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2018年1月 9日 (火)

倭人伝の散歩道 番外 稲部遺跡調査報告の怪 2/5

                                2016/10/18 2018/01/09
 提唱されているような大規模な鍛冶工房は、原材料として、大量の鉄材を消費しますが、例えば、海峡を越えた朝鮮半島東南部で、どんなものと物物交換していたのか興味津々です。

 往復1年かかろうという感じだが、盗難や難船のリスクを担って交易していたとすると偉大です。であれば、それ以外の交易も膨大で、中継地や相手先に代理人を常駐させていたと思います。当遺跡の統治者は強固な支配基盤を持った独立君主と見ます。

 続いて、「武器や農具、工具を造っていた」と無造作に云っていますが、大事なのは、「鉄」の技術でなく、高度な鋼(はがね)鍛造技術です。

 唱歌「村の鍛冶屋」は、「しばしも止まずに槌うつ響。飛散る火の花、はしる湯玉。ふいごの風さへ息をもつがず、仕事に精出す村の鍛冶屋。」と頌えます。

 遙か後世に至っても、打ち刃物鍛造は、鉄の延べ棒から槌で叩き出す芸術的造形であり、暑熱環境での力仕事です。「鉄の延べ板」すら赤熱した鉄塊を槌で叩く鍛冶仕事です。当時流通したのは「延べ板」でなく粗製の鉄鋌ではなかったかと思います。

 当然、大量の薪炭が必要となり、周辺の山林伐採は、激しかったと思われますし、排水汚染もすさまじいものだったでしょう。裏付けはあるのでしょうか。

 さりげない言い方で「魏志倭人伝」を引き合いに出して、当遺跡に権威付けしようとしていますが、倭人伝に琵琶湖はなく、(中国)大陸からの鉄材輸入もなく、また、「邪馬台国」も倭人伝にはないのです。

 「遺跡が最も栄えた時代は、中国の歴史書「魏志倭人伝」に出てくる邪馬台国時代と重なる。 」と大胆に提言しますが、資料理解に不備がある上に遺跡時代観が未確立では、単なる作業仮説、憶測です。言葉を費やすほど信用がなくなる補足です。

 全体に、全国紙報道と思えない検証不足の粗雑な記事です。記事の大半は、発表者の不用意な発表資料のせいでしょうが、全国紙掲載には、受け売りでなく新聞社としての考察が不可欠でしょう。

 読者は、当記事を、このような発表があったという事実報道と思わず、全国紙が評価した学術発表の報道だと解するので、虚報連座の罪は重いのです。

                              未完

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