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2018年5月

2018年5月31日 (木)

今日の躓き石 毎日新聞 スポーツ報道の解決されない課題

                           2018/05/31
 今日の題材は、毎日新聞大阪第13版のスポーツ面、サッカー報道である。と言っても、誤報などを問うものではない。単に、意見の相違である。
 
 毎日新聞のスポーツ面報道、特に、担当記者の意見を書き立てる部分は、記者の心の動揺が沸き立っていて、報道の役をなしていないように思われる。全国紙の紙面は、高い品格と見識を求められる。広く読者に読まれ、世論形成に影響するので、責任は重大なのである。当ブログ記事は、当然、受けるべき批判なのである。
 
*フィジカル 変わらぬ課題
 この囲み記事は、良い例である。サッカー界に蠢いている意味不定の言霊「フィジカル」を、見出しに押し立てたのに反省したか、「強さ、高さ、スピードといった外国勢との身体的な差」を言い立てている。記者が、「フィジカル」をこの意味で言い立てているとしたら、それはそれで、一つの見識と言うべきだが、チームプレーであるサッカー(フットボール)の多様な「勝つ」要件を、大変狭い、しかも、(少なくとも、数か月では)達成不可能な特質に求めていることになる。
 
*永遠の課題
 さて、およそ課題は、解決可能なものと解決不可能なものがある。永遠の課題などと、不朽の生命を保つ課題は、別に珍しくない。
 
 今回挙げている課題は、選手個々の身体特性をあげつらっているものであり、個人としての解決はほぼ不可能であるから、チームとしては、身体検査でもして、特性の不足している者と特性を満たしている者とを入れ替えるしか無いのである。
 
*「適者生存」と「進化」の真意
 生物学的には、そのような入れ替え、不適格者の排除を「適者生存」と呼び、入れ替えでチームの特性が発展することを「進化」と呼ぶのである。

 担当記者は、身体特性による選手入れ替えを、強硬に主張しているようである。

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2018年5月23日 (水)

Google AdSense オンライン利用規約 公開質問状

                   2018/05/23

 「更新版の AdSense 利用規約をご確認ください」と題して、
 「Google AdSense チーム」からメールが届いた。

 「Google AdSense オンライン利用規約」へのリンクを掲示して、「確認」することを求められた。

 「確認」とは、以下のことを言うようである。

必要なご対応: AdSense アカウントにログインし、更新版の利用規約をご確認のうえ同意してください。規約についてご不明な点がある場合は、法務顧問に相談されることをおすすめいたします

 これは命令文であり、「法務顧問」との相談を指示されているが、当方は、一個人なので、相談の相手がない。

 問い合わせ、質問の類いは、通常の相談窓口から問い合わせよということらしい。
この更新についてご不明な点がございましたら、お客様のアカウント担当チームにご連絡いただくか、ヘルプセンターからお問い合わせください。

 当方は、とつぜん「お客様」と呼びかけられているが、「アカウント担当チーム」など持っていない。

 ヘルプセンターに下記問い合わせしたが、責任ある回答が来そうもないので、ここに公開質問状を掲示する。
 提案されているAdSense 利用規約に関して、法務的な異議があるので、問い合わせしたい。端的に言えば、違法な契約になっているので、改善をお願いしたい。

 法務顧問がいない一人者(ひとりもの)なので、ほぼ独学の素人質問でまことに恐縮だが、これだけ厳重な契約文を持ち出されて、対応を誤ると、とんでもない目(刑事告発、巨額賠償請求、法廷闘争)に遭いそうなので、丁寧に確認するのである。

 まず、丁寧に読むと、提供されているのは、「規約」と言いながら、内容は本格的な契約である。現に、表だっては規約、確認と書かれているが、下には「契約」に「同意」せよと書かれている。概念のすり替えでは無いか。

 つまり、当方は何者かとの契約締結を命じられているらしい。と言うことで、提案されている契約文が妥当なものか、真剣に、逐一検討し、必要と思われる質問、異議を述べることになる。

 随分苦慮したが、他の「お客様」も共通した問題を提起されて苦慮しているだろうから、出入り禁止の人柱となる覚悟で提起するものである。

 なお、提案の利用規約案は、公開情報では無いが、機密情報とは明記されていないので、言いがかりで無いことがわかる程度に、最低限必要な範囲で以下引用する。

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2018年5月21日 (月)

