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2018年4月29日 (日)

私の意見 邪馬台国の会 第367回講演記録 大乱小論 2/3

                         2018/04/29
私の見立て ★★☆☆☆ 当部分に限る

*景初三年の怪 再説
 皇帝曹叡(明帝)の臨終の床での司馬懿謁見は、三国志全巻でも燦然としていて、晋朝創業に繋がる吉兆として描かれているが、それにしても、帰還即日参上は誇張であり、数日前、つまり前年中に洛陽の自邸に帰着しているはずである。

 明帝享年混乱の一因は、明帝が没した月を、前年景初二年の「後の十二月」として、一月一日の命日を避けたことに起因した混乱にあるように思われる。当時の数え年齢では、景初二年没と景初三年没では、享年が一年違うのである。

 因みに、健在、病臥に拘わらず、皇帝が署名すれば、皇帝印を押した詔書は発行できるし、時には、皇帝署名無しでも詔書は発行できる皇帝は「自然な」行いはできないのである。

*翰苑論 再説含む

 論拠とする史料、翰苑の紹介が端折られているが、現存する世界唯一の写本は、全巻でなく写本残巻である。

 また、翰苑は史書ではなく通史でもない。もちろん、国家として編纂を進めたものではないから、帝室書庫の正史原本などを参照することはできなかった。確か、勅許のない民間人の史書編纂は、大罪であった。張楚金の編著がどのような位置付けで行われ、唐時代に写本継承され、どのような経緯で二世紀近い後年に雍公叡によって付注されたのか一切不明である。

 後年正史と認定された三国志や後漢書ですら、写本継承の経過が不明だから、一切信用できないとする論客があるくらいだから、翰苑や国内史料は、異本、異稿との丹念な比較検証を経ないと、どこまで信用できるか不明ではないかと思われる。

 翰苑記事が「はっきり」書かれていることを採用根拠としているが、文字を書いた人間が原稿を書いたのでは無いから、「はっきり」記していても誤記はある。

 古来、二と三との取り違いは、珍しくない。まして、「翰苑」残存写本断簡は、筆運びが華麗で字形が妖しく、素人目に明らかな誤字をしばしば堂々と書いているので、書かれている文字に、無条件の信を置くべきでは無いと思われる。写真版を見て頂ければ、明らかである。

*翰苑論の系譜 文献紹介
 翰苑論は、竹内理三氏の著書(「翰苑」 吉川弘文館)が嚆矢であり、史料全文写真版は唯一である。

 早い段階で考察を加えたのは、内藤湖南氏(研幾小録 舊鈔本翰苑に就きて「内藤湖南全集第七巻」)であり、後年、克明な論考を加えたのは、古田武彦氏(「邪馬一国への道標」第4章 十一歴代の倭都は「謎」ではないーー『翰苑』をめぐって)である。

 寡聞未見なだけで、諸論奮発していると思うが、世上には、子引き、孫引きか多いのでなかなか目につかない。
                       未完

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