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2018年6月

2018年6月30日 (土)

私の本棚 季刊「邪馬台国」 134号 石野博信 「大和・纏向遺跡と箸中山古墳」 4/5

                   2018/06/30
*暴走するモンロー主義
 ちなみに、場違いな引き合いに出されている「モンロー主義」の解説は、こうした余談の事故例に似て、素人の聞きかじりで不正確なものになっている。まことに残念である。

 もちろん、いろいろ解釈はあるだろうが、できるだけ中立的に解釈すると、事の核心は、米国(the United States of America)が、主として、イングランド(清教徒)系が発端とされていても、フランス系、ドイツ系、オランダ系、スペイン系、イタリア系など、欧州各地出身者が混在している事に起因している。国の基本は、プロテスタント(新教)を奉じるが、ラテン系のカソリック教徒もいたし、ユダヤ教徒であるユダヤ人もいた。人種と宗教の坩堝という評価もある。

 そして、そのような内情は、「合衆国」なる諸国連合を構成している「州」(sate)、つまり、「国」、によって大いに異なるため、欧州各国間の紛争に介入、つまり、派兵、ないしは、軍事援助するには、連邦政府として、各国(州)の合意を必要とし、内戦再発に繋がる不和を招きかねないので、合衆国連邦政府は、欧州での国家間紛争に一切干渉しないと門前払いしたのである。

 
これは、出身国から合衆国内政への干渉も排除する。
 当時は小国であった米国の保身策であり、内外に配慮していたのである。つまり、アメリカは、内戦(南北戦争)の余燼の沈静化に配慮する途上国であり、欧州諸大国に利用されないための自己防衛とも言える。

 ことほどさように、安易な常套句の安易な転用は、支離滅裂になるのである。まして、理解度が人によって随分異なる聴衆や読者に、講演者の意図が通用しない可能性が高いのである。

 案ずるに、石野氏ほど声望の高い大家に対して、子供に言い聞かせるようなダメ出しをしてくれる人は、どこにもいないのだろうと思うので、丁寧に書きだすのである。

 と言うことで、ここに石野氏が語られたコメントは、場違い、見当違いで、いたずらに氏の名声を汚すものと言える。
 
的外れで無用な余談は、古代史には、いや、古代史に限らず蛇足(余計なだけでなく、ぶち壊し)である。

                                未完

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私の本棚 季刊「邪馬台国」 134号 石野博信 「大和・纏向遺跡と箸中山古墳」 3/5

                               2018/06/30
*りっばな建物
 以上は、提示された建物図を真に受けたためである。これほどりっばな建物を計画的に建て上げるためには、当時として、超絶技術が必要だったのである。そのためには、周辺技術も必要であるし、人材も必要なのである。そして、技術は、人が担うものである。人は、瞬間に育てることはできない。画餅は、腹の足しにならないのである。

 掘立丸太柱の藁縄組で小振りの屋根であれば、ひょっとすると、同時代在来技術で建造できたかも知れないが、絵に描かれた立派な建物は、一日にして成らずということである。例えば、これほどの屋根を葺くには、高々と足場が必要だし、葺き替えはできないと見える。

 こうした難点は、石野氏は、十分承知の感じであるが、なんとしても、遺跡を偉容化し、時代を繰り上げねばならない後進世代が説得した感じである。氏の晩節を汚すものでなければ幸いである。

*薄肉土器の全国制覇
 ずっと、素人の口を挟めない専門的な意見が続くが、この時期、薄肉土器が好まれて、近畿製品が広く到達していたという事のようである。当時、土器は加熱調理に使われていたから、薄肉の方が圧倒的に熱が伝わりやすく、今日言う「時短」製品だったようである。

*古代の超絶技術

 だったら、各地で模倣したら良さそうだが、薄肉土器を作るには、一旦従来通りに形づくった土器の壁を削る必要がある。
 これは、下手をすると壁が破れたり、形が壊れたりするので、良い道具と良い腕が必要である。壁の厚さは、物差しで測れないから、手加減で仕上げるのである。どこでも、誰でもできるわけではない。

 さらに、そのようにして薄く削られた土器を素焼きして固めるまで、型崩れしない工夫が必要である。

*設備革新
 粘土は適度に固くて、精細な必要がある。でないと水漏れする。となると、水車など、粘土を細粉化するまで突き砕く施設があったのだろう。成り行きでは、高い品質が維持できないのである。
 工房には、一定速度で回転するろくろがあったのだろう。

