2017/12/10
以下の議論は、古代史談義から外れているが、他山の石として参考にして頂きたい。
なお、当ブログ筆者は、公的資格を有しない一私人であるので、ここに示された判断、意見は、権威を有しない、私的な感想である事をあらかじめご了解頂きたい。
*背景と動機の説明
YouTubeは、一口で言うなら、世界各地の動画作家の著作した動画作品を広く公開している機構である。
ただし、法的な事情もあって、投稿され、公開された動画作品が、他者の著作物を盗用していないか、厳重に確認する義務がある。(重罪処罰規定あり)
ただし、著作権制度の制約として、著作物は、必ずしも、公的機関に登録されたものとは限らないので、著作権者(代理を含む)は、YouTubeに自身の著作物の権利行使の走狗とならしめるためには、自身の管理する著作物をYouTubeに登録しなければならない。
そうした著作物は膨大であるし、YouTubeで公開されている動画著作物は、これまた膨大である。盗用検知は、人の力だけでできることでないのは、容易に理解できる。
*なぞの判定方法
そこで、登録著作物から、一定のルールに従って、他の著作物と区別できる特徴点(当然、複数)を取り出し、動画著作物から同様のルールに従って取り出した特徴点と比較して、ある程度の頻度、回数一致した時、両著作物は同一である可能性ありと判断する電子的な検知方法を採用するのは、むしろ当然と言える。
しかし、両者のどの程度詳細な特徴を比較して、どこまで一致したら、動画著作物が、登録著作物と同一であると判断するかは、その検知方法の設定によって、大きく動揺する、素人目にもおぼつかない手法に過ぎない。
よって、そのようなシステムが、現にしばしば誤動作して、素人目にも誤った措置を行っているのが、大問題なのである。いや、誤動作が知られているのに、何ら是正されないのが大問題なのである。
上にも書いたように、何らかの判定システムでできるのは、「可能性あり」の判断であり、それは、最終判断たり得ないのは明らかである。
*著作権の限界
今回の事例では、楽曲そのものの著作権は消滅しているので、演奏の著作権(日本で言う著作隣接権)の問題である。
動画著作物で背景音楽として引用されているものが、フルート演奏であるのに対して。登録著作物そのものは、バイオリン演奏なのである。このように、こどもにもわかる相違点が検知されていないのであるから、本件が誤動作、誤爆であるのは、自明である。
*不法な処置適用と事後通告
ここで問題なのは、絶対的な判断基準として、客観的に有効だと検証されていない、つまり、判断基準として無効である可能性が排除されていない「科学的検知方法」の判定が、そのまま適用されている点である。
その結果、動画著作物に対して、事前了解無しに著作権を侵害する処置を実施した後で、動画著作権者に通告され、そこではじめて、以上の手続きに対する異議を唱えることができる制度となっている。
*理性なき制度
さて、当該動画が申立人の著作物の盗用を行っているかどうかは、結局、人の知性に基づく判断によらなければならない、と言うのが、著作権に関する判断のあるべき姿と考える。
しかし、YouTubeは、自ら設定した検知方法の判断だけを根拠にして、無実の動画作家に対して、申立人の著作物を盗用していると決めつけて、強硬措置を発動するのである。
以上の手順は、当方の推定であるが、今回の顕著な事例を見てわかるように、疑わしきは無罪(推定無罪)という、例えば、合衆国憲法で保障された崇高な通念に反する暴挙に過ぎない。つまり、反社会的な不法行為と見るものである。
*教訓(ここもまた、個人的な意見である)
案件の最終判断が人の理性のものである時は、人の理性で判定するべきである。
科学的判定手段は、現実のデータに基づくとしても、全て概算、概要によるものであり、ある程度の不確かさをはらむものである。
そのような判定手段は、厳重な検証無しに、最終的なものとしてはならない。
いかに精密に判断しうるデータ分析方法であっても、批判検証されないものは、科学的な判断方法ではない。
一方当事者が、自身の目的に合うように、時として密かに調整したデータ分析は、データの客観的な分析ではなく、データの改竄、捏造により、一見科学的、客観的なデータ利用と思わせながら、実は、一方当事者の虚妄を正当化しているに過ぎないのである。
人ごとではないと思うので、この場に公開するものである。
以上
参考 詳細は下記参照頂きたい。
There goes YouTube fake copyright complaint invoked by UMG