« 2018年6月 | トップページ | 2018年8月 »
掲載誌 「図書」 2012年2月号 (岩波書店) 2018/07/01
私の見立て ★★★★★
◯総評
当研究論文は、昨今大分知れ渡ってきた『百済人祢軍墓誌の「日本」』に関して、碑文を逐一吟味するという、まことに地味な議論であるが、先駆けとして、隅々まで論拠を明らかにしているので、後続の論者が、一歩一歩追随できたのは見事と思う。
掲載されたのは、毎号格調高い記事が敷き詰められた当月刊誌の巻頭であり、その扱いに相応しい堂々たる論文と受け止めた。
*経緯
本件経緯としては、先ずは、中国吉林大学王連龍氏の研究論文をもとにした朝日新聞記事で、日本国号をめぐる新史料の発見が報じられた(2011年10月23日)。
東野氏は、声を大にして戒めているが、この記事に示された碑文資料を一見したとき目に付く結論に飛びつき、前提となるべき資料批判がなおざりになる「軽率」の風は、古代史学ではむしろ当たり前で、当論文の慎重・堅実な見方は、ごく少数派になっている。
*論証
東野氏は、本件の初出論文である王氏の研究論文を熟読し、碑文に「日本」と書かれているとの王氏の判断を尊重・継承した上で、
と、細かく抑えて、それぞれ、妥当と思われる。
とかく、国粋的視点からのみ判断して、丹念な論証が無視され、折角の丹念な論証が等閑にされているが、科学的な見方をする限り、東野氏の論考は、全て妥当な論証と見られる。
以上
2018/07/01
初回投稿では、なぜか最終回を漏らしていたので追加する。
それにしても、公開を受けた新聞社が、関係資料の一部の公開を差し止めているのは、社内で起こした資料としても不可解である。まして、国民の公僕であるべき宮内庁が、国有資産を秘匿しているのは、不届きそのものである。憲法違反とまでは言わないが、である。
規模の大小は別として、倭人伝には、卑弥呼の墓は、冢、つまり、封土、つまり、土盛りと明記されていて、積石塚ではないのである。
この点、箸墓は卑弥呼の墓ではないとの氏の判断の根拠なのだろうが、その点で言葉を濁しているのは、古代史学の指導者の発言として、不可解である。
*文字と鏡
「二・三世紀の文字と鏡」の段は、かなり重大なテーマを、そそくさと片付けている感じである。
中平年号刀に関して、折角の宝刀が粗末な扱いをされている点に触れているのは、王統の断絶めいた感慨の表現と思うが、ここでは深入りはしていない。
それにしても、後漢中平年間が、卑弥呼の遣使年に一致すると言うのは何かの錯覚であろう。これでは、金関氏の誤解となってしまう。
*総評
案ずるに、石野氏は、現在、古代史に関して論述するときに、適切な補佐役を持っていないようである。「モンロー主義」、「中平年間」共に、編集時の校正、校閲の対象として、さほど指摘困難とも思えない事項なのだが、誰も、玉稿の瑕疵を指摘しなかったのだろうか。
いや、つまらない指摘で恥じ入りつつ、当ブログ筆者の信条を示すものとして、あえて書き残すものである。
完