 また、薄肉土器を、高い温度で焼き締める専用窯が使われていたのではないか。

 このように、高度な技術によって、薄くて、しかも、割れない土器が、揺るぎない品質で数多く生産され、好評を得たはずである。

*土器経済大国
 と言うことで、近畿製薄肉土器は、広く珍重され、現代風に言うと「高値」で、道のり遠い「全国各地に」売れに売れたのである。

 特に希少鉱物を産したわけでもない近畿に大量の銅鏡が到来したのは、薄肉土器との交換によったかと思えるのである。近畿政権は、死の商人と言われかねない鍛冶工房だけでなく、生活必需品である薄肉土器を生産する土器工房を多数設けたかと思う。

                          未完

私の本棚 季刊「邪馬台国」 134号 石野博信 「大和・纏向遺跡と箸中山古墳」 2/5

                  2018/06/30
*祭祀の駆逐
 続く、「銅鐸の破壊」と「纏向古墳群と大王墓」の段は、特に読みつかえることはなかった。

 印象深いのは、出土遺物の精査で、当時、近畿圏で広く信奉されていた銅鐸祭祀が、侵入者によって廃棄され、祭祀が革新されたという意見である。まことにその通りに見るのが、合理的なものなのであろう。

 と言うものの、古代の王は、祭祀の主催者として、格別の権威を保っていたはずであるから、銅鐸祭祀が打ち棄てられたという事は、祭祀主催者たる王家も、打ち棄てられたのだろうが、石野氏は、そこまで踏み込んでいない。

*革新技術の伝道者
 それほど異質な者達が、新たな建築手法を持ち込んだと見るべきかも知れない。凡そ、橋を架け、道を開くのは、軍事活動の一部であり、後世、工兵部隊と呼ばれるEngineer集団が到来したもののように思う。ちなみに、今日、技師と呼ばれるEngineerの起源は、工兵なのである。統一した技法のもと、指揮官の命令に従って各自の任務を、期限通りに仕上げていく、組織的な活動は、今日で言う大規模プロジェクトであるが、そうした組織的な革新的技術が、大規模建築や墳墓造営に必須なのである。

*幻の纏向王宮
 「纏向王宮群」と題して、大型建物群が当時の王宮との提案がされているが、首を傾げざるを得ない。王宮であれば、多数の吏人や奴婢が必要である。
 それらの者達は、どこに住んでいたというのだろうか。また、数百人が長期にわたって居住した住居があったとすると、膨大な廃棄物が発生したはずである。出土物が膨大なはずである。

 総勢数百人におよぶであろうむくつけき者達は、食糧生産に従事しないから、これに数倍する戸数の農地が、王宮を維持するための食糧生産に充てられたはずである。そして、全国から収納した食糧、さらには、食塩を備蓄する倉庫が設けられていたはずである。

 食糧の煮炊きの場所も、少し離れた場所に設けられたはずである。場所を離すのは、火災の際の延焼を防ぐためである。萱葺きらしい建物が踵を接するように並んでいたら、どれかの建物が出火すれば、たちまち延焼するのは明らかである。厨房は、かけ離れた建物として、土壁に囲むなりの安全策を講じたはずである。

 当然ながら、飲料水、防火用水の貯蔵も必要であったはずである。大甕があったのだろうか、大樽だったのだろうか。
 防衛施設としても、野獣除けとしても、環濠は必須である。
 王宮となると、付随した膨大な人員と諸施設が必要である。
 そして、そのように繁栄した王宮が、なぜ、放棄されたかとなる。

 率直に言って、夢想、と言うか、虚構と思うものである。

 石野氏は、そのような論議は、百も承知と思うのだが、敢えて、御神輿として担がれているのであろうか。「晩節」が問われるのである。

             未完

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私の本棚 季刊「邪馬台国」 134号 石野博信 「大和・纏向遺跡と箸中山古墳」 1/5

               2018/06/30 2019/01/29
 私の見立て ★★★★☆

*お断り
 最初にお断りしておくが、当ブログ筆者は、石野博信氏が、古代史学分野の考古学世界で大変信望の篤い先賢であり、しかるべき敬意を払うべきだという事は承知している。
 しかし、本記事は、氏の論考の中の不都合な部分を、なぜ不都合かと指摘しているのであって、氏の権威を否定するものではないし、氏の論考を全面的に否定するものではない。遠慮ない率直な指摘が、最大の敬意の表現と信じて、ここに書き立てているものである。