今日の躓き石 毎日新聞 今どきの歴史 駅の見えない駅前広場

                2018/05/21
 今回の題材は、久しぶりの「今どきの歴史」コラムだが、別に、大問題ではない。
*景観写真の不備
 東京駅の丸の内広場を、イタリアの「世界一美しい広場」の景観と上下に比較して、「統一感」がないと歎いているようだか、読者としては、なぜ、広場の主要な要素として、「まず」と取り上げられている駅舎が、見えないのはどうしたことか、理解に苦しむのである。
 記者は、とうに見飽きているかも知れないが、全国には、丸の内駅舎を見たこともないものも多いと思うのである。

 特に、すぐ上のイタリア景観と対比すると、新装なった駅舎を見せない演出が意図不明なのである。そういえば、個人的には気に入っている新丸ビルも写っていない。どういう意図なのか、これも不審である。

*「時を重ねる景観」私見
 以下、得々と私見を述べるが、これは勝手な私見であって、別に読者に同調を求めているのではない。

 「古さと新しさが混交し」、「統一感のあるストーリー」を説明できないとおっしゃるが、「13-15世紀」の原景観と比較されても困惑するのである。
 13世紀と言えば、鎌倉時代であるし、15世紀は、戦国時代という事でしかない。現在の東京は、ほとんど草ぼうぼうの未開地であり、半ばは海底であったように思う。

*生きた大都市の現在
 16世紀末の家康江戸入りまで時代を下っても、当時の風情は、浅草寺に微かに残っているくらいであり、それ以後も、江戸時代の都市造成、埋め立てと大火、維新時の洋風化、震災、戦災で、原景観の大半、と言うか、事実上全ては失われ、その度に発展的に復興されてきたのではないか。

 なにしろ、江戸は100万人の生活を支える大都市であったし、後を受けた東京も、この150年間、専ら、政治経済分野で、多数の都民とさらには全国国民を支えたのである。
 東京は、生きた都市であり、中世の化石ではない
のである。言い方が悪いかも知れないが、汗だくで日本全国を引き立てていった馬車馬の如き無比の存在であり、ミュージアム(美術館、ないしは博物館)の展示物、レジェンドではないのである。
 比較する相手が間違っている。せめて、京都と比べるべきではないか。

*ローカル視点と全国視点
 それにしても、「統一感のあるストーリー」を説明したいなどと言う東京地区でしか通じないローカルな話題に、近畿圏住民として口は挟まないが、東京都民にどうしろと主張しているのだろうか。まあ、内輪の「恥」を全国紙に書き立てないことである。

*未来の流れ
 そもそも、生きた都市は、時が流れ、人は変わり、景観も変わる中で、歴史を残しつつ未来に移っていくものではないか。
 なぜ、実現しようのない、後ろ向きの時代感に囚われているのか、理解できないのである。「今どき」の人は、空想的な懐古主義なのだろうか。そのような論理が空虚なのは、肝心の駅舎を隠した広場景観写真にあらわれているように思うのである。

*私見御免
 以上、後半の私見に賛同するかたは少ないだろうが、広場写真の欠陥には、大抵の人が同感してくれるのではないかと思い、ここに書き上げたのである。

以上

2018年5月17日 (木)

今日の躓き石 「傷口に塩」の無残な例え 毎日新聞相撲評

                          2018/05/17
 本日の題材は、毎日新聞大阪第13版相撲欄の松鳳山記事である。
 
 とうの松鳳山の性格は知らないが、四才のこどもから「パパ残念だったね」と言われて、傷口に塩を塗られたような、堪えがたい苦痛を感じるようなひ弱な感性の持ち主なのだろうか。いわゆる「メンタル」ケアが必要ではないか。

 いや、傷口に塩を塗ると書かれているから、傷ついている人に更に痛みを与えるとは、とんでもない残酷さだろう。冗談ではすまない虐待行為と思う。

 ご不審であれば、今度切り傷、擦り傷の時に。塩を塗っていただけば、我が身の痛みで感じられるはずである。普通は、涙がにじむはずである。ついでに胡椒も振れば、万全である。
 
 いや、記者は、どんなつもりでこの記事を書いたのか、不審なのである。

 とうの子供が、今わからないとしても、いつか知って、父親をひどく痛めつけたことに気づかされて、涙する日が来るのであろうか。力士のメンタルは、一切心配しないが、子供の心配はするのである。本当に、心配である。
 
 できたら、こんなとんでもない記事は、二度と見たくないものである。
 
 また、子供の、子供らしいおもいやりの言葉に、堪えがたいほど、深く、深く傷ついた父親には、早くたくましく成長して欲しいと思うのである。
 
 そして、平和な家庭に、外部から無遠慮に不和の種を蒔く記事は、書かないで欲しいものである。
 
以上

2018年5月16日 (水)

