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2018年8月29日 (水)

倭人伝の散歩道 又々里数論、戸数論 補足

                  2018/08/29 補充2020/12/20

*日数論
 さて、つい取りこぼしてきたが、郡から一万二千里、水行十日、陸行一ヵ月と書かれているのをどう考えるか。

*水行陸行
 水行十日で渡海三千里、つまり一日三百里である。
 陸行一ヵ月、三十日で九千里、つまり一日三百里である。

*一日五十里相当(㍍は、切りの良い概数)
 倭人伝で使われている里(七十㍍)は、中国普通里(四百五十㍍)の六分の一なので、三百里は、五十普通里となり、古来言う移動速度「一日五十里」に符合している。
 
*帳尻合わせ
 もっとも、所要日数(水行十日、陸行一ヵ月)は、とてつもなく重要な事項であるので帳尻合わせしている可能性がある。そして、帳尻合わせの内容は、よくよく調べる必要がある。

 例えば、水行に十日必要な実情から三千里としたと思われる。海には、測量すべき道のりはない。

 また、郡から狗邪韓国の「七千里」は、郡(楽浪郡も含め)が官道整備、測量済みで、郡の台帳に確定記録していたと思われる。

*最後の紆余曲折起伏 二千里
 倭領域内の里程、つまり、末羅国から倭王都邪馬壹国までの道のりは郡管理下になく、文書通信に供した地方道も、所要日数は不確実だが、郡は、これを二千里とし、半島内七千里と合算九千里で、陸行一ヵ月として、必須の日数を得たと思われる。

 この間の日数は端数であるから不確かさは七千里部分で吸収したのである。管理、処罰の厳しい文書通信は命がけだが、最悪の場合でも、文書使が半島内官道を疾駆して帳尻合わせで期限必達とできる、つまり、責任が持てると見たのであろう。「責任を持つ」とは、報告する数字に首を掛ける、文字通り斬首覚悟ということである。
                                            以上 

*不定解の森
 安本美典氏が古代史論の決着がつかないことを評したのを敷衍すると、以上の議論も、他の解と共存できる「不定解」の森の小枝、一解である。論が排他的でも、あくまで一論の立場である。

 

*最小労力解
 当方は、倭人伝記事の里数論で諸論ある中で、最もこじつけ労力を要しない解が、最も明解でも妥当な解であり、それだけに正しい解である可能性が高いと信ずるものである。但し、里程論全体が「全部虚構」なる無正解論は除く。

 

 倭人伝は、当時の教養人にとって、明解であったと信じるからである。

 

 

*お断り
 以上の議論を含め、当ブログの議論は、古田武彦氏、安本美典氏を始め、数え切れない先賢の学恩を被っているが、時として、それら先賢への恩返しとして率直な批判を浴びせている。都度謝辞を書き連ねられないことを、この際にお詫びする。

 

                                               完

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