*座興-即興のお断り
 重ねてのお断りなのだが、以下の論評は、石野氏の当論説をもとにその場で思いついたものであって、深く調べたり、考えたりしたものではない。単なる個人的な感想なので、そのつもりで批判いただきたい。

*人と物の移動
 「はじめに」と題して、枕であるが、考古学界に広く定着していると思われる早計な判断が述べられている。それは、遺跡から出土する土器からその産地を判断するとき、その産地の者がその地に来訪、居住していた証拠だと速断していることにある。

 確かに、その土地固有の生活習慣、食習慣があっただろうから、特定の土器は特定の地域の住民しか使わなかったという事もあるだろうが、ここに示されているような汎用性の高い土器類は、産地から各地に「販売」されていた可能性が高いのではないかと思われるのである。

*物の一人歩き
 古代の商業の形態に関しては、既に学界の定説があるかも知れないが、産地から消費地まで、産地の者が持参する以外に、産地から、隣接地域へ更に隣接地域に「商いの連鎖」で届いた可能性があると思う。

 つまり、別に、今日言う近畿圏の者が、都度遠隔地まで手運び移住しなくても、近畿系土器は、日常のあきないの営みで、各地に到来していた可能性が高いと見るのである。
 特に土器は割れ物であるから、扱いに馴れた者が適切に緩衝材で保護した物が、いわば、輸送に適した商品として無事に伝来していたように思う。

*担ぎ商売幻想
 更に言うと、薄型土器のように嵩高い割れ物は、「質量」(重さ)は、さほどでなくても、背負子で担う陸上輸送に適さず、手漕ぎ舟で、海上輸送されていたのではないかと見るのである。
 一人漕ぎ程度の小舟商いの商人が、潮待ち、風待ちしながら、泊りの市で稼いでは、また次の泊りへと、港伝いに渡り歩く行商をしていたのかも知れない。少なくとも、そのような小規模な船商いがなかったとは言い切れないはずである。
 まさか、高価な土器の商いだけで、長い商い旅を食って行けたとは思えないので、非常食もかねて、干し魚とか干し貝とか木の実とか、腹の足しになるものも携えていたかも知れない。何しろ、土器の中は空洞である。見事に混載できるのである。

 と言うように、古代の商いで、薄型土器は、食料品と共に、小舟で港から港にゆるゆると運ばれたように思う。
 それとも、各移住者は、台所道具一式と保存食をしこたま背負って、何百㌖の旅路を延々と歩きつめて引っ越ししたというのだろうか。

 と言うことで、冒頭で、とても信じがたい社会像を提示いただいて、理解の試みは、一旦頓挫するのである。

                          未完

2018年6月29日 (金)

私の本棚 季刊「邪馬台国」 134号 物部氏と尾張氏の系譜(5) 4/4

*全国制覇

 筆者は、「これらの人々にまつわる皇族の逸話は(中略)上代の文献に記されて、所縁の神社・古墳・伝承などは、日本全国におよぶ」とおっしゃるが、随分誇張していると思う。例えば、古墳、いわゆる大規模墳墓が日本全国至る所にあるとは聞いたことがない。

 ちなみに、上田正昭氏は、後世日本とされた領域という意味で、地理概念としての「日本列島」と呼ぶことを提唱している。これに対して、「日本全国」のように、「全」、「国」と言い立てるのは、政治的な概念であるから、相当胡散臭いのである。

*軽佻浮薄の弊害
 また、現代の若者に神社(寺院朱印も多数あると思うが)の御朱印やパワースポットのブームの波(ブームの波?)が押し寄せていると言うが、それを、生物の遺伝情報であり、親子関係によってのみ継承されるDNAのせいにするのは、どんなものか。

 また、殊更非仏教系だけ(?)のパワースポットに対する一般人(?)の関心が高まっていると感じているのは、まことに、非科学的、非民俗学的な書きぶりである。
 まっとうな史学者の書いた論考とは思えない。

 このように、世相に感じいって、「存在感」や「真実味」がまして感じられるというのは、感情的なものであって、非科学的である。加えて、論考を書き上げる際に、現代的なカタカナ語の言い崩しや、若者言葉を排すべきである。

