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2018年10月

2018年10月29日 (月)

私の本棚番外 また毎日新聞の虚報か 淀川沿いに古墳時代集落跡

                          2018/10/29 10/30補筆

 毎日新聞2018年10月25日大阪朝刊社会面に「大阪・上牧遺跡 淀川沿いに集落跡 3~6世紀、交通要所に30棟」との記事があり、小振りの記事だが、関西ローカル扱いを良いことにしているのかどうか、まことに大胆な見解がばらまかれていて呆れるのである。

*砂上の楼閣
 同遺跡は、発表者が淀川の中州だったと推定している場所で、三世紀にわたって存在していたと推定するのは、速断であり、ここに見える二つの推定は両立しないと見るのが、合理的な思考ではないか。
 あるいは、中州というのが、学術的に正しいとしても、一般人の誤解を誘うことを期待したか、一種の誇張であり、淀川の分流の間に、比較的隆起して乾いた土地がたっぷりあったという事ではないか。常識的には、中州は軟弱で建物を建てるのに適していないし、橋のない中之島では、大変不便だと感じてしまうのである。
 素人考えだが、学術的に中州というものの、普段は、何れかの支流はほとんど涸れていて、飛び石伝いかも知れないが、比較的自由に往き来ができたのではないか。そうでなければ、建材を持ち込んで建物を建てることすら覚束ず、そんな剣呑なところに、大勢住まうことはないはずである。以上は、あくまで、素人考えである。

*淀川氾濫の幻
 ちなみに、淀川がしばしば氾濫していたというのは、後世人の安直な推定であって、巨椋池の緩衝により、大氾濫はほとんど無かったのではないか。今日の大阪平野の大半は、江戸時代の川筋付け替え以前、氾濫の絶えなかった大和川水系の齎した堆積であって、淀川水系は土地造りにほとんど貢献していないことを見るべきではないか。 
 素人考えだが、当時の人々が、財産と人命を集める建物を、水没の危険がある場所に建てるはずがないと見るものではないか。

*不当な時代比定
 ついでながら、発表者の責任ではないが、三世紀前半が古墳時代であったというのは確たる権威がない推定であり一部論者が醸し点てている風評ではないかと愚考する。
 
 素人考えだが、関西で考古学活動している限り、太った虎の尾は踏めないのかも知れないが、考古学では、出土物に紀年がされていない限り、西暦に固定した判断は控えるという良き伝統があったと思うのだが、どうなっているのだろうか。痩せて遺跡焼けした考古学者はいなくなったのだろうか。

*不出来な報道
 と言うことで、公費で行った発掘事業の成果として、このような不確かな意見を、地方遺跡に対する推定として発表しているのは、ことの締めとしてまことに不適切と思われる。

 藪から棒にコメントを求められた教授が、(三世紀にわたって)「安定した居住実態があったとは」(とても信じられない)と率直に述べているのは見落としてはならないと思う。

 ちなみに、発掘調査の主体とされている大阪府文化財センターは、まだ上牧遺跡現地説明会資料を公開していないで、さしあたり毎日新聞記事に頼るしかないのである。

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2018年10月26日 (金)

倭人伝の散歩道 又々々里数論、戸数論 補足 5/5

                       2018/10/26 補正2020/12/20

*里の起源(「釋名」劉煕:後漢)
 中国太古(周代以前か)では五戸を「鄰」として、五鄰(二十五戸)を里とし、方形と見た里の一辺を「里」とした制度があったようである。ちなみに、里の首長は、里の中央に社を設けて氏神を祭祀したとのことである。当時は、万事小振りの古代であって、里は七十メートル餘で、殷を継ぐ周はそれを維持したとの推定が語られることがある。記録がないから、そのような「周里」の推定は自由ということになってしまうのである。

*里の変貌
 これを続けると、遅れて文明に浴した秦は、「周里」の趣旨を自国の大家族世帯の格好に合わせた四百五十㍍の里、のちの普通里を採用し、統一王国を築いたときにこの里が全土に適用されたという推定もありうることになる。

 その場合、おそらく戦国各国は、「周里」を敷いていたであろうが、各国王家が滅びて、始皇帝の敷いた「同文同軌」と共に駆逐され、普通里で一新、測量されたのであろう。里制に限らず、社会制度の根幹が一新されるのは、史上類の無い同文同軌の一大変革の際に限られるのである。

