私の本棚 季刊「邪馬台国」 134号 石野博信 「大和・纏向遺跡と箸中山古墳」 2/5
2018/06/30
*祭祀の駆逐
続く、「銅鐸の破壊」と「纏向古墳群と大王墓」の段は、特に読みつかえることはなかった。
印象深いのは、出土遺物の精査で、当時、近畿圏で広く信奉されていた銅鐸祭祀が、侵入者によって廃棄され、祭祀が革新されたという意見である。まことにその通りに見るのが、合理的なものなのであろう。
と言うものの、古代の王は、祭祀の主催者として、格別の権威を保っていたはずであるから、銅鐸祭祀が打ち棄てられたという事は、祭祀主催者たる王家も、打ち棄てられたのだろうが、石野氏は、そこまで踏み込んでいない。
*革新技術の伝道者
それほど異質な者達が、新たな建築手法を持ち込んだと見るべきかも知れない。凡そ、橋を架け、道を開くのは、軍事活動の一部であり、後世、工兵部隊と呼ばれるEngineer集団が到来したもののように思う。ちなみに、今日、技師と呼ばれるEngineerの起源は、工兵なのである。統一した技法のもと、指揮官の命令に従って各自の任務を、期限通りに仕上げていく、組織的な活動は、今日で言う大規模プロジェクトであるが、そうした組織的な革新的技術が、大規模建築や墳墓造営に必須なのである。
*幻の纏向王宮
「纏向王宮群」と題して、大型建物群が当時の王宮との提案がされているが、首を傾げざるを得ない。王宮であれば、多数の吏人や奴婢が必要である。
それらの者達は、どこに住んでいたというのだろうか。また、数百人が長期にわたって居住した住居があったとすると、膨大な廃棄物が発生したはずである。出土物が膨大なはずである。
総勢数百人におよぶであろうむくつけき者達は、食糧生産に従事しないから、これに数倍する戸数の農地が、王宮を維持するための食糧生産に充てられたはずである。そして、全国から収納した食糧、さらには、食塩を備蓄する倉庫が設けられていたはずである。
食糧の煮炊きの場所も、少し離れた場所に設けられたはずである。場所を離すのは、火災の際の延焼を防ぐためである。萱葺きらしい建物が踵を接するように並んでいたら、どれかの建物が出火すれば、たちまち延焼するのは明らかである。厨房は、かけ離れた建物として、土壁に囲むなりの安全策を講じたはずである。
当然ながら、飲料水、防火用水の貯蔵も必要であったはずである。大甕があったのだろうか、大樽だったのだろうか。
防衛施設としても、野獣除けとしても、環濠は必須である。
王宮となると、付随した膨大な人員と諸施設が必要である。
そして、そのように繁栄した王宮が、なぜ、放棄されたかとなる。
率直に言って、夢想、と言うか、虚構と思うものである。
石野氏は、そのような論議は、百も承知と思うのだが、敢えて、御神輿として担がれているのであろうか。「晩節」が問われるのである。
未完
*人材育成の年月
以前想定したことがあるが、到来した工兵部隊といえども、技術の継承維持のために、現地人の教育訓練による工兵養成が必要であったはずである。それは、読み書き算盤ではないが、少なくとも、漢文を読み書きする能力と定規や墨紐で作図する技能が必要であった。見習いしながらの徒弟修行としても、20年がかりではなかったか。
大工道具を作成、補修する鍛冶職人も必要である。
そのように人材育成を推定してみると、技術の伝道は難事である。簡単に広域展開できないのである。
未完
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