 先に挙げたような言い崩しは、狭い意味での世間受け、つまり、筆者の取り巻きの若者受けするかも知れないが、その分だけ、古代人の心から遠ざかっているのである。筆者が若者に迎合して筆を曲げた論考は、若者の心に古代人と通じ合わない小宇宙を形成して、若者が古代史学に通じようとする気概を損なうのである。

 ちなみに、編集後記では、「DNA」が犯罪捜査の「DNA鑑定」の意味になっている。若者言葉は、なんでも、三文字、四文字に端折って意味不明にする、一種の幼児語なのである。染まらないでいただきたいものである。

*揺れる言葉
 最終段落で、「フィールドワーク」と書いているのは、文化人類学的な野帳作成を言うのだろうから、特に、不適切なことはないが、先ほど「上代の文献」と言って、ここで「上代の古典」とは、意味不明である。

 古代史に関する論考は、少なくとも、意味の固まっていない現代語を排しなければ、読者に意味が通じないから、これらの場違いな言葉は、無意味である。

*本領滔々
 以下、2.3.は、物部、蘇我両氏の衰亡譚を離れ、構想も新たに、倭人伝時代にちなんだ古代の様相について、豊富なフィールドノートをもとに多彩な考察を加えてゆったりと展開している。とても、素人の口出すことではないので、関心のある各位は、是非、当誌を購入して熟読いただきたいものである。

*総評
 前段部分の批判ばかりになったが、記事筆者ほどの学識と思考力の豊富なかたが、若者の感情に訴求する書き方に陥って、古典的な文章作法、語法をなおざりにしているのは、傷ましいと感じたのである。
                      完

私の本棚 季刊「邪馬台国」 134号 物部氏と尾張氏の系譜(5) 3/4

                           2018/06/29
*意図不明の参照
 ③大化の改新で守屋の系譜が復活

 素人考えでも、物部守屋の駆逐が「革命」、つまり、新来勢力による既存勢力の打倒とすると、当然、反革命が起こる。つまり、旧勢力の復権である。

 あるいは、このような抗争の際の常套手段として、物部氏の下位層に、革命に協力すれば、物部氏の頭領の地位を保証すると持ちかけたのかもしれない。旧事紀を参照するまでもなく、全国に物部氏の分家が多数展開しているから、これら全てを敵に回すことなどできなかったに違いないのである。

 総じて、筆者は、既存論者の単純な思考形態にとらわれていて、先人の論考を踏み越えて前進する気概に欠けているものと思われる。

*見出し冗長の弊害
 ④古代の大事件の中での物部氏と尾張氏のポジション

 小見出しが冗長なのは、筆者の不手際である。
 「ポジション」と意味不明なカタカナ語で締めるのは拙劣である。

*戦国世相
 書き出しの戦国時代や江戸時代の例示は、時代錯誤であるし、著者による総括は、認識不足であり、不適当であると思う。

 例えば、一つの見方として、織田信長の武装仏教勢力攻撃は、「天下布武」、つまり、武士秩序による全国制覇を目指した政権闘争と見ることができる。

 信長の不退転の戦いは、新興宗教を奉じたものではないし、天皇制を奉じたものでもないと思うのである。いずれにしろ、意味不明な宗教戦争と呼ぶのは、見当違いである。

 一方、江戸時代初期のキリスト教信者による挙兵は、一つの見方として、法王の名に従いイスパニアがフィリピン等で展開した民族浄化策の日本への導入の端緒であったかも知れない。もちろん、そうでなかったかも知れない。
 少なくとも、法王と法王を押し立てたイベリア半島諸国の世界制覇の意図は、「東アジア」に於いては、罰当たりな偶像崇拝の仏教勢力との対決による純然たる布教だけではなかったはずである。

*粗雑な受け売りの害
 筆者は、以下の展開の枕として、本分ではない時代例を取り込んだのかも知れないが、こうした受け売りは、得てして粗雑であり、読者の反発を招くのである。

 ちなみに、古代史学分野で近来見かける「宗教戦争」は、法王庁にも似て、強大な既得権を擁し、従ってこの上もなく頑迷な「畿内説」勢力と在野勢力の論議なき「論争」を諷したもののようである。
 当ブログ筆者は、取るに足らない一私人であるから、どちらかに加担しても、しなくても、別段何という事もないのだが、密かに、と言うかここに公言しているのだから、丸見えなのだが、人知れぬ私見として、中々蘊蓄に富んだ表現と見るのである。