倭人伝の散歩道 番外 吉野離宮 毎日新聞報道紹介

私の見立て★★★☆☆                  2018/05/16

 本日の題材は、毎日新聞大阪13版社会面記事であるが、別に文句があるわけではない。手厳しい批判が続いたので、普通の記事に対して普通の意見を書いて、当ブログの「普通」を示すだけである。

 まず、当然であるが、今回の記事は、橿原考古学研究所のサイトに発表資料の全体が公開されたのを受けた報道であり、新聞社としての報道としても、飛躍、こじつけを排した堅実なものであるから、褒められこそすれ、非難する要素はない。一読者として感想を述べているだけである。

 当記事の報道は、発掘された遺跡に基づく見解として、奈良時代前半の正殿跡とみていて、推定として、「聖武天皇の吉野宮か」と控えめで堅実である。正直、冬場、平城京に比べて格段に気温が低く、酷寒とも思える宮滝地区での長期の発掘は大変だったと思う。ご苦労様と言いたい

 所感としては、資料に付された年表に、飛鳥時代の吉野宮と奈良時代の芳野宮が書き分けられていて、それなりに理解すべきと思う。

 吉野宮の建設記事だけで芳野宮の建設記事が無いとは言え、45年続いた吉野宮記事の最終項目と芳野宮の最初の項目の間に25年ほどの間隔がある以上、両者が同じ離宮と断定できないように思うのである。
 どのような屋根、壁であるにしろ、多数の営繕担当を常駐しない限り、つまり、毎年、毎年膨大な維持費を費やさない限り、25年後には廃屋と化していたものと思う。

 さすがに、平城京造成期は、離宮の維持、更新はできなかったと思われる。また、聖武天皇が恭仁京などの三副都を造成していた時期も、吉野離宮どころではなかったと思うのである。

 ついでに言うと、飛鳥時代に平城京内裏正殿風の建物は無いはずである。飛鳥時代に、どのような建築技術があったのかな、とも思う。いや、発表資料に、そうした余談は無いはずである。

 そこで、「神仙の地 万葉集に」と題した囲み記事で、万葉学の視点から、しっかりした記事がまとめられている。こちらは、考古学の記事ではないので、本来、とやかく言うことはないのだが、辻褄の合わない感じが躓かせるので、感想を書いてみる。

 七世紀まで神仙の地であったと推定されているが、八世紀には「リゾート地である副都」などと時代錯誤で場違いなカタカナ言葉を弄されているのは、「もったいない」と思う。

 リゾートと聞いて、読者が思い浮かべるのは、人それぞれ多様であろうが、中でも、地中海やカリブ海のマリーンリゾートが連想されるのであり、随分余計な連想が湧いてくる人も少なくないと思われる。いや、「リゾート」と言われて、何の事かわからない人も少なくないと思われる。
 落とし穴なのか、躓き石なのか。読み過ごせない読者にすれば、折角のご高説がそこで頓挫して、ぶち壊しになるかも知れない。

 いずれにしろ、万葉学の権威が、一般読者に伝えたいと思われる概念が霧散してしまうので、記者の段階で差し止めるべきだったように思う。「事実」をそのまま報道すれば、「真実」が報道できるわけではない。

 繰り返すが、こうした場違いな比喩を取り込んだ余談はもったいないと思う。

 ここに紹介いただいた歌は、八世紀のものと思われるから、すでに神仙の地でなくなっているように見えるが、どうなのだろうか。
 七世紀は飛鳥時代であり、八世紀は奈良時代だろうが、歳月は隔たり、人は入れ替わっていて、また、それぞれの土地から吉野、芳野までの行程は、世紀を越えると随分遠くなっているように思うので、大勢で往き来することの重みも大いに異なると思うのである。

 また、記事後半で、古代は吉野川が急流だったと言うからには、万葉集に歌われた雄大で、優雅な船遊びや離宮としての維持に不可欠な大量の食料を運び上げる荷船の運航も、難しかったのではないかと思うのである。世上、川船による荷運びは軽快であったかのような印象があると思うが、楽なのは、川下りだけである。遡行する際には、船体ぐるみの重荷を、水流に逆らって運ぶのであるから、とんでもない難業、苦行である。

 朝日新聞の空撮動画で見た限り、水流は岩瀬の早瀬に見える。もっとも、吉野川と言われて、徳島の四国三郎しか思いつかず、しかも、上流部の山間の流れしか見ていない愛媛県人は、この川に関しては、やじうまでしかないのかも知れない。とにかく、現場を詳しく知らないで、あれこれ憶測を言うのは失礼だが、正直な感想である。

