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2018年2月 3日 (土)

私の意見 英雄たちの選択 ニッポン 古代人のこころと文明に迫る 10/17

私の見立て★★☆☆☆  2018/1/3   2018/02/03記

※直列配置という選択

 因みに、建物群を一直線上に揃えるのは、総設計者が、方針を立てて指示するだけで、何ら超絶技術を要しない。建物群を乱雑にせず整然とする選択肢は、当然と思われる。
 洛陽城等の大規模都城は、直線配置にしなければ構成できず、権威などと言ってられないのである。

 これほどの建築物を構想、作図、施工監督できるほどの人材であれば、手元にいろいろ前例を書き留めていたろうから、別に驚くことはなかったと思うのである。

 いずれにしろ、一旦建物の建築が始まれば、縄張りできないので、整然と配置できないことは、自然の理である。全て、段取りの問題であり、経験豊かな総監督と手際のよい大工頭が揃って始めてできることである。

※突然の角材建築

 要は、鋸も鉋もない時代、柱材にする木材を山から切り出して角材に製材するとき、定寸に仕上げるのが大変困難(実際上不可能)であったと愚考する。

 伐採地近くでの製材段階から入念に指導しなければ、必要な木材の必要な寸法の角柱は手に入らない。

 鋼製大工道具が大量にあれば、時間をかけて仕上げることはできるが、三世紀前半、そうした大工道具を駆使する大工を揃えられなかったはずである。盆地周辺で柱材を伐採しても角柱を揃える困難さは絶大ではないか。

 ついでながら、後世の寺社建築のように、角柱をほぞ組みして組み上げるには、当時の在来技術から見ると、超絶的とも言える設計技術と加工技術が必要であり、しかも、設計図面のような実制作の裏付けのない、単なる構想(コンセプト)では、俗に言う画餅であり、とても実現できなかったと思われる。

 繰り返すが、ここで想定している纏向建物群は、とても、三世紀の技術ではできなかったものであろう。できていれば、当然、直ちに君主の居所など実用に供されていたはずである。

※応用展開
 それにしても、木造建築の技術と経験は、墳丘墓の採石、土木工事は、専門外であり、ほとんど生きなかったと思う。おそらく、現場監督は、総入れ替えになったと思われる。
 用材の伐採、製材に始まる建物群の大規模技術は、建物にしか活かされないのである。

 各地の墳丘墓造成には、新たに訓練した職人が多数派遣されたはずであり、それぞれ、文書化した指南書を持参したはずである。かなりの人数が、読み書き算術に習熟していたはずである。
 巨大な墳丘墓の造成は、大仕掛けであり、文書連絡無くして達成できないからである。と愚考する。

                     未完

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