*乱れた言葉
 ⑤フィールドワークするほどに存在感は増す

 この小見出しは、まっとうな日本語ではない。

 書き出しがカタカナ語というのもあるが、全体としていわゆるブロークン、壊れた言葉遣いである。感心しないことおびただしい。
                     未完

私の本棚 季刊「邪馬台国」 134号 物部氏と尾張氏の系譜(5) 2/4

                       2018/06/29
*不都合な類推
 類推と言っても、欧州のローマ法王に「天皇」が相当すると見ると、天皇家が信奉する祖霊信仰を捨てることに思えるのである。

 あるいは、帝政ローマで、時の皇帝が、古来の神々を捨ててキリスト教に帰依したことになぞらえるようにも思えるが、筆者は、そのような語義審査はしていないようである。

*姻戚関係の妙
 ②蘇我氏と物部氏は姻戚関係にあった

 別に不思議でもなく、大氏族間に婚姻に基づく親戚付き合いがあったのは、むしろ、当然に思う。そうしなければ、近親結婚となって、弊害が多いのは、当時、知られていたようである。

 婚姻と言っても、各氏族の女性は、嫁ぎ先に、自身の氏族の祖霊、端的に言えば、氏神の住まう神輿とも思える神棚を携え、それこそ、氏族小宇宙の中の小宇宙を形成していたのではないかと思われる。

*藤原氏の早発
 有名な乙巳の変をどう捉えるかは別として、ここに藤原鎌足を書き立てるのは不適切である。せめて、中臣鎌足と書くべきである。

*国際関係の怪
 末尾に、「大陸との国際関係」と無造作に現代概念を持ち込んでいるが、勘違いも甚だしい。

 「国際」関係を結べる「大陸」とは、中原政権のことのように思えるが、当時の中原政権が、東夷の小支族と対等の関係を結ぶなどあり得なかったのである。こちら側にしても、支族には、「国」の体裁がないのだから、両者の間に「国際」関係などあり得ないのである。これら支族が、大陸王朝に「王」と名乗って貢献した記録でもあるのだろうか。

 そもそも、東夷などの夷蕃のものが、直接帝都にやって来て、拝謁を願うのは赦されないのであり、まず、帯方郡や楽浪郡が受け付けるのである。
 現代でも、国家元首の信任状を持たない外交官は、外交官として受け入れられないのである。まして、一地方自治体による外交などあり得ないのである。

*疫病考 余談
 疫病蔓延を見ると、おそらく、朝鮮半島からの来訪者に健康保菌者が混じっていて、自身は発病せずに病菌をまき散らしたのではないかと思われる。特に証拠は無いが、疫病患者は、数か月の旅に堪えないので、普通、疫病患者が流入しても、九州北部程度で蔓延は終焉していたはずである。

 これらの事例は、後にも、奈良盆地の小宇宙に未知の病疫をもたらしたものであり、確かに、外来者は、新しい文化と共に、未曾有の災厄も齎したと思われる。

 案ずるに、古くから半島と交流していた九州北部では、おそらく、経験的に遠来の新来者を一定期間隔離する防疫管理をしていたと思われる。そうでなければ、早々に、地域絶滅していたはずである。

 いや、余談になったが、この程度の考察すら、滅多に見かけないので、ついつい書き足すのである。
                     未完

私の本棚 季刊「邪馬台国」 134号 物部氏と尾張氏の系譜(5) 1/4

                 2018/06/29               
  ~上代古典の神・氏族・自然~
  神武天皇か、物部氏宇摩志麻治命か    志村裕子
私の見立て ★★★★☆

 本稿で潤沢に展開される、資料に密着した論考には異論はないが、いろいろ、同感できない言い回しが目につくので、具体的に、何がどう気に入らないのか書いていくことにする。個人的感想なので、絶対というものではない。こう言う見方もあることを伝えるだけである。

*見出しの怪
 1.日本古来の神道祭祀を守った物部守屋

 この見出しから躓くのである。
 議論の対象は、書紀や旧事紀の記事であろうから、用語は筆者の責任ではないかも知れないが、少なくとも、「日本」は、七世紀末から八世紀初頭に発明された概念であるから、ここに登場すると時代錯誤の感を禁じ得ない。現代人が書いているから、現代人の言う日本かなとも思うのである。

