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2018年4月26日 (木)

私の意見 邪馬台国の会 第367回講演記録 長大論 1/3

                       2018/04/26
第367回 邪馬台国の会

 1 中国・後漢末の動乱 2 倭国の大乱 3 古代青銅鏡小史

私の見立て 後記部以外は、未読のため、無評価。

 当ブログ記事は、安本美典氏主催「邪馬台国の会」が、概算で三十年を越えて、ほぼ月例で開催している講演の記録紹介と批判である。当ブログで「批判」が論点否定でないのは、いつもの通りである。

私の見立て ★★★★★ 2倭国の大乱 の当部分に限る
 首掲サイト記事の講演会記録は筆者紹介がなく、主催者安本氏が書かれたとしている。失礼があればご容赦いただきたい。

■長大---長大(ひととなる)
『魏志倭人伝』につぎの文がある。

卑弥呼の年齢について述べた個所である。
「年、已(すで)に長大なれども、夫壻(ふせい)無し。」

 この文のなかの「年已(すで)に長大なれども」とはどういう意味であろう。なんとなく「おばあさんであるが」という意味のような印象を受ける。「おばあさん」とはいかないまでも、「年をとっても」などと翻訳されていることが多い。

 しかし、ここの「長大」はその上よな(ママ)意味ではない。「成人したけれども」あるいは「大人になったけれども」の意味である。それは、日本の古典の使用例からも、中国の文献の使用例からも、そう言える。


*明解・堅実な論考
 上記引用部に始まる安本氏の論考は、古代史学界の泰斗にふさわしく、論拠と論旨が明快であるので、このような明言をいただき感謝すること大である。
 まず、「」で、筑摩書房版三国志魏書の日本語訳を引用され、「定説」に対して、内外文献を根拠に合理的な「長大論」を展開される筆致は燦然たるものがある。

 「倭人伝」の「長大」の解釈を論じて、壮語を避け、着実に足場を踏み固めて論説する進め方は、論旨に同意できない方達も物書きとして大いに参考とすべきであると考える。

*豊富な古典用例
 私見では、日本の古典の用例は、後世資料であるので、参考でしかないと思うのだが、その執筆時点で継承されていた字義を示していて、数世紀遡った三世紀に典拠とされていた字義、すなわち、「長大」は、現代語でも言う「成人となる」(動詞表現)で使われていたとの用例解釈は尊重すべきである。当ブログ筆者が浅学の分野であるが、「論じ方」に賛成する。

*余言あり
 余計な素人考えかも知れないが、ここは、個別用例の学術的評価であるから、各用例の評価を怜悧に揺らさず、「文脈から、然々(しかじか)の意味で用いられていると見る」と揃えた方が、拙く(つたなく)見えても、一般読者が解釈に困らなくて良いのではないか。

                                                    未完

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