 いや、この囲み記事は、考古学的考察ではないので、直感的な感想を述べさせて頂いただけである。

以上 


以上

2018年5月15日 (火)

倭人伝の散歩道 番外 纏向 続・驚き桃の木の 毎日新聞報道

私の見立て★☆☆☆☆ ホラ話の提灯持ち              2018/05/15

 今回やり玉に挙げるのは、毎日新聞大阪朝刊13版社会面の古代史記事である。

 驚き桃の木というのは、「邪馬台国強まる畿内説」と大見出しを付けているからである。通常、前日の夕刊の報道と重複する場合は、一部既報と明示するものだが、それは抜けていて、本記事が初出のようになっている。

 ここでは、ニュースソースは、桜井市纒向学研究センターが「公表」したとされているが、同センターのサイトに告知はないし、当然、公開資料もない。

2018/05/16追記
研究紀要の刊行案内が掲示されたので、ここに紹介する。
相変わらず、右クリック禁止なので、メニューから「コピー」した。
目次紹介も何もないので、内容は一切不明のままである。
2018年3月刊のものが今公表された理由もわからない。
-----引用
***纒向学研究 第6号 2018年3月刊
桜井市纒向学研究センターでは、センターで行われた研究の成果を広く学会や社会に発信するために研究紀要を刊行しています。
第6号となる本号には、所員1名のほか、外部研究者6名の方々に寄稿いただいた、「纒向学」に関わる研究・分析の成果をまとめた論文などが収録されています。

1部 1000円。(公財)桜井市文化財協会(桜井市芝58-2 市立埋蔵文化財センター内 TEL 0744-42-6005)にて頒布しています。
---引用完

 ここに書かれていない「14日に公表した研究紀要」を撤回していて、「公表」されたというものの依然として事実確認ができないし、どこまでが公表内容でどこからが記者の私見なのか確認しようがない。

 見たところ、「2018年2月24・25日の2日間、纒向学研究センターにおいて平成29年度定例研究集会を開催しました。」とする定例研究集会での発表を「公表」と言っているのかとも思うのだが、なぜ、二ヵ月以上経過したこの時期に、二大紙が慌ただしく報道したのか、依然としてわからない。堂々と記者会見なり記者発表なりするのが「公表」の常道と思うのだが、なぜか、いかがわしい「リーク」なる闇取引をするのか、暗雲が漂うのである。

 また、本日の報道の本体部分は、名古屋大の中村俊夫名誉教授が、長年に亘り孤軍奮闘していた年代測定方法を顕彰しているようである。
 あくまで、提供サンプルのC14年代測定が、ご自身の学究の一つの集大成、つまり、最善の努力による最善の結果であると説明されているものであり、その範囲に限り特に異論は無い。
 教授自身も、「この数字をどう捉えるかは考古学者の方たちに委ねたい」とあり、古代史考察は一切行っていない。まことに至当である。

 と言うことで、この記事は、立派な意義のある紹介記事だが、あくまで参考記事であり、報道内容の裏付けとなるものではない。まるで、スポーツ面の優勝選手紹介である。

 となると、夕刊、朝刊に書き出されている「邪馬台国」論は、纏向学研究センター寺沢薫所長の公式見解に基づいたのだろうか。というものの、その発言は、「纏向が三世紀中頃に収まることを示す重要な資料だ」と引用されているだけである。スポーツ面の監督談話のようだが、独占インタビューでも行ったのだろうか。

 ここに掲載された断片的な発言の根拠は不確かだし、どこにも、毎日新聞記者が書き立てているような華々しい議論は述べていない。

 つまり、毎日新聞の書き方は、研究者が断言していないと思われる事項を、記者の個人的な偏見に基づいて、勝手に断定していていると受け取られるものであり、まことに不穏当である。

 丁寧に解すと、今回「公表」されたのは、桃の種の時代鑑定のはずであり、それが、遺跡の時代鑑定にどのように連動するかは、まだ、議論し尽くされていないはずである。十年早いのではないか。

 今回のC14鑑定で示された年代は、研究者の研究活動の小宇宙では、その諸法則に基づいた厳密、不屈のものであるが、最後は、鑑定者の手によって、現実世界に「着地」しているのである。いや、これは別に非難しているのでなくて、研究者が必ず取り組む難業を言うのである。鉄棒演技の着地が、技術の最高到達点を示す離れ業であるのと同様、研究者が取り組んだ未踏の小宇宙から現実世界へ降り立つのは、安易なものではないのである。いや、ついお説教口調になってしまったが、別に罵倒しているのではない。