 「古来」とは、どの時代の視点によるものかも不明である。現代人が書いているから、現代人の言う古来なのかとも思われる。後ほど出て来る「上古」も一読者としては、解釈が安定しない。

 「神道祭祀」は、ほとんど現代語である。物部守屋の在世時、そのような概念は存在しなかったはずである。当時にとっての古来、各氏族には、各氏族の神、というか尊崇すべき祖霊があり、「神道」に近いものとしては、両親、祖父母の霊を尊崇する共通の習わしがあったように感じる。つまり、各地の風俗は、言葉と共に同根であったのではないかと思われる。

 また、文字も紙もない当時、少なくとも、各氏族の系図は、口伝によるものとしても、伝えられていたものと思われる。

 但し、口伝とは言え、神官、巫女を備えた氏神祭祀を司る神社は、各地に展開していて、いわば、草の根にまで浸透していたから、後に、駆逐することなどできなかったのである。

*宗教戦争考
 ①物部氏と蘇我氏の宗教戦争

 ここに登場する「宗教戦争」なる言葉は、当然同時代言葉でなく、読む人によって解釈が揺れる。筆者は、蘇我馬子と物部守屋の政争を「宗教戦争」と断じて、片付けているようだが、それは、古代史上の事件を評価する上で速断ではないだろうか。

*時代・世界錯誤
 なお、素人考えで恐縮だが、宗教戦争という言葉は、明治以後に、欧州キリスト教の旧教対新教の抗争をもとに発明した用語のようであるが、時代も世相も違うこの時代の政権闘争をそのように類推するのは、どうしたものか。
                     未完

2018年6月21日 (木)

今日の躓き石 「精神状態」を問われるW杯代表監督の悲嘆

                          2018/06/21
 今回の題材は、やや旧聞になってしまったが、サッカーW杯コロンビア戦実況放送番組の冒頭に放送された監督インタビューの冒頭の質問である。
 実見したのは、BS1での再放送であるが、質問を発したのは、公共放送NHKのアナウンサーである。もちろん、試合の結果は知らない時点である。
 
 それにしても、聞くに事欠いて「精神状態」はどうかと問い掛けられた監督は、内心、間違いなく激怒であったと思う。

 「おまえ、気は確かか?」とは、とんでもない卑劣な質問である
 インタビューアーは、研ぎ澄ました問いかけとでも思ったのだろうか。この時点で、監督は、どんな精神状態だと思って聞いたのだろうか。
 
代表監督は、国民、つまり、カメラの向こうの視聴者に直面しているから、この愚問に相手しないといけないのだが、どう言えというのか。
 これが、NHK最高の人材の最善の質問とは、信じられない。
 当方が質問されたのであれば、直ちにカメラを止めて、質問が無礼だと指摘して、インタビューを没にするところである。
 
 大体が、せいぜい、大敵を前に闘志は湧いてきましたか、とでも聞くものだろう。これに対しては、湧いていますとしか答えようがないので、聞くだけ無駄というものである。
 良くある質問だが、試合の前にどんな心境ですかと問われても、返事のしようがないのである。まさか、勝てると確信していると言わせたかったのだろうか。
 
 つくづく思うに、こんな直前インタビューなど、意味がないからやめたらどうだろうか。
 
 それにしても、代表監督とは、大敵に直面する勇気を組み立てている大事なときに、背後からの石つぶてに耐えねばならないものなのだろうか。
 
以上

2018年6月 9日 (土)

今日の躓き石 毎日新聞 サッカー報道の本筋回復

                       2018/06/09
 今回の題材は、毎日新聞のサッカー報道であるが、当ブログでは、ここ二回手厳しい批評が続いたので、その間に、本筋報道があったのを謝意と共に書き留めるものである。
 
 題材は、毎日新聞大阪第13版スポーツ面のサッカー報道であるが、取り上げられているのは、5/30のガーナ戦であり、新監督の指揮下の戦いぶりを、データに基づいて、冷静、かつ、賢明に分析しているので、大変ありがたい。

 と言うものの、このような解説記事があっての、前々回記事に取り上げたような高度な批判記事が来るべきだと思うのである。言うならば、もったいない手順前後であるが、毎日新聞のサッカー報道として、ちゃんと見直されているという事と思う。
 
 さて、当記事は、前監督時代のデータと新監督のガーナ戦のデータを対照表形式で公開して、論評しているので、まことに明解であるし、毎日新聞のスポーツ報道でおなじみの身体検査式評価が出てこないので、ありがたいのである。
 