*周制の名残り
 但し、後の楽浪郡管内の朝鮮半島東夷は、秦朝域外の鄙で、秦里は及ばず、周里を維持したのであろう。それが、一つの思い付きである。

*大人と下戸
 「戸」の談義をすると、倭人伝の「大人」、「下戸」とは何かと思う。
 
 大人は、大所帯の物持ちとして、「上戸」、「大戸」ではない用語と思われる。倭人伝には、「小人」は出てこないで「國大人皆四五婦下戸或二三婦」と「下戸」と対比されている。
 
 同居の使用人は戸で数えないとして、大人に平伏する下戸も戸を構え、配偶者を一人ならず養っていた者もいたことになっている。

 下戸の下には、掘っ立て小屋めいた住み処に巣食っていたものがいたはずである。辛うじて自立して耕地を持ち、兵、税、労務の負担に耐える最低線ということになるのであろう。

 その下は、自前の耕地を持たず、入会地などのおこぼれで飢えを凌ぐ貧民だろうが、大人が雇い入れて扶養し、あるいは、小作させて、社会不安を予防し、大人の繁栄を持続させたのであろう。平伏するのは、こうした小作下戸だろうか。自前の土地を持たない貧農小作民に、兵、税、労務を課することはできず、戸数で数えなかったかとも思う。
 いや、同時代史料に書かれていないから、思索するしか無いが、確たる底辺あっての頂点と見るのである。

*戸の限界
 このように考察を加えても、倭の戸制は不確かなのである。
 以上は、明確な証拠のない憶測であるが、断然として否定はできないのではないかと思うのである。

*謝辞
 以上の私見は、多数の先行文献に依存しているが、ここでは、逐一参照できないのをご容赦頂きたい。

                          以上

倭人伝の散歩道 又々々里数論、戸数論 補足 4/5

                       2018/10/26 補正2020/12/20
*全国戸数説の当否
 続いて「可七万餘戸」と書かれた戸数は、明確な奴国「有二萬餘戸」と不詳の投馬国「可五万餘戸」を足したために、不詳な全国戸数になったと考える。そして、倭人伝には、全国戸数が必須であるから、「可」をつけて記載したのであろう。(蕃王として伝の体裁を要しないのなら、戸数はいらないのだが)

*端数の行方
 倭人伝は、對海国 有千餘戸、一大國 有三千許家、末盧國 有四千餘戸、伊都國 有千餘戸、奴國 有二萬餘戸、不彌國 有千餘家と書くが、一萬戸単位には、奴國二萬餘戸だけ計上され、他は、千戸単位の端数であり計算を要しない。
 また、国名だけで戸数のない諸小国も、端数と見て計算を要しない。
 合わせての理由として、倭人伝は、通説と異なり「餘」が一律切り捨てせず、端数を切り上げ乃至切り捨てで端数を丸めたとの解釈と共にここでは議論しない。

*多桁表示の弊害
 以上を算用数字などで多桁表示すると、概数であることを忘れさせるので固く戒めたい。専ら、実務では筆頭桁の算木計算が採用されたのである。古来、銭勘定は、一銭単位の精度で筆算を行ったと思われるが、そうした高度な計算は超絶技能と思われる。

*七萬餘戸語り直し
 別稿で書いたように、王治の「戸数」は、当然、正確に得られているはずであり、「可」は不要。つまり、倭人伝記法で綴り直すと、次のようになるのである。
 南至邪馬壹國女王之所。官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳鞮。七萬餘戸

 「水行」云々は郡からの里程とみるが、ここでは論議しない。

*可の意義
 倭人伝の「可七万餘戸」は、戸数不詳だが五万より多く十万より少ない見当の表現であるが、王治戸数は、当然適確に捕捉されていて、前記したように「七万餘戸」と言いきれるはずである。

 後世史書晋書が、七万餘戸を全戸数とみるのは、以上の自然な読み解きをしたものである。(「素直な」と書くと、反対論者を罵倒していることになりかねないので、ここだけ自粛した)

*ウソでない創作
 いや、三国志大家の「史家はウソを書く」という暴論には組みしないが、書きようのない数字は、余儀なく体裁を整え、真意を秘めて創作したのは、「ウソ」と関係のない、「無理」の無い議論と見る。