 研究者は、自身の見識に基づいて書き上げた補正用のグラフと重ね合わせて、確信を持てる100年の年代幅を提唱しているのであるから、測定結果を、神の業の如き厳密、厳正なものと言い切れないことは、研究者自身がご存じのはずである。

 こうしてみると、中国史書に書かれた「卑弥呼」の住まいが、どこにあったかという決定的な議論に辿り着くには、解決すべき課題が、幾重にも、幾方向にも山積しているのは衆知、自明である。
 古代史学界は、『「倭人伝」に「邪馬台国」と書かれていない』という、基本中の基本論点すら、未解決のままに店ざらししているから、後漢書の「卑弥呼」にしかたどり着けないのである。まことに、杜撰なものである。

 してみると、ここでは議論の積み重ねが成立しないのかも知れないが、凡そ学問は、段階的な論証の積み重ねである。

 もし、センターが、今回の鑑定結果が、年代論に終止符を打つとか、所在地論争を終熄させる、などと書いていたら、それは、国費、公費で成立している学術研究団体として自滅である。

 記者の粗雑さは、大量の桃の種が「捨てられた」と見ているところにもあらわれている。
 国家最高の祭祀に用いた聖なる果実の種を、汚物のように捨て去ったとみるのは、何とも無残である。種を植えれば、また桃の木が芽生えるのだが、なぜ、何を意図して、土坑に埋蔵したのだろうか。この点が解明されないと、遺跡の一隅の土坑の中の遺物の年代鑑定と遺跡の年代比定がどう連動するのか、説明できないのではないか。

 余談だが、纏向学研究センターのサイトが、訪問者の右クリックを「禁止」しているのは、まことに奇怪な仕打ちである。地方自治体が運営するサイトは、成果を公表するのが使命であると思う。なぜ、「禁止」するのか、まことに理解に苦しむ。

 是非、再考いただきたい。

以上

2018年5月 2日 (水)

今日の躓き石 毎日新聞囲碁欄に 「リベンジマッチ」の悪癖

                 2018/05/02
 今回の題材は、引き続き、毎日新聞朝刊の囲碁欄(観戦記)である。
 
 どうも、署名入りの担当者が、先回の特集記事を埋めたようである。同じ蛮行が紙面に出ている。これまでも、同じ罰当たりな放言をして、天下に恥をさらしていたかも知れないが、当方も、気づかなかったら、批判のしようがないのである。
 
 同じ分野で相次いだ同じ悪用の指摘なので、端折って言うが、囲碁のタイトル戦に、「復讐」、「報復」は無縁と信じるので、担当者が勝手にこのような汚い言葉を編み出して、栄えある紙面に泥を塗っているものと思う。
 
 今後は、どうしてもこういう主旨を、善良な読者に通じにくいカタカナ言葉で言い立てないと自尊心が傷ついて、耐えられないのなら、少なくとも、これまで紙上で見かけていた無害な「リターンマッチ」とでも言い換えるよう、ご自愛いただきたい。(読者に優しい記事は、生煮えのカナカナ語を控えるものと思う)
 
 それにしても、一般記者と観戦記者は、必ずしも同じ文書修行をしていないと思うが、いずれも、伝統ある全国誌の紙面に掲載されるのだから、最低限守るべき規範は、変わらないと思うのである。
 
以上

2018年5月 1日 (火)

私の意見 邪馬台国の会 第367回講演記録 惨状論 4/4

        2018/05/01

私の見立て ☆☆☆☆☆  1.中国・後漢末の動乱の当部分に限る

*大量殺戮
 いやな言葉で、大量殺戮と言うが、三世紀に行われた悪名高い曹操の「仇討ち」のように、強力な軍隊組織が、指揮官の厳命で取り組まない限り、組織的な軍事行動として持続されないと思うのである。

 「太乱」に限らず、蜂起勢力にとって、地域社会は、勢力拡大の原動力であり、貴重な戦力を割いての収穫無き殺戮は考えられない。

 古来、他国侵略の際は、他国政権に、復旧負担を与えるために掠奪、暴行が、半ば許容されるが、将来自国に併呑すべき土地では、掠奪、暴行が、厳禁されるのが常道である。

*倭国概観
 以下は、個人的な、つまり、素人考えの考察であるが、三世紀に先行する倭国前代、村落に近い小規模なクニ(国邑)の散在状態と思われる。自然、近隣との交流が先にあって、婚姻などの親戚づきあいが生じたと思われるから、互いの喧嘩、諍いは、氏神の祭礼などでの駆け競べ、力比べにより勝敗を競い、様々な場で優先権を定め、戦いに至らない工夫がされたのではないかと思うものである。

