私の意見 邪馬台国の会 第367回講演記録 惨状論 1/4
2018/05/01
1.中国・後漢末の動乱 2. 倭国の大乱 3. 古代青銅鏡小史
私の見立て 後記部以外は、未読のため、無評価。
当ブログ記事は、安本美典氏主催「邪馬台国の会」が、概算で三〇年を越えて、ほぼ月例で開催している講演の記録紹介と批判である。当ブログで「批判」が論点否定でないのは、いつもの通りである。
私の見立て ☆☆☆☆☆ 1.中国・後漢末の動乱の当部分に限る
講演会来場者がどのような感慨をもたれたかは、当方の知りうるところではないが、端的に言うと、この部分に関しては安本氏の権威と品格に相応しくないものであり、サイトで公開するに適しないものと考える。想像力の豊かなかたは、PTSDなどの心理障害を避けるため、目や耳を塞いだ方が良いと思う。
首掲サイト記事の講演会記録は筆者紹介がなく、主催者安本氏が書かれたとしている。失礼があればご容赦いただきたい。
■「思痛記」にみる惨状
日本の歴史では考えられないが、中国では戦乱などの混乱での殺戮は大規模で悲惨である。この2世紀の黄巾の乱の殺戮について詳細な記録は残っていないが、19世紀の太平天国の乱で、殺戮の惨状が書かれているので、参考に示す。
*異議提出
いきなり、冒頭の釈明に異議がある。
1.国内史実の確認
「日本の歴史では考えられない」と言い切っているが、「日本」の歴史、つまり七世紀以降に限るとしても、一度ならず大規模な殺戮があったのは衆知ではないか。話者は、考えられないのではなく、知らないだけである、と譏(そし)られかねない失言である。
一つは、戦国時代末期、一向一揆の集団に対して行われた撲滅策であり、もう一つは、江戸時代の初期、天草、島原の一揆に対して行われた撲滅策である。
いずれも、宗教集団側の身命を惜しまぬ不退転の団結と、天下平定の天命に従い、その徹底的な排除を進める攻撃側の強固な戦意が、不倶戴天の敵対を招いた不可避な事態である。
*一向一揆顛末
戦国後期の一向一揆は、領主の統治の後退によって勢力を拡大し得た各地に設けた強力な出城を、多くの犠牲を払ったとは言え、悉く撲滅した武装集団(実名を出すと、織田信長指揮下の軍団であるが以下、実名は避け、図式化する)の包囲攻撃に、石山本願寺を本拠とした未曾有の堅城で頑強な籠城策を採ったが、数年に亘る、執拗、かつ、頑強な攻勢を受け、信徒が悉く「殉教」する最悪の事態を避けるため、指導者(実名を出すと、顕如であるが、以下、実名は避け、図式化する)が、武装闘争を放棄し、自ら開城の上、全員退散する和平策を受け入れたため「最悪の事態」は避けられた、と素人なりに理解している。
未完
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