倭人伝の散歩道 番外 稲部遺跡調査報告の怪 3/5
2016/10/18 2018/01/09
引き続き毎日新聞朝刊大阪第13版の1面記事の掘り下げです。
つまり、いい加減な主張が掲載されたのは、彦根市教委発表のせいなのか、毎日新聞記者の誤解のせいなのか、もう少し検討しようというものです。
と言っても、目下の所、今回の記事の元となった「プレスレリース」(報道機関向けの説明資料)が公開されていないので、仕方なく彦根市のサイトに掲載されている告知記事を引用するものです。
因みに。当記事全体の文体が丁寧なのは、当方は彦根市民ではなく、市民として市教委を難詰しているのではないとして、少々遠慮しているためです。
平成28年度「稲部遺跡発掘調査現地説明会」の開催について
彦根市教育委員会では、市道芹橋彦富線・稲部本庄線道路改良工事に伴う発掘調査を実施しています。
平成25年度から実施された調査で発見されたのは、2世紀から4世紀(弥生時代後期中葉から古墳時代前期)の大規模な集落跡です。
稲部遺跡が最も栄えた時代は、3世紀前半、弥生時代から古墳時代へ移り変わる時代、つまり、邪馬台国と同じ時期にあたります。
中国の歴史書「魏志倭人伝」には、このころ、倭(=日本)には、魏もしくは出先の帯方群と外交している国が30ヶ国あったとあります。おそらく、稲部遺跡も、この国々の一つの中枢部だったと思われます。
稲部遺跡からは、180棟以上の竪穴建物に加え、王が居住するにふさわしい大型建物、独立棟持柱建物が発見され、当時、保持することが勢力に大きな影響を与えた鉄器の生産が行われた鍛冶工房群、青銅器の鋳造工房も発見されています。祭祀都市・政治都市であるうえ、工業都市でもあった稲部遺跡は、ヤマト政権成立期における近江の巨大勢力の存在を物語る大集落です。
現地説明会では、この「イナベのクニ」とでも呼ぶべき遺跡の内容と、近隣にそびえる国指定史跡荒神山古墳へのつながりについても、調査担当者がお話しします。彦根市が誇るべき、大遺跡の調査を体感できる貴重な機会です。ぜひ、ご参加ください!
未完
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