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2018年4月23日 (月)

今日の躓き石 暴走に関する苦言 法の精神(正義)はどこに

                      2018/04/23
 今回の題材は、新聞の誤記とか言うものでなく、司法界の心得違いを問うものである。
 
 一例では、無免許運転で暴走していた車が死亡事故を起こしたのに対して、無免許運転で事故を起こさず走行してきたから、運転者の技量は十分であったと判断するという論法である。
 
 当時すぐに思いついた反論があったのだが、司法関係者が判断すべき事項であり、やじうま的な議論は控えたのだが、六年を経て、どこからもそのような異議が出ていないようなので、当方の素人考えをここに公開する。
 
 被告は、無免許運転の暴走という違法行為の果てに死亡事故を起こしたのであるから、被告は、事故を起こす以前から無免許運転という違法行為をしていたのである。そのような違法行為の結果を、被告に対して有利に援用するのは、法の精神、つまり、正義に反しているので、証拠として採用すべきではないと考える。
 
 誰が考えても、被告の違法な無免許運転は、たまたま、事故を起こさなかったと言う「結果オーライ」なだけで、技術未熟な、あるいは、違法で危険な運転をしていなかったという証拠は無いのである。一定時間走行して事故が起きなければ、運転者の技量を認定するのであれば、現行の運転免許試験は、無意味と言われかねない。
 
 それとも、権威ある第三者の見解で、運転者の技量を称する基準として、そのように証言されたのであろうか。
 
 裁判の基本は、推定無題であるが、証拠を悉く被告に有利に判定するというのでは、法の精神は地に墜ちると言わねばならない。
 あるいは、被告が、正統な裁きを受けて、受刑し、自身が犯した罪を償う機会を奪うものと言うこともできる。まことに不公正ではないか。被告は、終生、巧妙な言い逃れで、自身の犯した罪の報いを免れた卑劣漢と指弾され続ける軛を負い続けるのである。
 
 弁護人は、自身の功名を追究するのではなく、被告の全き贖罪を追究すべきではないかと思う。
 
 以上の通り、いずれの立場から見ても、被告が違法状態で成した違法行為の結果は、被告に有利な証拠として採用してはならないと考えるものである。
 
 言うまでもないが、当方は、いかなる権威も持たない私人であるから、以上に述べた見解が、法的に正しいと主張するものではない。
 
以上

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