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2018年1月 9日 (火)

倭人伝の散歩道 番外 稲部遺跡調査報告の怪 1/5

        2016/10/18 2018/01/09
 題材は、毎日新聞大阪第13版1面記事ですが、NHK番組批評に連動して一部縮小、再公開します。

 新聞社としての位置付けは、「芸術・文化」らしいのです。関連記事が社会面に掲載されているが、大抵の読者は、一面記事だけで報道の概要を掴もうとすると思うので、ここでは評価しないことにします。

 地方自治体の遺跡発掘調査報告書は、往々にして、特定の古代史学説の宣伝媒体と化していると噂されていますが、今回の彦根市教委の発表も、その一つではないかと気になります。

 これに、客観的な評価を殆ど加えずに言いなりになっているのは、全国紙の報道姿勢として感心しないのです。いくら「芸術・文化」の分類になっていても、古代史は科学(サイエンス)の一分野と見られるので、こうした大胆な時代観提唱は、客観的に評価した上で報道すべきと思うのです。

 どこが感心しないかというと、まずは、「古墳時代」の考古学上の位置付け(時代観)の齟齬と動揺です。

 当記事では、説明なしに、冒頭に「古墳時代初め(3世紀前半)」と定説に対し、大巾に時代を引き上げ、「ことば」なる囲みでは、「古墳時代(2〜4世紀)」と決めつけますが考古学としてどうでしょう。

 記事内で、古墳時代開始は、3世紀前半と2世紀の見解が共存していて無残ですが、古代史学界の考古学定説との対比が欠落しているのが重大です。発表資料の不備としても、短い記事の中で、用語・表現が揺らぐのは、全国紙科学記事として不用意です。

 深入りすると、この場で「国内には当時、製鉄技術がなく、鉄の延べ板を朝鮮半島から取り寄せ、武器や農具、工具を造っていたと考えられる。」と独善を述べるのが、考古学の原則に反し、非常識です。

 当時は、広域支配した統一国家が存在せず、多数の地方政権なる「国」が大小混在していたので、当遺跡がどの「国」の施設か不明であり、「国内」と云われても、なんのことか理解に苦しむのです。 

 当時「製鉄」ができなかったのは、単に鉄鉱山が発見されていなかっただけと思われます。鉄鉱石がなければ「鉄」を取り出す冶金技術は無効です。「朝鮮半島から取り寄せ」ると云っても、ただとはいかず、何かの物資と交換するしかないのです。
                                                             未完

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