私の本棚 史話 日本の古代 二 その2 気候変動からみた「邪馬臺国」
謎に包まれた邪馬台国 直木孝次郎編
気候変動からみた「邪馬臺国」 山本武夫
私の見立て★★★☆☆ 2017/12/26
⑶新羅から邪馬臺を見る
漸く、それらしい記事が始まるのだが、すさまじい清濁混合である。
*時代錯誤
女王卑弥呼の活躍した時代はおよそ西暦一五〇年頃から二五〇年頃に当る。中国で言えば、魏・蜀・呉三国鼎立時代である。[中略]
軽率な勘違いである。ちょっと調べればわかるが、卑弥呼の一世紀にわる活躍などあり得ない。精々210年から40年間と思う。三国鼎立は220年から60年間である。好い加減な聞きかじりを見ると延々と無改段の長口説を読む気がしない。
*時代錯誤 2
後漢の末期、中国全土に「黄巾の乱」(一八四〜一九二年)という大規模な農民の叛乱が起った。
広大無辺の「中国全土」に大規模な反乱を起こすなど不可能である。「黄巾の乱」を農民反乱と決めつける根拠もわからない。
*時代錯誤+地理錯誤
日本も、漢の霊帝光和年中(一七八〜一八三年。『梁書』)、「倭国大乱相攻伐、歴年無主」(「後漢」) の内乱状態であった。[中略]曹丕(文帝)が「淮水」で海軍の閲兵を行い、呉に対して威武を示さんとした。ところが河水が忽然と凍って、その実行を延期せざるを得なかった。[中略]
同時代史書倭人伝に書かれていない迷文句を、後世史書の梁書と後漢(書)で造作するお粗末である。
また、川で「海軍の閲兵」はしないであろう。川戦用の水軍の間違いだろう。河水(黄河)の凍結と淮水の水軍検閲とがどう関連するのか。まことに不可解である。素人のうろ覚えは、ご勘弁いただきたい。
*状況錯誤
おなじ二二五年、諸葛孔明は瀘水を渡って雲南省を征した。このことは有名な「出師表」 にも出て来る。北方の魏の討滅を国是とした蜀が何故南方の蛮夷を征伐したかというと、討魏の準備としてまず温暖な雲南地方に食糧基地を確保する必要があったためである。このことは筆者の想像ではなく「蜀志」に明記してある。人心を懐柔するために「七縦七擒」の策戦もとられたのである。
蜀志のどの記事か知らないが、蜀は、古来天府、豊饒の地であって、北伐については、三年程度出兵せず食糧備蓄していたが、温暖どころか瘴癘の南方の僅かな食糧の徴発など無意味である。宰相諸葛亮は、雲南を征伐(反乱鎮圧)せず承服させたのであり、以後も自治に委ね、無理な食糧徴発などしなかったと聞いている。史料を読んだという夢でも見ていたのだろうか。
未完
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