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2018年5月 1日 (火)

私の意見 邪馬台国の会 第367回講演記録 惨状論 4/4

        2018/05/01

私の見立て ☆☆☆☆☆  1.中国・後漢末の動乱の当部分に限る

*大量殺戮
 いやな言葉で、大量殺戮と言うが、三世紀に行われた悪名高い曹操の「仇討ち」のように、強力な軍隊組織が、指揮官の厳命で取り組まない限り、組織的な軍事行動として持続されないと思うのである。

 「太乱」に限らず、蜂起勢力にとって、地域社会は、勢力拡大の原動力であり、貴重な戦力を割いての収穫無き殺戮は考えられない。

 古来、他国侵略の際は、他国政権に、復旧負担を与えるために掠奪、暴行が、半ば許容されるが、将来自国に併呑すべき土地では、掠奪、暴行が、厳禁されるのが常道である。

*倭国概観
 以下は、個人的な、つまり、素人考えの考察であるが、三世紀に先行する倭国前代、村落に近い小規模なクニ(国邑)の散在状態と思われる。自然、近隣との交流が先にあって、婚姻などの親戚づきあいが生じたと思われるから、互いの喧嘩、諍いは、氏神の祭礼などでの駆け競べ、力比べにより勝敗を競い、様々な場で優先権を定め、戦いに至らない工夫がされたのではないかと思うものである。

 そもそも、武装と軍糧を備えた常備軍無しに全面戦争は不可能であるし、全面戦争に農民を大量動員して戦争を拡大すれば、広範囲で農耕が停滞し食糧生産が大不振に陥り、数年を経ずして深刻な飢餓がやってくるのである。全滅である。

 いや、戦闘を重ねるにつれて、双方に死傷者が増え、仇討ち、復讐、仕返しの激情が、止めどなく過熱化するのは、古代であっても、むしろ自然な成り行きと思われる。

 そのようなことは古代人にとって、自明であったから、戦いではなく、折り合いが求められたはずである。そうであったという証拠は無いが、全滅が発生しなかった以上、どこかで分別が働いていたのである。

 今回、この項では、諸国分立状態では戦乱が「歴史の必然」とばかり長々と饒舌を振るわれているが、何のために、そこまで話題を迂回させて、後漢書にしか書かれていない「倭国大乱」を、広域戦乱と実証しようとしているのか、一向に見えてこない。

*無用の暴力的、猟奇的記述・表現
 なお、Wikipediaでは、一部、好ましくないと判断した記事、例えば、暴力的記事に対しては、冒頭に警告が付されている。「この記事には暴力的または猟奇的な記述・表現が含まれています。」読者に、心の準備をする余裕を与え、読者に、忌避する選択肢を与えるものと思われる。

 今回の講演記録のこの部分では、邪馬台国の会の名声から期待される品格が損なわれるような、無用、かつ無効な「暴力的または猟奇的な記述・表現」が長々と述べられ、いたずらに聴衆の感性を攻撃して、学術的な講義としての意義を見いだせない。

 当世風の言い方に染まると、一種の学術的な聴衆虐待、アカデミックハラスメントではないかと危惧される。

 一度、関係者の皆さんがじっくり考えて、ふさわしい対処をしていただければ、まことに幸いである。
                        完

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