私の意見 英雄たちの選択 ニッポン 古代人のこころと文明に迫る 14/17
私の見立て★★☆☆☆ 2018/1/3 2018/02/03記
※広域連合の虚妄
交通手段が未開通で、しかも、文書通信の存在しない、できない時代、九州北部の筑紫と中和(中部大和)の纏向を結びつけた広域連合が成立していたというほら話に従うと、事ごとに不審感がやってくる。
例えば、伊都国の一人の人物(卑弥呼)の擁立について、中和(大和中部)の地方政権であり、倭人伝に名の出ていない纏向政権がどうやって知り得たのだろうか。
一ヵ月どころではない行程を駆けつけた伝令による召集を受けて、一か月どころではない行程を歴て、遠隔地の連合総会に出席するのだろうか。とても、国の体制を維持できないと思う。
※音信不通
広域連合だと、立候補者に賛成するには、その場で投票するしか手段がないし、連合総会の決議に不満を抱いて脱退しても武力制裁のしようがない。諸国一体化どころか、けんかもできない遠隔交際である。と愚考する。
各位は、当時、中和纏向から九州北部に届く広域政権が成立していて、一貫交通ができていたと決めてかかっていて、論点は、広域政権所在地だけのようになっている。
しかし、三世紀前半、東西の果ての相互間で物資の流通があったということを示す出土遺物以外に、何を巨大政権説の根拠にしているのだろうか。
※狹域連合の勧め
結局、三世紀の社会に見合うものは、広域ならぬ狹域連合でしかない。と愚考する。
新王擁立の諸国総会は、諸国が出席に五日程度要する範囲に限られれば、なんとか想定できるのである。
もちろん、それはそれとしても、通常の手順として、月に一度、国王臨席の朝会に参集できるかどうかである。
文書通信のない時代、報告、連絡、指示、通達は、面談するか、伝令の伝言しかないのである。相互に、報告、連絡、指示、通達がなければ、統治-被統治の関係が維持できないのである。ほぼ筑紫内の狹域連合であれば、各国から盟主に税務、労役、軍務の義務が果たせるのである。
広域支配としたとき、筑紫から中和まで大量の食糧貢納は不可能であるし、人員の労役、軍務派遣も同様に不可能である。何をもって支配というのか、疑問が絶えない。
繰り返すが、多少の産品であれば、交易の鎖を辿って、数百㌖を、数か月、数年を経て移動できるが、一気に持参などできないのである。
未完
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