倭人伝の散歩道 番外 纏向 続・驚き桃の木の 毎日新聞報道
私の見立て★☆☆☆☆ 2018/05/15
今回やり玉に挙げるのは、毎日新聞大阪朝刊13版社会面の古代史記事である。
驚き桃の木というのは、「邪馬台国強まる畿内説」と大見出しを付けているからである。通常、前日の夕刊の報道と重複する場合は、一部既報と明示するものだが、それは抜けていて、本記事が初出のようになっている。
ここでは、ニュースソースは、桜井市纒向学研究センターが「公表」したとされているが、同センターのサイトに告知はないし、当然、公開資料もない。
桜井市纒向学研究センターでは、センターで行われた研究の成果を広く学会や社会に発信するために研究紀要を刊行しています。
第6号となる本号には、所員1名のほか、外部研究者6名の方々に寄稿いただいた、「纒向学」に関わる研究・分析の成果をまとめた論文などが収録されています。
1部 1000円。(公財)桜井市文化財協会(桜井市芝58-2 市立埋蔵文化財センター内 TEL 0744-42-6005)にて頒布しています。
ここに書かれていない「14日に公表した研究紀要」を撤回していて、「公表」されたというものの依然として事実確認ができないし、どこまでが公表内容でどこからが記者の私見なのか確認しようがない。
見たところ、「2018年2月24・25日の2日間、纒向学研究センターにおいて平成29年度定例研究集会を開催しました。」とする定例研究集会での発表を公表と言っているのかとも思うのだが、なぜ、二ヵ月以上経過したこの時期に、二大紙が慌ただしく報道したのか、依然としてわからない。
また、本日の報道の本体部分は、名古屋大の中村俊夫名誉教授が、長年に亘り孤軍奮闘していた年代測定方法を顕彰しているようである。
あくまで、提供サンプルのC14年代測定が、ご自身の学究の一つの集大成、つまり、最善の努力による最善の結果であると説明されているものであり、その範囲に限り特に異論は無い。
教授自身も、「この数字をどう捉えるかは考古学者の方たちに委ねたい」とあり、古代史考察は一切行っていない。
と言うことで、この記事は、立派な意義のある紹介記事だが、あくまで参考記事であり、報道内容の裏付けとなるものではない。まるで、スポーツ面の優勝選手紹介である。
となると、夕刊、朝刊に書き出されている「邪馬台国」論は、纏向学研究センター寺沢薫所長の公式見解に基づいたのだろうか。というものの、その発言は、「纏向が三世紀中頃に収まることを示す重要な資料だ」と引用されているだけである。スポーツ面の監督談話のようだが、独占インタビューでも行ったのだろうか。
ここに掲載された断片的な発言の根拠は不確かだし、どこにも、毎日新聞記者が書き立てているような華々しい議論は述べていない。
つまり、毎日新聞の書き方は、研究者が断言していないと思われる事項を、記者の個人的な偏見に基づいて、勝手に断定していていると受け取られるものであり、まことに不穏当である。
丁寧に解すと、今回「公表」されたのは、桃の種の時代鑑定のはずであり、それが、遺跡の時代鑑定にどのように連動するかは、まだ、議論し尽くされていないはずである。十年早いのではないか。
今回のC14鑑定で示された年代は、研究者の研究活動の小宇宙では、その諸法則に基づいた厳密、不屈のものであるが、最後は、鑑定者の手によって、現実世界に「着地」しているのである。いや、これは別に非難しているのでなくて、研究者が必ず取り組む難業を言うのである。鉄棒演技の着地が、技術の最高到達点を示す離れ業であるのと同様、研究者が取り組んだ未踏の小宇宙から現実世界へ降り立つのは、安易なものではないのである。いや、ついお説教口調になってしまったが、別に罵倒しているのではない。
研究者は、自身の見識に基づいて書き上げた補正用のグラフと重ね合わせて、確信を持てる100年の年代幅を提唱しているのであるから、測定結果を、神の業の如き厳密、厳正なものと言い切れないことは、研究者自身がご存じのはずである。
こうしてみると、中国史書に書かれた「卑弥呼」の住まいが、どこにあったかという決定的な議論に辿り着くには、解決すべき課題が、幾重にも、幾方向にも山積しているのは衆知、自明である。
古代史学界は、倭人伝に「邪馬台国」と書かれていないという、基本中の基本論点すら、未解決のままに店ざらししているから、後漢書の「卑弥呼」にしかたどり着けないのである。
してみると、ここでは議論の積み重ねが成立しないのかも知れないが、凡そ学問は、段階的な論証の積み重ねである。
もし、センターが、今回の鑑定結果が、年代論に終止符を打つとか、所在地論争を終熄させる、などと書いていたら、それは、国費、公費で成立している学術研究団体として自滅である。
記者の粗雑さは、大量の桃の種が「捨てられた」と見ているところにもあらわれている。
国家最高の祭祀に用いた聖なる果実の種を、汚物のように捨て去ったとみるのは、何とも無残である。種を植えれば、また桃の木が芽生えるのだが、なぜ、何を意図して、土坑に埋蔵したのだろうか。この点が解明されないと、遺跡の一隅の土坑の中の遺物の年代鑑定と遺跡の年代比定がどう連動するのか、説明できないのではないか。
余談だが、纏向学研究センターのサイトが、訪問者の右クリックを「禁止」しているのは、まことに奇怪な仕打ちである。地方自治体が運営するサイトは、成果を公表するのが使命であると思う。なぜ、「禁止」するのか、まことに理解に苦しむ。
是非、再考いただきたい。
以上
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