私の本棚番外 また毎日新聞の虚報か 淀川沿いに古墳時代集落跡
2018/10/29 10/30補筆
*砂上の楼閣
同遺跡は、発表者が淀川の中州だったと推定している場所で、三世紀にわたって存在していたと推定するのは、速断であり、ここに見える二つの推定は両立しないと見るのが、合理的な思考ではないか。
あるいは、中州というのが、学術的に正しいとしても、一般人の誤解を誘うことを期待したか、一種の誇張であり、淀川の分流の間に、比較的隆起して乾いた土地がたっぷりあったという事ではないか。常識的には、中州は軟弱で建物を建てるのに適していないし、橋のない中之島では、大変不便だと感じてしまうのである。
素人考えだが、学術的に中州というものの、普段は、何れかの支流はほとんど涸れていて、飛び石伝いかも知れないが、比較的自由に往き来ができたのではないか。そうでなければ、建材を持ち込んで建物を建てることすら覚束ず、そんな剣呑なところに、大勢住まうことはないはずである。以上は、あくまで、素人考えである。
素人考えだが、当時の人々が、財産と人命を集める建物を、水没の危険がある場所に建てるはずがないと見るものではないか。
*不当な時代比定
ついでながら、発表者の責任ではないが、三世紀前半が古墳時代であったというのは確たる権威がない推定であり一部論者が醸し点てている風評ではないかと愚考する。
素人考えだが、関西で考古学活動している限り、太った虎の尾は踏めないのかも知れないが、考古学では、出土物に紀年がされていない限り、西暦に固定した判断は控えるという良き伝統があったと思うのだが、どうなっているのだろうか。痩せて遺跡焼けした考古学者はいなくなったのだろうか。
*不出来な報道
と言うことで、公費で行った発掘事業の成果として、このような不確かな意見を、地方遺跡に対する推定として発表しているのは、ことの締めとしてまことに不適切と思われる。
藪から棒にコメントを求められた教授が、(三世紀にわたって)「安定した居住実態があったとは」(とても信じられない)と率直に述べているのは見落としてはならないと思う。
ちなみに、発掘調査の主体とされている大阪府文化財センターは、まだ上牧遺跡現地説明会資料を公開していないで、さしあたり毎日新聞記事に頼るしかないのである。