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2018年5月 1日 (火)

私の意見 邪馬台国の会 第367回講演記録 惨状論 3/4

          2018/05/01

私の見立て ☆☆☆☆☆  1.中国・後漢末の動乱の当部分に限る

*太乱屠城
 太乱の暴挙の中には、幹部の一人が殺害された時に、報復として「屠城」、つまり、都市住民全員の殺害を行ったと記録されているが、太乱賊徒にしてみれば、正当な復讐、制裁であり、何ら良心の痛みは感じなかったと思われる。

*文書批判
 以下、「軍隊としての規律がとぼしい太平天国の賊徒」と前置きして、清朝御用達の反「太平天国」の視点で書かれた文書が引用されている
 歴史上の事実として、太乱は回天の志を遂げずに敗北したから、勝者たる清朝の戦後処理では、その行いを悉く貶めるのが急務であり、まとめられた文書は、事実の忠実な報告を意図したものでなく、「偏見」「曲筆」の精緻であるのは、自明と思う。

 まして、先に引用したような一方勢力に加担した前置き付きで、偏向したと想定される文書の内容を書き立てるのは、この通りに歴史に学べとばかりの偏った引用紹介であり、安本氏の講演として、「絶対に」適さない。

*無用な偏見刷り込み
 と言うことで、ここに引用された太乱資料は、十九世紀の歴史上の事実を紹介するものとして不適切である。
 また、十九世紀史料は、二世紀の黄巾の乱の際の惨状を推定する参考として全く見当違いである。
 付け加えて言うと、二世紀の黄巾の乱と倭国の乱との関連も、不確かであると考える。 

 そのように、本件資料をもとにした史学的な考察が成り立たない可能性が極めて高い上に、このような資料は、聴衆にとって無用な残酷行為の描写が聴衆に、後々まで消しがたい深い悪心証を与え、加えて、聴衆に、中国五千年を通じ、戦いに残酷行為が相場であったという、歴史理解の邪魔になる有害な中国観を刷り込むものとなりかねない「有害資料」であり、その取り扱いに異議を禁じ得ない。

*暴言の波
 すでに、さる公共放送の番組で、猿ならぬ人のコメンテーターが、突然、弥生社会に乱入した「掠奪」主義が倭国の乱の原因であったと、幼児のごとく喚き出す態を示し、そういう安直な暴虐古代史観が、史学会に蔓延しているのではないかと懸念するのである。

*人口激減考察
 同時期の中国は、古代国家が確立されて久しく、全国くまなく戸籍が整備され、帝国の骨格となっていたが、漢末、中央政権が壊滅し、要地にあって地方鎮守する軍事拠点が、武力と資材備蓄を備えていたので、各地に紛争が生まれたのである。

 生じた広範囲の動乱は、動員農民が不在で、耕作物に対する飛蝗やネズミの大規模な被害を防ぐことができなかったための収穫喪失も含めて、人災としての飢饉を呼び、留守家族を含めた地域社会に大損害を与えた結果に至ったと思われる。

 人口十分の一は、ただごとでなく、実際にそうなれば、当該地域社会が崩壊し、生存者も程なく死に絶える。それこそ、県単位で地域社会が消滅したことであろう。

 案ずるに基礎となる地域戸籍の壊滅、地域戸籍集計による広域人口調査の劣化が主因と思われる。

 戸籍が捕捉できないと、税務としての食糧収集もできず、広く遠隔地にまで日々の食料を求めていた、つまり、到底食糧自給できない首都圏など帝国中核部の飢餓などで、人口額面通りの実害が出たとしても不思議ではない。
                                          未完

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