今日の躓き石 毎日新聞 スポーツ報道の解決されない課題
さて、およそ課題は、解決可能なものと解決不可能なものがある。永遠の課題などと、不朽の生命を保つ課題は、別に珍しくない。
今回挙げている課題は、選手個々の身体特性をあげつらっているものであり、個人としての解決はほぼ不可能であるから、チームとしては、身体検査でもして、特性の不足している者と特性を満たしている者とを入れ替えるしか無いのである。
担当記者は、身体特性による選手入れ替えを、強硬に主張しているようである。
« 2018年4月 | トップページ | 2018年6月 »
2018/05/23
「更新版の AdSense 利用規約をご確認ください」と題して、
「Google AdSense チーム」からメールが届いた。
「Google AdSense オンライン利用規約」へのリンクを掲示して、「確認」することを求められた。
「確認」とは、以下のことを言うようである。
必要なご対応: AdSense アカウントにログインし、更新版の利用規約をご確認のうえ同意してください。規約についてご不明な点がある場合は、法務顧問に相談されることをおすすめいたします。
これは命令文であり、「法務顧問」との相談を指示されているが、当方は、一個人なので、相談の相手がない。
問い合わせ、質問の類いは、通常の相談窓口から問い合わせよということらしい。
この更新についてご不明な点がございましたら、お客様のアカウント担当チームにご連絡いただくか、ヘルプセンターからお問い合わせください。
当方は、とつぜん「お客様」と呼びかけられているが、「アカウント担当チーム」など持っていない。
ヘルプセンターに下記問い合わせしたが、責任ある回答が来そうもないので、ここに公開質問状を掲示する。
提案されているAdSense 利用規約に関して、法務的な異議があるので、問い合わせしたい。端的に言えば、違法な契約になっているので、改善をお願いしたい。
法務顧問がいない一人者(ひとりもの)なので、ほぼ独学の素人質問でまことに恐縮だが、これだけ厳重な契約文を持ち出されて、対応を誤ると、とんでもない目(刑事告発、巨額賠償請求、法廷闘争)に遭いそうなので、丁寧に確認するのである。
まず、丁寧に読むと、提供されているのは、「規約」と言いながら、内容は本格的な契約である。現に、表だっては規約、確認と書かれているが、下には「契約」に「同意」せよと書かれている。概念のすり替えでは無いか。
つまり、当方は何者かとの契約締結を命じられているらしい。と言うことで、提案されている契約文が妥当なものか、真剣に、逐一検討し、必要と思われる質問、異議を述べることになる。
随分苦慮したが、他の「お客様」も共通した問題を提起されて苦慮しているだろうから、出入り禁止の人柱となる覚悟で提起するものである。
なお、提案の利用規約案は、公開情報では無いが、機密情報とは明記されていないので、言いがかりで無いことがわかる程度に、最低限必要な範囲で以下引用する。
特に、すぐ上のイタリア景観と対比すると、新装なった駅舎を見せない演出が意図不明なのである。そういえば、個人的には気に入っている新丸ビルも写っていない。どういう意図なのか、これも不審である。
*「時を重ねる景観」私見
以下、得々と私見を述べるが、これは勝手な私見であって、別に読者に同調を求めているのではない。
「古さと新しさが混交し」、「統一感のあるストーリー」を説明できないとおっしゃるが、「13-15世紀」の原景観と比較されても困惑するのである。
13世紀と言えば、鎌倉時代であるし、15世紀は、戦国時代という事でしかない。現在の東京は、ほとんど草ぼうぼうの未開地であり、半ばは海底であったように思う。
*生きた大都市の現在
16世紀末の家康江戸入りまで時代を下っても、当時の風情は、浅草寺に微かに残っているくらいであり、それ以後も、江戸時代の都市造成、埋め立てと大火、維新時の洋風化、震災、戦災で、原景観の大半、と言うか、事実上全ては失われ、その度に発展的に復興されてきたのではないか。
なにしろ、江戸は100万人の生活を支える大都市であったし、後を受けた東京も、この150年間、専ら、政治経済分野で、多数の都民とさらには全国国民を支えたのである。
東京は、生きた都市であり、中世の化石ではないのである。言い方が悪いかも知れないが、汗だくで日本全国を引き立てていった馬車馬の如き無比の存在であり、ミュージアム(美術館、ないしは博物館)の展示物、レジェンドではないのである。
比較する相手が間違っている。せめて、京都と比べるべきではないか。
*ローカル視点と全国視点
それにしても、「統一感のあるストーリー」を説明したいなどと言う東京地区でしか通じないローカルな話題に、近畿圏住民として口は挟まないが、東京都民にどうしろと主張しているのだろうか。まあ、内輪の「恥」を全国紙に書き立てないことである。
*未来の流れ
そもそも、生きた都市は、時が流れ、人は変わり、景観も変わる中で、歴史を残しつつ未来に移っていくものではないか。
なぜ、実現しようのない、後ろ向きの時代感に囚われているのか、理解できないのである。「今どき」の人は、空想的な懐古主義なのだろうか。そのような論理が空虚なのは、肝心の駅舎を隠した広場景観写真にあらわれているように思うのである。
*私見御免