*畿内説、筑後説の根拠
 本論の趣旨に直接の関係はないが、世に言う畿内説の根拠として、「九州に七萬餘戸の大国が存在する余地がないから、邪馬台国は土地に不自由のない畿内に違いない」とする一種の背理法が説かれるが、そのような倒錯した独断は意義が無いと思われる。

 同様に「筑前」に余地がないから、邪馬台国は、筑後、肥後、ないしは豊前とする議論も根拠に欠けると見られる。

 いずれも、根拠は、よそに求めるべきである。

 因みに、三世紀、四囲と隔離された山郷(やまと)に、七万戸の大国が存在したという根拠は見当たらないようである。まして、食糧供給など度外視した壮大な陵墓工事など、素人目には、不可能としか思えないのだが、畿内説諸兄は、自説のダメ出しはしないのであろうか。

                         未完

倭人伝の散歩道 又々々里数論、戸数論 補足 3/5

                       2018/10/26 補正2020/12/20
*北方諸国戸数
 いや、ここで慌てて補足すると、對海国から不彌国の戸数に「可」のつかない北方諸国は、戸籍に基づき戸数計算できたという可能性もあるが、不確かなので不確かとして扱うしかない。

 現にその時代に生きていた人々が不確かとした戸数を、遙か後世のものが、こうと決めてかかるのは無法である。

 概数計算の見地から言うと、諸国で戸数に意味があるのは奴国の二万餘戸だけであり、他の諸国は端数である。して見ると、奴国は、自国の権威を裏付けるため、積極的に桁違いの戸数を申告したとも思えるのである。

*投馬国戸数
 北方諸国に入らない投馬国は、そこまでと変えて「可五万餘戸」、つまり不確かとしている。

 北方諸国は、「一大率」の監察を受けて制度革新に努めたが、一大率受け入れは必須でなく、投馬国は鄙であるのをよいこと我関せずであり、戸籍不備で不詳だが、推定して二万を越え十万に及ばないので中を取り五万としたので、「可五万餘戸」としたと見るものである。

 各国は、投馬国の戸数表明は、全く裏付けのない大風呂敷と見たはずである。遠隔地だから、奴国の倍以上と言われて、確認のしようがないから、「可」と付記したとも見られる。

*王都里数戸数考察
 倭人伝には、倭王の処「邪馬壹国」(以下、単に王都)に至る里数と王治の戸数が明記されていないように見える。

 当記事では、伊都国から王治までの道のり、里数は百里単位の端数であり、千里単位の合算に影響しないので省略したと見る。倭人伝に求められたのは、郡から王治までの里数、所要日数であるから、端数は書かないで済ましたのであろう。

 戸数も、萬戸単位の合算に影響しない端数と見ている。王治は、「小国」、「大国」、いずれとも解釈できるが、本来の「国」でなく、祭祀の最高権威、一之宮関係者が大半である婢千人の家族を含め、王治関係者は、兵税労務を免除されるから、「戸数」計上できないのである。中国でも、首都官吏は非課税が常識であったから、こうした扱いは異例ではない。

 と言うことで、王治までの里数と王治の戸数は、あえて書かなかったという事情があるとみるのである。

 なぜか、倭人伝「志」の「倭人在帶方東南」「七萬餘戸」「自郡至女王國萬二千餘里」「水行十日陸行一月」が離散したのである。

*婢千人創作説
 ついでながら、使い走りも含めて千人いれば、居場所を取り食事も必要だし、し尿処理も大変で、全員住み込みと行かず、官吏共々、時に出退勤したのだろうか。よって、婢千人は、蕃王の王治の体裁を重んじた「創作」と見る。実見したとかしないとかとは、別次元のものである。

                               未完

倭人伝の散歩道 又々々里数論、戸数論 補足 2/5

                       2018/10/26 補正2020/12/20

*勲爵制度
 よく知られているように、統一秦朝は、全土に勲爵制度を公布し、軍功(首)のあったものに進級を加えるという褒賞制度により、兵士一人一人に強力な動機付けを施したのである。
 
 このような勲爵制度は、各戸にきめ細かい賞罰を与えることを可能とするが、前提として正確な戸籍制度が必須であり、良い意味で、伝統を持たない後進国の強みを活かしたのである。

