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2018年11月29日 (木)

資料批判 諸蕃職貢圖巻 「斯羅國」題記 清 張庚による模本 2-2

*内容確認
 題記は、あくまで、新羅使、そして、黒幕となっている百済使の勝手な言い分を記録に止めているだけで、反論も検証も無いから、史実の正確な反映と見ることはできない。

 題記の滑稽なところは、辰韓統一に成功して新羅と名乗ったのが、五世紀初頭であったのに、梁来貢するのに遅参した理由について、辰韓小国の時代はともかく、新羅國と大成した後も、大国倭の許しがないために遣使できなかったとしていることである。今般の新史実発見報道は、この馬鹿馬鹿しい言い訳に魅せられたようであるが、この内容は、大嘘である。

 倭の武王は、辰韓、新羅ら六カ国を統轄する将軍に任じられたことは夙に知られているから、新羅が、一時期倭に臣属したという言い訳の裏付けになるようにも見えるが、一方的で不確かであり、不参理由にもならない。

*梁の百済愛顧
 この時、歴代南朝に臣属している百済に従う遣使であるが、他ならぬ百済が朝鮮半島西岸の南半を押さえ、其の北半を高句麗が押さえて、半島西岸を封鎖していたので、東南部の小国新羅使節の南朝帝都建康行きは不可能であった。新羅と百済は、長年、半島中央の山地を越えて侵入抗争を繰り返し、新羅は百済の仇敵であることから、厳しく排斥されていたのである。

 ほかならぬ倭も、百済の興隆後は、諒解無しに半島西岸から中国沿岸への航行、南下を要する遣使ができなかったので、百済の敵国である新羅を随伴するどころでない。と言って、百済が新羅遣使を妨害したと中国側に知れると手ひどい制裁があるので、百済が新羅を連れて行く際、新羅に対して箝口令が出ていたはずである。

*評語
 つまり、この題記に書かれている、倭の指示に従い遣使を控えたという新羅の言い訳は大嘘である題記が、検証可能な原史料を反映していたと仮定しても、記事は虚構の塊であり、原史料が検証できない以上、当記事は、戯言というか、子供のいたずら書きである。それが史学のイロハである。

*結語
 労力を費やしたあげく、妄言流布の重罪案件を見たのである。

 このようなウソ記事(Fake)を無批判に信じる者は、不見識の素人であり、そのようなFakeを、史料批判を怠り、訳もわからないままにWikipediaのあちこちに書き立てるのは、恥晒しである。

 当該記事を削除編集することは可能だが、マナー違反でできないから、是非、考え違いを自覚して、記事を撤回してほしいものである。また、今後は、胡散臭い記事を、ここに公開しないように自粛してほしいものである。
                                以上

  史料出所 Internet Archives
 引用した資料は、著作権の消滅した公有著作物である。

 因みに、別項目の倭國題記は、衆知の正史記事の切り貼り細工であり、記事としては錯乱しているが、文字は既出のようである。

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