 そもそも、武装と軍糧を備えた常備軍無しに全面戦争は不可能であるし、全面戦争に農民を大量動員して戦争を拡大すれば、広範囲で農耕が停滞し食糧生産が大不振に陥り、数年を経ずして深刻な飢餓がやってくるのである。全滅である。

 いや、戦闘を重ねるにつれて、双方に死傷者が増え、仇討ち、復讐、仕返しの激情が、止めどなく過熱化するのは、古代であっても、むしろ自然な成り行きと思われる。

 そのようなことは古代人にとって、自明であったから、戦いではなく、折り合いが求められたはずである。そうであったという証拠は無いが、全滅が発生しなかった以上、どこかで分別が働いていたのである。

 今回、この項では、諸国分立状態では戦乱が「歴史の必然」とばかり長々と饒舌を振るわれているが、何のために、そこまで話題を迂回させて、後漢書にしか書かれていない「倭国大乱」を、広域戦乱と実証しようとしているのか、一向に見えてこない。

*無用の暴力的、猟奇的記述・表現
 なお、Wikipediaでは、一部、好ましくないと判断した記事、例えば、暴力的記事に対しては、冒頭に警告が付されている。「この記事には暴力的または猟奇的な記述・表現が含まれています。」読者に、心の準備をする余裕を与え、読者に、忌避する選択肢を与えるものと思われる。

 今回の講演記録のこの部分では、邪馬台国の会の名声から期待される品格が損なわれるような、無用、かつ無効な「暴力的または猟奇的な記述・表現」が長々と述べられ、いたずらに聴衆の感性を攻撃して、学術的な講義としての意義を見いだせない。

 当世風の言い方に染まると、一種の学術的な聴衆虐待、アカデミックハラスメントではないかと危惧される。

 一度、関係者の皆さんがじっくり考えて、ふさわしい対処をしていただければ、まことに幸いである。
                        完

私の意見 邪馬台国の会 第367回講演記録 惨状論 3/4

          2018/05/01

私の見立て ☆☆☆☆☆  1.中国・後漢末の動乱の当部分に限る

*太乱屠城
 太乱の暴挙の中には、幹部の一人が殺害された時に、報復として「屠城」、つまり、都市住民全員の殺害を行ったと記録されているが、太乱賊徒にしてみれば、正当な復讐、制裁であり、何ら良心の痛みは感じなかったと思われる。

*文書批判
 以下、「軍隊としての規律がとぼしい太平天国の賊徒」と前置きして、清朝御用達の反「太平天国」の視点で書かれた文書が引用されている
 歴史上の事実として、太乱は回天の志を遂げずに敗北したから、勝者たる清朝の戦後処理では、その行いを悉く貶めるのが急務であり、まとめられた文書は、事実の忠実な報告を意図したものでなく、「偏見」「曲筆」の精緻であるのは、自明と思う。

 まして、先に引用したような一方勢力に加担した前置き付きで、偏向したと想定される文書の内容を書き立てるのは、この通りに歴史に学べとばかりの偏った引用紹介であり、安本氏の講演として、「絶対に」適さない。

*無用な偏見刷り込み
 と言うことで、ここに引用された太乱資料は、十九世紀の歴史上の事実を紹介するものとして不適切である。
 また、十九世紀史料は、二世紀の黄巾の乱の際の惨状を推定する参考として全く見当違いである。
 付け加えて言うと、二世紀の黄巾の乱と倭国の乱との関連も、不確かであると考える。 

 そのように、本件資料をもとにした史学的な考察が成り立たない可能性が極めて高い上に、このような資料は、聴衆にとって無用な残酷行為の描写が聴衆に、後々まで消しがたい深い悪心証を与え、加えて、聴衆に、中国五千年を通じ、戦いに残酷行為が相場であったという、歴史理解の邪魔になる有害な中国観を刷り込むものとなりかねない「有害資料」であり、その取り扱いに異議を禁じ得ない。

*暴言の波
 すでに、さる公共放送の番組で、猿ならぬ人のコメンテーターが、突然、弥生社会に乱入した「掠奪」主義が倭国の乱の原因であったと、幼児のごとく喚き出す態を示し、そういう安直な暴虐古代史観が、史学会に蔓延しているのではないかと懸念するのである。