 ついでに書き留めると、秦の勲爵制度では、周朝の高官であった「大夫」が、一般人向けでしかも低位爵位になっている。周朝権威の否定である。
 
 次いで、自国の機能的法治主義を全国に展開し、全国を土台から作り直そうとしたのであるが余談はここまでである。
 
*倭の戸制
 本題に還って「倭」の戸数はどんな意味を持つのだろうか。
 
 極端な大家族ではないとしても、戸長は、複数の配偶者を持ち、当然、それぞれと子を成して、数世代が同居し、多くの壮丁を抱える、秦の旧来家族制度に類するものであったようである。
 
 各戸は、戸長の一男一女を祭事に専念させ、残る「家族」は生産に従事して、戸としての祭祀を維持するから、子供がいない、あるいは、まだ幼い若夫婦は、戸長の務めは維持できず多世帯同居が必然であった。当時の人々にしてみれば、夫婦単位の「世帯」は時代錯誤であり、戸が家族だったのである。
 
*倭制推察
 して見ると、当時の倭が、中国と同様の一戸五人の前提で国政を進めていたはずは無いのである。范曄後漢書は、早のみこみして倭は女性が多い国と断じたが、戸制には踏み込んではいない。
 
 中国の辺境では、兵税労務逃れであろうが、戸籍に異様なほど壮丁が少なく、各戸が年寄りと女子供ばかりなのに基づいた観測であろうか。笵曄は、倭戸籍を見たのでは無いようである。
 
 いや、別に、当時、国勢調査はないから倭の戸の内容はわからないし、そもそも、文字がなく戸籍台帳が存在しないから、各国の正確な戸数、口数は不明としないとしょうが無いのである。
 
 とにかく、東夷の倭人は、華夏文化と無縁の蕃夷の「国」なのである。
 
*郡の苦心
 しかし、帯方郡太守としては、「親魏倭王」に任じる新参国について、鄙、つまり海南遠絶でわかりませんでは、傘下各国の内情を知り尽くすという任務を怠ったものとして解任されるから、戸数は書かざるを得なかったと見るものである。
 
*データ批判の勧め
 と言うことで、苦し紛れにまとめられた、根拠不明の戸数数字をもとに、中国や後世の「日本」の統計数字と関係づける議論は、全て無意味である。調査していないのだから、「正しい」数字は、誰にもわからないのである。

                                  未完

倭人伝の散歩道 又々々里数論、戸数論 補足 1/5

                         2018/10/26 補正2020/12/20


*念押しの記
 今回は、戸数/口数論で言い残したことを更に書き足したい。と言っても、有無所在論でなく漠たる背景事象の確認である。

 特に倭人伝の数字は、根拠薄弱な概数で推論の根拠となり得ないと思うが、世には根拠とする向きがあるので言い直すのである。

 念のため言い足すと、以下、総じて断定調であるが、別に強固な論拠があるわけではなく、あくまで、憶測に近い推定であり、あくまで、狐人の私見である。

 また、かなりの部分で重複再説になりそうであるので、この点ご容赦頂きたい。

*戸数口数の意義 
 中国史書で、方角、里数、日数、戸数、口数は、正史地理志に記載する重要かつ具体的な統計数字で、倭人伝に必須なのである。

 三国志は統計情報を記した「志」を欠き帯方郡戸数は不明である。後漢書の志は、范曄編纂ではないが、楽浪帯方両郡戸数、口数を一戸、一口単位で集計している。つまり、両郡は、中国の基準に従い、管内隅々まで戸籍台帳管理していたのである。

 戸は、兵務、税務、労務(以下、兵税労務)が割り当てられて国力の根幹となるから、確たる数字でなければならない。口は、壮丁、つまり、成人男子が、兵士、農者、労者の一人と数えられ、動員の際は、一戸一人の壮丁を割り当てたであろう。

 一家の男性構成員が、戸長たるものとその父、及び数名の息子であるとすれば、息子一人を徴用しても一戸の生計は維持される。

*秦の戸制革新
 史料に学ぶと、中国戦国西方の雄、秦は中原と風俗が異なり、各戸に数世代、数世帯が同居した大家族制であったが、これを蛮夷の風俗として廃し、嫡子以外は独立して居を構えるようにした。

 大胆な民生干渉で、小規模「戸」の併存した地域社会を束ねる行政形態としたのである。分家政策は、太古以来の家庭内祭祀を抑制して政府の威勢が増大し、兵税労務指示が適確に行き届くようになり国力が増進したという。つまり、魏朝に至る中国の行政は、一戸五人程度の家族を前提としているのである。

