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2018年7月 1日 (日)

私の本棚 季刊「邪馬台国」 134号 石野博信 「大和・纏向遺跡と箸中山古墳」 5/5

                   2018/07/01
 初回投稿では、なぜか最終回を漏らしていたので追加する。

*箸墓談義
 「纏向王宮と箸中山古墳(箸墓)」の段で、2012年に朝日新聞社が、宮内庁に資料照会して開示を受けた箸墓関係資料について、考察が述べられていて、貴重な意見が多く見られる。

 それにしても、公開を受けた新聞社が、関係資料の一部の公開を差し止めているのは、社内で起こした資料としても不可解である。まして、国民の公僕であるべき宮内庁が、国有資産を秘匿しているのは、不届きそのものである。憲法違反とまでは言わないが、である。

*冢談義
 言い古されたことではあるが、箸墓の円墳部は、最上部に積石塚を設けているとのことである。石野氏は、箸墓を、卑弥呼の後継である臺与(壹与)の墓と見ているのは、この部分にあるような気がする。

 規模の大小は別として、倭人伝には、卑弥呼の墓は、冢、つまり、封土、つまり、土盛りと明記されていて、積石塚ではないのである。

 この点、箸墓は卑弥呼の墓ではないとの氏の判断の根拠なのだろうが、その点で言葉を濁しているのは、古代史学の指導者の発言として、不可解である。

*文字と鏡

 「二・三世紀の文字と鏡」の段は、かなり重大なテーマを、そそくさと片付けている感じである。

 中平年号刀に関して、折角の宝刀が粗末な扱いをされている点に触れているのは、王統の断絶めいた感慨の表現と思うが、ここでは深入りはしていない。

 それにしても、後漢中平年間が、卑弥呼の遣使年に一致すると言うのは何かの錯覚であろう。これでは、金関氏の誤解となってしまう。

*総評
 案ずるに、石野氏は、現在、古代史に関して論述するときに、適切な補佐役を持っていないようである。「モンロー主義」、「中平年間」共に、編集時の校正、校閲の対象として、さほど指摘困難とも思えない事項なのだが、誰も、玉稿の瑕疵を指摘しなかったのだろうか。

 いや、つまらない指摘で恥じ入りつつ、当ブログ筆者の信条を示すものとして、あえて書き残すものである。
                          完

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