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2018年6月29日 (金)

私の本棚 季刊「邪馬台国」 134号 物部氏と尾張氏の系譜(5) 1/4

                 2018/06/29               
  ~上代古典の神・氏族・自然~
  神武天皇か、物部氏宇摩志麻治命か    志村裕子
私の見立て ★★★★☆

 本稿で潤沢に展開される、資料に密着した論考には異論はないが、いろいろ、同感できない言い回しが目につくので、具体的に、何がどう気に入らないのか書いていくことにする。個人的感想なので、絶対というものではない。こう言う見方もあることを伝えるだけである。

*見出しの怪
 1.日本古来の神道祭祀を守った物部守屋

 この見出しから躓くのである。
 議論の対象は、書紀や旧事紀の記事であろうから、用語は筆者の責任ではないかも知れないが、少なくとも、「日本」は、七世紀末から八世紀初頭に発明された概念であるから、ここに登場すると時代錯誤の感を禁じ得ない。現代人が書いているから、現代人の言う日本かなとも思うのである。

 「古来」とは、どの時代の視点によるものかも不明である。現代人が書いているから、現代人の言う古来なのかとも思われる。後ほど出て来る「上古」も一読者としては、解釈が安定しない。

 「神道祭祀」は、ほとんど現代語である。物部守屋の在世時、そのような概念は存在しなかったはずである。当時にとっての古来、各氏族には、各氏族の神、というか尊崇すべき祖霊があり、「神道」に近いものとしては、両親、祖父母の霊を尊崇する共通の習わしがあったように感じる。つまり、各地の風俗は、言葉と共に同根であったのではないかと思われる。

 また、文字も紙もない当時、少なくとも、各氏族の系図は、口伝によるものとしても、伝えられていたものと思われる。

 但し、口伝とは言え、神官、巫女を備えた氏神祭祀を司る神社は、各地に展開していて、いわば、草の根にまで浸透していたから、後に、駆逐することなどできなかったのである。

*宗教戦争考
 ①物部氏と蘇我氏の宗教戦争

 ここに登場する「宗教戦争」なる言葉は、当然同時代言葉でなく、読む人によって解釈が揺れる。筆者は、蘇我馬子と物部守屋の政争を「宗教戦争」と断じて、片付けているようだが、それは、古代史上の事件を評価する上で速断ではないだろうか。

*時代・世界錯誤
 なお、素人考えで恐縮だが、宗教戦争という言葉は、明治以後に、欧州キリスト教の旧教対新教の抗争をもとに発明した用語のようであるが、時代も世相も違うこの時代の政権闘争をそのように類推するのは、どうしたものか。
                     未完

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