*秦朝分家政策
 秦朝では、旧来、政府指令を地域社会の細目である郷に及ばせようとしても、郷長の指示に対して、多くの壮丁を有する家長が従わないと強制し得ないことがあったが、それら壮丁が独立し、切り離された家長は影響力を失い、郷長の伝える政府指示に服従せざるを得なくなっていたと見るものである。

*秦朝興隆 
 伝統的な家族制度という(陸上競技)ハードルを、乗り越えずに押し倒した秦朝は、法治主義なる機能本位の中央集権を全土に隈無く徹底し、中でも全土から均等に徴兵した軍事力により強兵を育て、中原に勢力均衡を持続させていた周礼による節度ある競合を打破して、各国政府を撃滅して全国統一を成し遂げた。

                            未完

2018年10月22日 (月)

今日の躓き石 毎日新聞に「リベンジ」の大見出し

                          2018/10/22
 今回の題材は毎日新聞大阪朝刊第13版「大阪」面である。
 
 「ドリームキッズ In 大阪」と題して、日本一のプロゴルファーを目指して、夢を育てている若者が描かれているのだが、担当記者は、何を勘違いしたか、「闘志秘めリベンジへ」と大見出しで泥を塗りつけているのは、何とも残念である。
 
 全国紙に堂々と掲載しているのに、「秘め」とは、冗談がきついのだが、問題は、記事本文にも、「リベンジ」、つまり、普通に英和辞書でrevengeを引くと、まず出て来る「復讐」とか「報復」と解される忌まわしい言葉で囃し立てているのである。
 
 どうも、ゴルフ界では、向上の糧は闘志しかなく、負ける度に屈辱を感じて報復の血祭りを誓わないといけないようだが、全国紙の記者が、そのような忌まわしい復讐の連鎖をかき立てて、未来ある若者に汚名を着せ、悪習の継承に加担するのは、どうかと思う。
 ゴルフ界にどんな伝統があるのか知らないが、悪しき伝統は、今日断たねば、若者が生涯担い続けて、次の世代、次の世代と繁殖し続けるのである。全国紙の記者たるもの、次世代に悪い言葉を伝えない護り人の使命があるのではないか。
 
 と書かれるのは、意味の定着していない流行り言葉のカタカナ語を言い立てるからである。記者が何を意図したのかわからないが、読者に伝わらない言葉遣いは、報道の使命を外れていると思う。
 毎日新聞には、全紙面を見張る校閲部門はないのだろうか。
 
 いや、以上は、一定期購読者の個人的な意見であり、何の権威も無いものだが、ご一考いただきたいという切なる希望を「秘めて」いるのである。
 

以上

2018年10月 9日 (火)

今日の躓き石 毎日新聞プロ野球戦評の愚

                       2018/10/09
 今回の題材は、毎日新聞大阪夕刊スポーツ面である。休刊日の夕刊であるから、実質上は、朝刊並の重さがある。また、ことは、全国紙の見出し付き署名記事であるので、遠慮せすに批判できるというものである。
 言葉遣いがどうこう言うレベルではないので、同意いただけないことも多いと思うが、あくまで、個人的な少数派の意見である。

 
 要は、阪神タイガースの今シーズン最下位が確定したことに対する毎日新聞としての総括的な批判であろうが、それにしては、随分程度が低いなと呆れるのである。
 
 まずは、「誰がこんな事態を予想したであろうか」との問いかけであるが、シーズン中盤、例えば、オールスター戦時点で、この結果を怖れていたファンは多かったものと思う。
 別に世論調査したわけではないから、これは当方の勝手な推測である。記者当人は、周辺のファンの意見を一切聞かないのであろうか。十人に聞けば、何人かは、不安を語っていたはずである。新聞記者として、不用意な発言と言いたい。
 監督の発言として、「現実は認めないといけない。ファンに申し訳ない」とされているが、現実を見ずにいたのは誰だろうか。
 確かなのは、シーズン通じて監督の高言を信じて来場していたファンにウソをついたことへの謝罪であろうか。大方のファンは、チームが勝つのを見たくて足を運んで、入場料を支払っているのである。
 これに対して、甲子園で大きく負け越したのは、「結果」などときれい事でごまかすべきものではなく、ファンに対する裏切りである。選手も、勝っているところを見て貰いたかった之ではないか。
 