以上、後半の私見に賛同するかたは少ないだろうが、広場写真の欠陥には、大抵の人が同感してくれるのではないかと思い、ここに書き上げたのである。
以上
いや、この囲み記事は、考古学的考察ではないので、直感的な感想を述べさせて頂いただけである。
私の見立て★☆☆☆☆ ホラ話の提灯持ち 2018/05/15
今回やり玉に挙げるのは、毎日新聞大阪朝刊13版社会面の古代史記事である。
驚き桃の木というのは、「邪馬台国強まる畿内説」と大見出しを付けているからである。通常、前日の夕刊の報道と重複する場合は、一部既報と明示するものだが、それは抜けていて、本記事が初出のようになっている。
ここでは、ニュースソースは、桜井市纒向学研究センターが「公表」したとされているが、同センターのサイトに告知はないし、当然、公開資料もない。
ここに書かれていない「14日に公表した研究紀要」を撤回していて、「公表」されたというものの依然として事実確認ができないし、どこまでが公表内容でどこからが記者の私見なのか確認しようがない。
見たところ、「2018年2月24・25日の2日間、纒向学研究センターにおいて平成29年度定例研究集会を開催しました。」とする定例研究集会での発表を「公表」と言っているのかとも思うのだが、なぜ、二ヵ月以上経過したこの時期に、二大紙が慌ただしく報道したのか、依然としてわからない。堂々と記者会見なり記者発表なりするのが「公表」の常道と思うのだが、なぜか、いかがわしい「リーク」なる闇取引をするのか、暗雲が漂うのである。
また、本日の報道の本体部分は、名古屋大の中村俊夫名誉教授が、長年に亘り孤軍奮闘していた年代測定方法を顕彰しているようである。
あくまで、提供サンプルのC14年代測定が、ご自身の学究の一つの集大成、つまり、最善の努力による最善の結果であると説明されているものであり、その範囲に限り特に異論は無い。
教授自身も、「この数字をどう捉えるかは考古学者の方たちに委ねたい」とあり、古代史考察は一切行っていない。まことに至当である。
と言うことで、この記事は、立派な意義のある紹介記事だが、あくまで参考記事であり、報道内容の裏付けとなるものではない。まるで、スポーツ面の優勝選手紹介である。
となると、夕刊、朝刊に書き出されている「邪馬台国」論は、纏向学研究センター寺沢薫所長の公式見解に基づいたのだろうか。というものの、その発言は、「纏向が三世紀中頃に収まることを示す重要な資料だ」と引用されているだけである。スポーツ面の監督談話のようだが、独占インタビューでも行ったのだろうか。
ここに掲載された断片的な発言の根拠は不確かだし、どこにも、毎日新聞記者が書き立てているような華々しい議論は述べていない。
つまり、毎日新聞の書き方は、研究者が断言していないと思われる事項を、記者の個人的な偏見に基づいて、勝手に断定していていると受け取られるものであり、まことに不穏当である。
丁寧に解すと、今回「公表」されたのは、桃の種の時代鑑定のはずであり、それが、遺跡の時代鑑定にどのように連動するかは、まだ、議論し尽くされていないはずである。十年早いのではないか。
今回のC14鑑定で示された年代は、研究者の研究活動の小宇宙では、その諸法則に基づいた厳密、不屈のものであるが、最後は、鑑定者の手によって、現実世界に「着地」しているのである。いや、これは別に非難しているのでなくて、研究者が必ず取り組む難業を言うのである。鉄棒演技の着地が、技術の最高到達点を示す離れ業であるのと同様、研究者が取り組んだ未踏の小宇宙から現実世界へ降り立つのは、安易なものではないのである。いや、ついお説教口調になってしまったが、別に罵倒しているのではない。
研究者は、自身の見識に基づいて書き上げた補正用のグラフと重ね合わせて、確信を持てる100年の年代幅を提唱しているのであるから、測定結果を、神の業の如き厳密、厳正なものと言い切れないことは、研究者自身がご存じのはずである。
こうしてみると、中国史書に書かれた「卑弥呼」の住まいが、どこにあったかという決定的な議論に辿り着くには、解決すべき課題が、幾重にも、幾方向にも山積しているのは衆知、自明である。
古代史学界は、『「倭人伝」に「邪馬台国」と書かれていない』という、基本中の基本論点すら、未解決のままに店ざらししているから、後漢書の「卑弥呼」にしかたどり着けないのである。まことに、杜撰なものである。
してみると、ここでは議論の積み重ねが成立しないのかも知れないが、凡そ学問は、段階的な論証の積み重ねである。
もし、センターが、今回の鑑定結果が、年代論に終止符を打つとか、所在地論争を終熄させる、などと書いていたら、それは、国費、公費で成立している学術研究団体として自滅である。
記者の粗雑さは、大量の桃の種が「捨てられた」と見ているところにもあらわれている。
国家最高の祭祀に用いた聖なる果実の種を、汚物のように捨て去ったとみるのは、何とも無残である。種を植えれば、また桃の木が芽生えるのだが、なぜ、何を意図して、土坑に埋蔵したのだろうか。この点が解明されないと、遺跡の一隅の土坑の中の遺物の年代鑑定と遺跡の年代比定がどう連動するのか、説明できないのではないか。
余談だが、纏向学研究センターのサイトが、訪問者の右クリックを「禁止」しているのは、まことに奇怪な仕打ちである。地方自治体が運営するサイトは、成果を公表するのが使命であると思う。なぜ、「禁止」するのか、まことに理解に苦しむ。
是非、再考いただきたい。
以上