倭人伝の散歩道 海上交易と渡し舟 3/4
2018/01/08
*渡海伝説の試み
これも、念押しだが、諸兄は、早々と狗邪―末羅区間の渡海は一貫したものと決めつけているのではないかと気になってきた。推定を検証して信ずべきとしているのなら良いが、結論に飛びついてはいないだろうか。
倭人傳では、半島側から順に港を経るとして、
- 狗邪港から對海港まで、千里の渡しである。
- 對海港から一大港まで、千里の渡しである。
- 一大港から末羅港まで、千里の渡しである。
と、三回「渡し舟に乗る」と書いていて、一船で渡り切るという書き方ではないと思う。
*島巡り航法の不合理
古田氏の島巡り説は、狗邪港から末羅港まで一貫航走する海船を回航する行程と見えるが、実用的でないと見える。魏使用船は、貴重な荷物を大量に積載したから回航もあり得るかと思うが、標準行程の道里に回航は採用しないと思われる。(回航による里数整合の当否は別記事で述べた)
地図を見る限り、對海港は、細い陸峡部を挟んで対馬島の両側にあり、長丁場で危険な回航をしなくても、人も物も陸上移動で移載できるように素人目に見えるので、ことさらそう思うのである。
*渡し舟の得
ということで、三度の渡海は、毎回別便と見るものではないかと思われる。使用する便船は、両側の港が、それぞれ競い合って、往復運行していたものだろう。今日、シャトル便というのは、織機の飛び杼のように、めまぐるしく往復運動することから呼ばれる。
往復便であれば、漕ぎ手は、慣れた区間を規則的に往復するだけである。便船も、短距離区間の往復で軽便になるので、複数建造することができる。
一大港と末羅港間は、最短区間なので、軽便で漁船に近いものでも務まったのではないか。
*瀚海渡しは別仕立て、か
ただし、對海港―一大港間は、海峡中央部で流速が速いと思われ、ウネリも厳しかろうということで、「瀚海」と難所扱いであるから、漕ぎ手の多い大型船ではないかと思われる。
そのように適材適所の配船ができるのも、短区間の渡海船だからである。
未完
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