*人口激減考察
 同時期の中国は、古代国家が確立されて久しく、全国くまなく戸籍が整備され、帝国の骨格となっていたが、漢末、中央政権が壊滅し、要地にあって地方鎮守する軍事拠点が、武力と資材備蓄を備えていたので、各地に紛争が生まれたのである。

 生じた広範囲の動乱は、動員農民が不在で、耕作物に対する飛蝗やネズミの大規模な被害を防ぐことができなかったための収穫喪失も含めて、人災としての飢饉を呼び、留守家族を含めた地域社会に大損害を与えた結果に至ったと思われる。

 人口十分の一は、ただごとでなく、実際にそうなれば、当該地域社会が崩壊し、生存者も程なく死に絶える。それこそ、県単位で地域社会が消滅したことであろう。

 案ずるに基礎となる地域戸籍の壊滅、地域戸籍集計による広域人口調査の劣化が主因と思われる。

 戸籍が捕捉できないと、税務としての食糧収集もできず、広く遠隔地にまで日々の食料を求めていた、つまり、到底食糧自給できない首都圏など帝国中核部の飢餓などで、人口額面通りの実害が出たとしても不思議ではない。
                                          未完

私の意見 邪馬台国の会 第367回講演記録 惨状論 2/4

                   2018/05/01

私の見立て ☆☆☆☆☆  1.中国・後漢末の動乱の当部分に限る

*仲裁の労
 その際、和平策を提示して仲裁の労をになったのは、辛うじて権威を保っていた天皇であり、それを両陣営が受け入れた故に、戦国時代の一翼を担っていた一向一揆は平定されたのである。そのような解決に至ったのは、武装集団が求めていたのは、宗教集団の無害化であって、殺戮では無かったからである。

 以上、何の権威も持たない素人の聞きかじりだから、史実の見方や言葉遣いが不穏当であるかも知れないが、かって、日本史上でも、大規模な殺戮の例があって、その一例は、仲裁によって平定されたことを指摘するのみである。

 当然、以上の見方に不審はあるだろうから、是非、安直な先入観や偏見、俗説にとらわれて言い飛ばすのではなく、ご自身で、じっくり考察を加えていただきたいものである。

2 太乱記録紹介の意義
 皮切りに続いて、延々と展開される太平天国の乱(「太乱」と略称)に関する資料紹介は、倭国古代史とは、時代背景がとてつもなく、途方もなく異なり、まったく古代史に関して参考にならないどころか、大きな誤解を招くので、大いに異議がある。
 
勝手な言いがかりと言われたくないので、以下、丁寧に説明する。

*太乱概括
 太乱は、たかだか二世紀前の近代の事件であるが、正史たる清史が書かれていないので、どんな視点で書かれた文献を「参考」資料として採用するか、厳重な検討、史料批判が必要であると考える。

 案ずるに(以下略)、太乱を起こしたのは、キリスト教の影響下に生まれた新興宗教集団であり、すでに二百年近く中国に君臨し、知識の導入には熱心であっても、危険極まりないキリスト教の国内布教を厳重に禁じていた清朝から見ると、そのような叛徒集団は、直ちに滅ぼすべき邪教勢力であったと思う。 

 太乱の主体は、古来の宗教観を、迷信、偶像崇拝とみて、布教に反抗するものに処刑を加えるものであるから、中華文明に背く邪教集団である。

*清朝概観
 かたや、清朝は、中国東北部の満州族が、先行する明朝の三世紀に亘る頑強な政権が内乱に討たれて崩壊したのに乗じて全土制覇した政権であり、異民族だが往年の元朝とは異なり、中華文明に忠実な正統政権として治める大義名分を得ていた。

 従って、中華文明を破壊する邪教集団は、天下の敵であり、何としても撲滅しなければならない、と言う大義名分、主たる動機があった。

 そのような対決の際に、それぞれ、自身の行動を正当化するから、軍事行動の範疇を越える残酷な所業があったのは、確かなところであろう。
                       未完

私の意見 邪馬台国の会 第367回講演記録 惨状論 1/4

                   2018/05/01
1.中国・後漢末の動乱 2.  倭国の大乱 3. 古代青銅鏡小史

私の見立て 後記部以外は、未読のため、無評価。

 当ブログ記事は、安本美典氏主催「邪馬台国の会」が、概算で三〇年を越えて、ほぼ月例で開催している講演の記録紹介と批判である。当ブログで「批判」が論点否定でないのは、いつもの通りである。

