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2018年4月26日 (木)

私の意見 邪馬台国の会 第367回講演記録 長大論 3/3

私の見立て ★★★★★ 当部分に限る

*天下三分の計
 当時、すでに五十歳の左将軍にしてみれば、自身の一回り下であって、主君孫権の五歳下であって同世代後輩である三十四歳であっても曹操の元で軍功を積んでいた曹丕すら「若造」だったのに、新帝曹叡は、孫権の二回り下で、軍功も何もない年端もいかぬ子供、幼帝ではないか、恐るるに足らずと酷評したと思われる。

 進言の時点まで、孫権は、江東に君臨していたというものの、強大な魏に臣従して、長江上流に割拠する蜀漢との抗争を有利に進めようと帝位を称さずにいた。
 しかし、進言を受けて、天下を眺めると、非力な曹叡を頂く曹魏には、天下統一の威勢無しと見極めたのである。

 かくして、西暦二百二十九年、孫権は呉国を創立して、天子に就き、さらに蜀漢と和解して簒奪者曹魏を攻撃する姿勢を取ったと呉書は述べているようである。いわば、東呉版、天下三分の計であるが、三国三君でも、孫権の評判は悪いので、諸葛瑾も割を食っているようである。

*古田説への異論
 閑話休題。
 以上、論拠のない当て推量ばかりの余談が長引いてしまったが、当呉書記事は、そのような由来で書かれているのである。

 古田武彦氏は、三国志は、陳寿によって、統一した方針で編纂されたという見方をしていたため、いわば、当然の帰結として、「倭人伝」「長大」解釈の随一典拠として卑弥呼三十代説の用例として依拠したものである。

 しかし、以上、長々と講釈したように、当記事は、客観記事でなく、東呉が自立を正当化するために「作った」記事と解すべきであり、従って、諸葛瑾によって「長大」と形容された曹丕即位時の実年齢三十四歳自体は単に参考とすべきである。と言うのが、当ブログ筆者の頑固な古田説批判である。

*堅固な論説
 誤解されると困るので念押しすると、安本氏は、曹丕用例に特別な意義を見ず、国内史料考察を中心に着実、かつ柔軟に積み重ねて堅固な論拠を積み重ねているのは、揺るぎない末広がりの堅固さであり、論考姿勢としてまことに賢明と言える。

 古田氏を始め、古代史解釈において、素人受けする「ユーレカ」事例(アルキメデス気取り)や「コペルニクス」事例に肖る一発論説はしばしば目にするが、学問の世界は、着想が全てではなく、堅固な物証、論証の積み重ねに注目すべきである。

 本記事における「長大」論展開は、目立たないが、安本氏畢生の偉業と考える。(迂遠な自画自賛とは自覚している)
                                          完

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