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2018年2月 3日 (土)

私の意見 英雄たちの選択 ニッポン 古代人のこころと文明に迫る 16/17

私の見立て★★☆☆☆  2018/1/3   2018/02/03記

※古代文明の興亡
 確認すると、蘇我氏は、河内平野中南部に本拠を持つ氏族集団、言うならば、南河内勢力であり、誰かの臣下ではなかったようである。
 有力豪族の中で新来であったために、広く張り巡らされていた同族連携の「氏神」の網が持てなかったということであろう。その不足を乗り越えるために、先ずは、各地に広く親族を配置している物部氏を排除し、次に、仏教信仰を利用して、氏神を覆い隠す「氏寺」の網を張ろうとしていたものと思う。

 蘇我氏は、すでに、確固たる政権として、創世神話を編纂する機会まで得ていたから、あえて、既存政権を打倒する必要はなかったはずである。

 蘇我氏は、そのように、効率の優れた専制「国家」であったため、英邁な元首の死によって、あっけなく瓦解したのであろう。各地に親族を住まわせていた物部氏が、宗家が討伐されたために、一気に瓦解したのに通じるもろさである。

※大和国台頭
 言うまでもないが、後年の仏教国家は、諸国に国分寺を設けて、その土地のものを氏寺に帰属させ、国分寺を媒体として、戸籍などの文書管理を普及させ、中央の指示文書で地方が服従する首尾一貫した体制であり、蘇我氏の敷いた手本の上に、平城京を中心とした「日本」が形成されたものと思われる。
 多分、この辺りの推測は、定説に近くなっていると思うが、差し障りがあって明言できないと愚考する。
 ということで、普段は、国内史料批判は控えているが、今回は、避けられなかった。

※喪われた蘇我文明
 司会の見識として賛嘆に値するのは、蘇我氏が文書管理したことを「蘇我文明」と呼んでいることである。ただし、この文明の文書記録が残されていないので、後世の文明は、「蘇我文明」の後継とは言えないのである。
 そして、蘇我氏の風雅や情感は残されていないから、現代人は、「蘇我文明」のこころに学べないのである。

 残された記録は暗殺者のものでしかない。暗殺者は、親族内の争いで、最後には、古代史最大の内戦を招き、多くの犠牲者を出してまで、権勢の保持を図ったと伝えられている。と愚考する。

 現代人はそのような文明を受け継いだのだろうか。
                     未完

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