私の見立て ☆☆☆☆☆  1.中国・後漢末の動乱の当部分に限る

 講演会来場者がどのような感慨をもたれたかは、当方の知りうるところではないが、端的に言うと、この部分に関しては安本氏の権威と品格に相応しくないものであり、サイトで公開するに適しないものと考える。想像力の豊かなかたは、PTSDなどの心理障害を避けるため、目や耳を塞いだ方が良いと思う。

 首掲サイト記事の講演会記録は筆者紹介がなく、主催者安本氏が書かれたとしている。失礼があればご容赦いただきたい。

■「思痛記」にみる惨状
日本の歴史では考えられないが、中国では戦乱などの混乱での殺戮は大規模で悲惨である。この2世紀の黄巾の乱の殺戮について詳細な記録は残っていないが、19世紀の太平天国の乱で、殺戮の惨状が書かれているので、参考に示す。

*異議提出
 いきなり、冒頭の釈明に異議がある。

1.国内史実の確認
 「日本の歴史では考えられない」と言い切っているが、「日本」の歴史、つまり七世紀以降に限るとしても、一度ならず大規模な殺戮があったのは衆知ではないか。話者は、考えられないのではなく、知らないだけである、と譏(そし)られかねない失言である。

 一つは、戦国時代末期、一向一揆の集団に対して行われた撲滅策であり、もう一つは、江戸時代の初期、天草、島原の一揆に対して行われた撲滅策である。

 いずれも、宗教集団側の身命を惜しまぬ不退転の団結と、天下平定の天命に従い、その徹底的な排除を進める攻撃側の強固な戦意が、不倶戴天の敵対を招いた不可避な事態である。

*一向一揆顛末
 戦国後期の一向一揆は、領主の統治の後退によって勢力を拡大し得た各地に設けた強力な出城を、多くの犠牲を払ったとは言え、悉く撲滅した武装集団(実名を出すと、織田信長指揮下の軍団であるが以下、実名は避け、図式化する)の包囲攻撃に、石山本願寺を本拠とした未曾有の堅城で頑強な籠城策を採ったが、数年に亘る、執拗、かつ、頑強な攻勢を受け、信徒が悉く「殉教」する最悪の事態を避けるため、指導者(実名を出すと、顕如であるが、以下、実名は避け、図式化する)が、武装闘争を放棄し、自ら開城の上、全員退散する和平策を受け入れたため「最悪の事態」は避けられた、と素人なりに理解している。
                    未完

今日の躓き石 本因坊に泥を塗る毎日新聞特集記事

                    2018/05/01
 今回の題材は、毎日新聞特集紙面として全面独占で掲載された第七十三期本因坊戦に先立つ、本因坊文裕と協賛者である大和証券社長の対談である。いや、さすがに、御両所は、つまらない失言などしていないのだが、脇に付けた、本因坊の戦歴記事が杜撰であった。
 七冠の一角を崩された本因坊が、翌年挑戦権を獲得して「リベンジマッチに挑んだとは、けったい奇天烈な表現で、本因坊の七冠復帰の栄誉に泥を塗っていて、折角、協賛者社長の自賛をさりげなく盛り込んだ栄えある対談記事全体が、何とも不適切な記事になってしまっている。協賛者に気の毒である。
 
 井山七冠の言葉はあちこちで目にしているが、「やられたやり返す」、「仇敵の息の根を止める」、などという殺伐たる「リベンジ」漬けの意見とは無縁であることは言うまでもない。記者が勝手に言い立てているだけである。言うなら、勝手に栄冠にドブ泥を塗りたくっているのである。
 
 ついでに言うと、とかく闘争心をかき立てるボクシング関係報道でも、このような曰く付きの対戦を、静かに「リターンマッチ」と呼んでいるくらいで、今回記事のような不穏な表現は取っていないように思う。
 
 まして、「挑む」とは、趣旨不明である。前世紀以来の業界慣用句かも知れないが、普通の語感では、「挑む」のは、敵手に対して、あるいは「復位」に対して言うものであり、「マッチ」には「臨む」のではないか。一度、言葉の護り役である毎日新聞の校閲部門で審議いただきたい。
 
 因みに、当ブログ筆者は、根っからの将棋愛好家であって、お隣の囲碁界報道は、折りがあれば読む程度であるから、もし、囲碁界が「リベセンジ」を公式用語として採用しているのであれば、今回の記事筆者に対する非難は撤回し、責任ある方への批判としたい。
 
 以上、一定期購読者の意見であり、公開されているとは言え、配信されている訳ではないから、新聞社として、当記事を読み、意見を表明する義務はない。
 
以上

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