 また、とかく、断片的な捨て台詞しか報道されなかった前監督の指揮が、しろうとにもわかるように、つまり、大抵の一般読者に伝わるように、丁寧に説きほぐされているのもありがたい。
 
 ガーナ戦については、既に元代表監督ジーコの評価が報道されていて、趣旨として「いくら華麗にパス回ししても、時間ばかりとられて、最後は、ゴール前に高い球を送り込むのであれば、待ち構えている相手の高い守備に阻まれて点が取れないのも当然」、としていた。
 
 この点は、指摘の通りとして、前監督は、世界一流のチームには、日本式の攻めが通用しないから、超の付く速めの攻め上がりで、「超速」カウターアタックを狙うべきだとする戦略が、始めて、一般読者に伝わったことになる。
 
 他にも、前監督の戦略は、「攻防の切り替えの激しいゲーム展開にすることにより、心と体のスタミナで敵を凌ぐ」という作戦に、勝機を見出すと見えたのである。

 これは、「カウンターアタックで攻め上がりを急ぐとボールを奪われたときに失点する可能性が高い」、などという、ちまちましたリスク意識を押しのける強い意志を感じさせるものであるが、そのような狙いが明解に報道されたことは、ほとんど無かったように思う。報道人と監督の間に、越えがたい溝が生じていたように見えるのである。
 
 と言うことであるが、現監督は、前監督の戦略を継承できないので、伝統的な日本サッカーを進めざるを得ないのである。
 
 因みに、当方の見方は、日本代表が上位チームに勝てないのは、総合力の差によるものであり、全て狙い通りに進めても、4,5戦に一回勝てるかどうか、というものだと思う。
 
 後は、特定の相手にどのようにして勝つかという、特化した戦術選択であり、それこそ監督の技量を試されるものである。
 
 当記事は、新旧監督の戦略眼を示すものであり、意義深いものであった。
 この記事に先立って、往年の一流選手の戦略眼として、柱谷氏の丁寧な解説があったが、本来、全国紙記事に求められるのは、そのような「監督と選手の言葉の繋ぎ役」である。
 
 素人読者である一サポーターとしては、担当記者が演説のごとく滔々とぶち上げる高度な論説記事の前に、かくのごとく明解な報道をお願いしたいものである。
 
以上

今日の躓き石 毎日新聞 早生まれの不思議に掘り下げ無し

                         2018/06/09
 今回の題材は、少し遅くなった6/8(金)の毎日新聞大阪朝刊第13版のスポーツ面の「西野のJのトレンド」と題した囲み記事である。

 過去五回のワールドカップ大会の代表選手の生まれ月を表にしていて、一見データ分析のようだが、肝心の年齢に触れていないのもあって、意義がはっきりしない。

 日本代表の人選は誕生月で左右されているのだろうか。同年・同学年で、同程度の力量の選手が複数いたとき、生まれ月で人選したというのであれば、それは、一つの見識と言えるが、選手の評価要素は、多種多様で、生まれ月が拘わってくることなぞ、まず無いのではないか。
 そうした確証がない限り、代表選手の生まれ月を指摘しても、ただのデータ遊び、数字遊びであり、「トレンド」などと呼べるものでも無い。
 まして、選手は、自分の生まれ月を選べないし、当然変えることもできない。
 これでは、まるで、星占いである。星座別にした方が良いのでは無いか。

 世界的にプレーヤーの年齢・年代区分は、欧米を中心とした太陽暦の元日で区切られていることは、当然とは言え、時に忘れがちではないかと思うので、今回の記事は、中々良い点をついたと思う。
 ただし、「早生まれ」論は、とうにすたれた昭和ネタだと思っていたので、ここで持ち出されて、唐突である。
 記事の議論はそこで停まっていて、おそらく、世界中で日本だけの4月1日で学年が改まる制度の意義は、何も問われていない。現在までのやり方に不備があるのであれば、なにか提言があるかと思ったのだが、何もない。

 また、他国の学年制度を調査して、それが、各国代表の人選にどう作用しているかとの分析もない。多くの読者は、その辺りを聞きたかったと思うのだが、すっぽかされている。

 比較検討していないから、日本流の功罪はわからない。
 と言うことで、何とも上っ面だけの冷やかし記事になっていて、まことに残念である。
 次は、血液型占いでもするのだろうか。

以上

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