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2018年5月29日 (火)

サイト記事 「魏志改竄説」批判 2/3

                          2018/05/29
*個別確認1 まとめ
 延々と続く残簡記事が、史実を正確に記録しているかどうかは問題ではありません。論点がそっぽを向いています。

 また、残簡が、呉国志以外の史料、例えば、韋昭編纂の呉書稿、あるいは、私的史稿を写した可能性は、否定も肯定もできないものです。裴注が無いのもその傍証です。

 正体不明、由来不明の史稿残簡が、呉国志と異なる行文としても、何かを証明するものではないのです。

*個別確認2
 2.の論証は、物証の示すとおりです。だからといって、何かを証明するものではありません。

*個別確認3

 3.「残簡は、その時点の国志写本を正確に写し取っている」とは、時点の国志写本が確認できない以上、検証不能です。つまり、3の論証は推定に過ぎません。

 残簡作成者が、参照写本の正確な書写を指示されていたかどうかも不明です。孫氏政権の功臣事歴を個人的な著作目的で綴り上げたかもわかりません
 要は何もわからないのです。

*巻紙談義の余談
 残簡は、明らかに巻紙に書き込まれたものであり、行当たりの字数が一定していません、字数を揃えるのは、正確な写本の基礎であり、それが守られていないということは、厳格な写本がされていないことを物語っています。

 それにしても、国志写本が、当初、巻紙だったのか、冊子だったのかは断言できません。

 後漢朝末期の混乱期間に洛陽周辺の紙業も大いに混乱したと思われ、国志編纂時に定寸単葉紙が大量に調達できたかどうか不明です。慣用表現とは言え、国志が巻表示なのも、重視すべきでしょう。つまり、当時、帝室書庫に厳重保管されていた国志写本は門外不出とは言え、巻物形式であった可能性が高いと思われ、敦煌残簡が巻物形式であること自体は、不審の原因とはならないようです。

 国志各巻は、長巻物と予想され、残簡上に写本上必要と思われる目印が見られないのは、若干、否定的な要素です。

 なお、写本、刊本が、袋綴じの単葉紙になったのは、遅くみると、北宋咸平年間の木版刊本時と思われます。巻紙は印刷できないためです。

*改竄重罪
 当代最高写本工まで巻き込む正史改竄は、以後の写本に引き継がれても、世にある写本は書き替えられないので、いずれ露見します。正史改竄は重罪で、一族処刑もあり得るので、同志を得られず実現不能と思量します。

                       未完

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