 言い方は良くないが、この三年間は、素人目にも戦力が下り坂を辿り、元気なのは、救援投手陣と「ベテラン」二人だけと見えていたのである。
 記者は「歯車がかみ合わない」ときれいごとを言っているが、書かれているのは、若手投手が期待通り伸びなかったと言うだけで、それでチームが傾いてどうするのか、としか思えない。一番あてにならない歯車の一個が働かなかったのを上げて、他の歯車を論じないのでは、総括にならない。
 高卒二年目の投手に、シーズン通じての不出来な投手陣を代表させるのは、かわいそうではないか。まして、それで以て、チーム全体の不振と結びつけられては、たまるまい。
 
 救援陣が奮戦しても、打線が点を取れず、勝てなかったと軽く書き飛ばしているが、チームがとことん低迷した原因はそこにあるのではないか。
 続いて、「ベテラン頼み」が改善していないと言うが、実績十分で、他チームが怖れる二人は、一々年齢を書き立てなくても、十年先のチームにいないのは確実である。だから、いる間はチームを支えて貰うのが、順当な考え方であって、「ベテラン頼み」は、素人考えでは最善策である。
 

 それとも、高給取りの二人が外野に頑張っていると、若手が育たないので出場試合を減らせと言うのだろうか。二人はチームの主戦力で大きな比重を占めているから、欠場すれば、チームが非力になるのは、二人のせいではないし、二人に依存する戦い方のせいでもない。話の持って行き方が不細工で、お門違いである。
 
 最後に、監督発言を引用して、「全員がこの結果を受け止めて、来年のグランドで表現するしかない」と総括しているが、誰に結果責任を押しつけているのだろうか。
 期待通りに育たない若手を起用し続けている指揮官の不手際なのか、ファームが日本一になっているのに、一軍の戦力は最下位にとどまっている不体裁を言うのだろうか。「全員」と言い放っても、試合の場に出られない者達には、何の責任も問えないはずである。
 
 普通、プロスポーツチームの成績不振は、監督が一身に背負うべきである。
 いろいろ裏の重大な事情があって、そのように言えないのであろうが、以上の発言を聞いていると、見苦しい保身策に見える。
 
 結論として、当夕刊記事は朝刊記事でないので、このように大々的に書き立てるべきものではなく、単に戦評記事に止めるべきであり、記者の高説を述べたいのであれば、朝刊の場で、指揮官の責任に、きっちり言及すべきものと思われる。
 この対応は、全国紙の品格に欠け、ファンに対しても、チームに対しても、非礼の極みである。


 毎日新聞のスポーツ面が、不出来な最下位の結果とは言え、多くのファンに支持されてきた伝統あるチームのシーズンを総括するのであれば、その程度の見識を求められていると思うのである。
 
 毎度であるが、当方は、毎日新聞社の役員でも大株主でもないので、別に、以上の発言に何の権威も無いのである。
 
以上

2018年10月 1日 (月)

今日の躓き石 NHKBS-1の的外れ暴言 大谷のリベンジ

                     2018/10/01
 本日の題材は、NHKBS-1のMLB番組である。
 それにしても、MLBは、完全に英語の世界である。いい加減なカタカナ語は、通用しないはずである。
 
 そこで、ナレーターが、大谷選手がバーランダー投手からホームランを放ったのを「リベンジを果たした」と言い放ったのは、情けないと思った。
 
 大谷選手当人は、これで借りを返したとすら思わず、まして、敵を血祭りに上げたとは思っていないはずである。そんなことを言ったら、ひどい報復を受けかねないのである。合衆国大統領を嘘つきだと言ったイチローとは違うのである。
 
 加えて、打者は七割凡退するから、いくらリベンジしたくても、手が回らないのである。まして、対戦する投手は、数え切れないくらい多い。一々恨んではいられないはずである。
 そんな当人が思ってもいない野蛮な言い方を、野次馬根性で持ち出すのは、両選手の顔に泥を塗ったものである。ナレーター失格である。
 
 NHKは、いつになったら、問題用語を一掃できるのだろうか。さしあたっては、カタカナ語が口癖になっていて、暴言をやめられない悪い奴を追い出すことになるのかと、危惧するのである。
 
 いや、こう連日いやな言葉を聞かされると、気が滅入るのである。
 
以上

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