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2018年9月 5日 (水)

私の本棚 一中国人の見た邪馬台国論争 ⑼ 張明澄 2-2

 季刊邪馬台国第19号 (1984年3月刊) 好評連載第九回
                  2018/09/05      
  私の見立て ★☆☆☆☆  末尾の提言 ★★★★★

*記紀擁護の熱弁
 張氏は、記紀を、古代人のでっち上げと見る日本人は多いと見て取りながら、言葉遣いを誤っているのはもったいない。ここは、創作(Ficiton)と言うべきである。一定の筋書きに従って作り上げた物語は、でっち上げ(Fake)ではない。勝手に、そのような陰の声を作り上げて開き直っているのも、自作自演の創作と言える。

 記紀も倭人伝も、過去に起きた史実を客観的に中立に書き記したものでないから、それぞれ創作であるというのは、卓見のようで愚見である。
 ものごとは、程度の差で評価が分かれるのであり、記紀が黒に近い灰色、倭人伝が白に近い灰色としたら、一目で明暗が見えるのでけあるから、両方灰色とは暴論である。
 記紀が黒っぽいからといって倭人伝に泥を塗るのは、あくまで美肌効果(Cosmetic)であり、倭人伝の本質には影響しない。

*狢論
 その勢いで、ものごと皆灰色としゃれるかと思ったら、張氏は、古田氏史論はガセネタと決めつける。一度鏡を覗いていただければわかるが、張氏の議論は大抵灰色で素人目には、古田氏と同じ穴の狢なのである。これは、美白しても変わらない。

*こじつけの余談
 末尾に、毛沢東政権末期の四人帮に関する日本側の観測が間違っていたと揶揄するが、当時、中国国内の消息は日本に伝わっていなかったから判断を誤っただけであり、無理難題というものである。当時、中国中央の消息は、国内とは言え地方にすら伝わっていなかったが、かえって、台湾に伝わっていて、張氏は消息を知っていたのかと思うのである。

 教訓は、「実情を知らないものの報告は信じるな」である。

*論証無き論断の非
 今回も、氏は、随分力説しているが、明記無き偏見と見当違いの類推から来る独断的な所論で、現実の古代氏論を論断するのは、暴論である。論証しなければ、論断はできないのである。

*素晴らしい卓見 
 今回有益であったのは、倭人伝なる文献史料を正確に理解するには、二つの読み方が必要との提言である。

 一つには、「語学として読む」。私見では、当時中国中原の文書家の辞書(仮想)を根拠として読むのである。それと別に、「著者の意味を汲み取るように読む」。私見では、倭人伝自体を根拠とし、文脈に従って読むのである。

 古代史分野でこの意見は、張氏の畢生の卓見であり、古代史分野の金字塔のように思われる。当方は三十年後に後塵を拝しているが、素晴らしい卓見である。倭人伝の解釈が定まらないのは、現代中国人が誤解する用語表現が多く含まれているからであり、それは三世紀当時の洛陽市民に読ませても、大して変わらないように思う。

 「文は、まず文脈で読め」と言うのは、当方の独断である。
                             以上

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