倭人伝の散歩道 又々里数論、戸数論 1/3
2018/08/27
*戸数論精読
倭人伝解釈論で、しばしば国別の戸数が話題になる。つまり、誰もが納得する結論に至っていないということである。と言うことで、更に一説を足すことにする。
倭人伝記事の戸数は、奴国など各国のように、単に「有二萬餘戸」などとされているのと投馬国のように、「可有五萬餘戸」と「可」を前記されているのと両様である。
案ずるに、奴国など先進諸国は、戸籍が整って、戸数は一戸単位で算出された確定値だが、倭人伝は概要資料であるから概数表示したと思われる。
つまり、行程終盤の投馬国で書き方が変わるのは、戸数が推定値とわかるように変えたのだろう。曰く、南至投馬國水行二十日官曰彌彌副曰彌彌那利可五萬餘戶。
*里数論再説
ついでに言うと、そこまでの諸国への里数が、概数とは言え明記されているのは、それぞれ実測され、申告されているということである。申告値が虚偽と判明すれば、叱責どころではない処罰があるから、実測の裏付けをとっているのである。
言うまでもないが、処罰されるのは、先ずは、郡太守、次いで正副使、さらには書記である。三国志の権威は、ここに正確な報告を書く動機がないとうそぶいているが、後世人には「命がけ」の意識がないから、殊更正確な見解を述べる動機がないとの自認・自嘲と見て取れる。
*投馬国論
ここで、投馬国までの里数が書かれていないのは、遠隔で実測されていないということである。
*海路幻想
東夷伝ではないが、南方の夷蛮の国への行程では、海を行くこと一年程度、但し、天候に恵まれれば四ヵ月で行ける、などと漠然と書かれている例がある。ハワイにでも行ったのだろうか。
例えば、五世紀初頭、東晋の僧法顕のインド、スリランカからの帰途、大部の仏典を持ち帰るために、往路のパミール山系越え、沙漠縦断を断念し、中国行きの商船に便乗したものの、マラッカ海峡航路で、季節風待ちで数か月待機したとか、中国直前で大変な荒天に遭って難船しかけ、経典の投棄を迫られたとか、船旅の利点と難点は知られていたのである。
そのような、いつ辿り着くとも知れぬ、先の見えない、命がけの旅と、渡海、つまり川越ならぬ気軽な海越は別物なのである。
中国にも、その程度の認識は備わっていたので、海を行くことを「海路」などとは言わなかったのである。
未完
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