸島市から広島市あたりまでです。帯方郡から狗邪韓国まで七千里との基準尺度を見過ごして不用意に読めばそうなるのです。

 途中の海は除くとしても、誤解された道里では、両国の徒歩連絡が難事とわかるでしょう。今日の舗装道で大人が歩く速度を時速四㌔㍍として、五十時間強です。一日、五時間、二十㌔㍍として十日間程度の行程です。

 この移動は陸上競技の記録を目指しているのではないのです。ある程度の荷物を持って、維持可能な(絶対)確実に踏破できるものを言うのです。そうして、旅行者や文書飛脚の所要日程、つまり、官用、公用の設定です。

 と言うことで、実際は、食事宿泊しての十日行程です。当然、野宿などでなく、公設の宿舎が食糧も提供するのです。でなければ、官用、公用の経路に採用できないのです。

                                未完

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