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2018年9月15日 (土)

私の本棚 一中国人の見た邪馬台国論争 ⑺ 張明澄 2-3

 季刊邪馬台国第17号 (1983年9月刊) 好評連載第七回
  私の見立て ★☆☆☆☆  末尾の提言 ★★☆☆☆
                       2018/09/15
*読解力の欠如、表現力の欠如
 つづいて、「証明能力の識別」が命取りという。文献や遺物に証拠能力があるかの判断能力が欠如していることらしい。当方の日本語語学力では、しばし判読できなかった。憶測だが諸賢にも意味が読み取れないだろう。人は、知らずして黄泉路を行くのであろうか。

 つまり、著者の意を汲んで読替えないと理解できないのである。これは「語学」冒瀆だろうか。冒瀆しているのは、誰だろうか。

 ということで、以下、延々と奮戦されている議論の根底が見て取れない。ご自身の主張を自身で冒瀆している論法は、まことにもったいない。

*白崎氏批判
 古田氏ならぬ白崎氏の論を取り上げるが、「われわれ」などと架空同僚を言うのは感心しない。「問題」とは、研究課題という意味だろう。

 さらに、三国志著者が「白崎氏が勝手に作り上げた法則に従って」と攻撃しているが、古代人が後世人著作を知ることはできないのは自明でありとてつもなく愚論である。氏は、多くの資料から帰納的に「法則」を見出したのである。もちろん、正確かどうかは、また余の儀である。

*多数派工作
 続いて、「まともに古文を読める中国人」なる風評虚報で直線式読解が少数派とするが学術論議は多数決でない。「証拠能力」に欠けると見える。

*梁書批判
 続いて、梁書に書かれている旅程論を、梁書の著者の心境を空想・忖度して、これに自説を託しているが、同じく証拠能力に欠ける議論である。

*「気まま」批判
 ここで古田氏の意見を「気まま」と批判するが、論者は自身の意見に合わせて証拠を撓めるものであるが、古田氏は、考古学的な諸賢を踏まえる理性的論者であるから、女王国を欧州に比定するはずはない。張氏ほどの人には奇妙、いや不可思議な暴言である。「奇妙」では絶賛と解されるかも知れないので、言葉を換えた。

*ローレンツ短縮の怪
 途中で、また訳のわからない余談が介在している。「ローレンツ短縮の物理学」などと訳知りめいているが、これは、光速に極めて近い速度で移動する物体に関連した時間と空間の変移を言い、日常世界には関係無い。生かじりの無責任な余談は、張氏を真似ると、「こじつけ」であって氏の主張を裏付ける「能力」などない
のである。

*海上里程論
 ちなみに、張氏が、このような妄言を弄してまで主張しているのは、一大国から「千余里」の距離表示にこだわるせいであろう。

 これは、張氏が、倭人伝の海上里程表記の独特の書き方を理解していないためである。時代と地域で、独特の言い回しが行われるのは、当然であり、全時代、全地域を通じて、同一の言い回しで同一の概念を表現していたとするのは、誰が考えても夢想であろう。がんこな語学信者である張氏自身も、それは認めているのである。
                                       未完

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