2018/11/27
*随想のお断り
本稿に限らず、それぞれの記事は随想と言うより、断片的な史料から歴史の流れを窺った小説創作の類いですが、本論を筋道立てるためには、そのような語られざる史実が大量に必要です。極力、史料と食い違う想定は避けたが、話の筋が優先されているので、「この挿話は、創作であり、史実と関係はありません」、とでも言うのでしょう。
と言うことで、飛躍、こじつけは、ご容赦いただきたいのです。
ここでは、倭人伝という著作物が、陳寿の編纂以来、どのように継承されてきたかという話を丁寧に説明することにします。というのも、世上あふれる議論の中には、別世界の知見に基づいて、誤った見方をしているかたが多いからです。別世界には、国内史料に馴染んだ人も含まれます。
□倭人伝の来た道 写本継承の話
*原本のかたち
長い中国の歴史で、「三国志」の編纂された時代は、既に、後漢時代に書物の素材として紙が登場してから久しく、政府の公式文書や経書などに紙に書写した文書が利用されていたと思われますが、いろいろ制約があって、全面的に紙文書にはなっていなかったものと思われます。
*簡牘と帛書
太古以来文書媒体として利用されていたのは、一つは、帛書、つまり、絹布に墨で書いた文書です。当然、絹布は高価で、貴重ですから、王族や政府高官など、高貴な人々の、特別な書面に利用されていただけでしょう。
帛書は、おそらく、今日の単葉紙、つまり、一枚物の用紙の使い方であり、とじ合わせて、多くのページを連ねることはなかったものと思います。却って、今日の広告チラシのような感じになっていたのでしょう。
それ以外の一般文書や律令文書は、一行単位の細長い短冊状の竹簡を並べて、革ひも綴じの巻物にしていたはずです。
*巻物の時代
今日、博物館展示などで紙文書の巻物を見ることかできますが、簡牘、つまり、木簡ないし竹簡の場合も、取り扱いや保管の点から、こうした紙巻物と同程度の太さになっていたはずですから、当然、一巻当たりの行数、つまり、簡牘の枚数は限られていても、今日刊行されている三国志が、全六十五巻となっているように、大変嵩張り、また、重いものになっていたはずです。綴じ紐の腐朽が早いことから、簡牘書物は、バラバラに散乱して出土しています。
余談:「歴博」(国立歴史民俗博物館)は、後漢書簡牘巻物の復元複製品と銘打った展示を行っています(2020年11月現在)が、根拠となる遺物がどこで出土し、どのように鑑定され、復元されたか、説明がありません。よりによって、范曄後漢書本体部全九十巻の内、卷八十五·東夷列傳第七十五倭伝部分が出土して復元されたとは、まことに神の配剤であり、疑うらくは、骨董品ならぬ現代工芸品と見えます。
*写本の時代~紙巻物の時代
三国志は、暫くして、写本されて紙巻物にまとめられたものと思われますが、短冊で構成した簡牘巻物と違って、紙巻物は、用紙を継ぎ上げて、全巻一枚にすることができるので、随分、身軽になったはずです。また、巻物を綴じ上げる腕の確かな職人が必要なので、「製本」ならぬ大々的な「製巻」工房が必要なのです。
また、読書家にとっては、貴重書の綴じ紐の切れる心配もないのです、難点は、紙が、紙魚に食われることでしょう。
三国志の善本の官制写本は、六十巻に及ぶ全文字を厳格に書き写すことから、よほどの権威がないと命じることはできず、また、要求される写本工の数と格から言っても、当然ながら官命以外ではできなかったでしょう。帝室書庫から取り出されて世に出た時代写本が、それほど厳格で無い写本を経て、世に広がっていったことでしょう。いや、この成り行きは、簡牘時代と同じなのですが、「製巻」が手軽になったことで、普及が広がっていったという事です。
ということで、各巻の伝、小伝目録が書き出されていて、需要に応じて、抄本が作成されたかも知れません。つまり、「倭人伝」の呼称は、他の多数の伝と同様に、写本工程で錯巻を回避するために用いられ、広く通じていたのでしょう。
*写本継承
他国の制度はいざ知らず、中国歴代王朝の官製写本からの写本継承は、原本をもとに作成された数少ない上級写本を種本として、階層状に書写され続けて、最後、末端の写本に至ったものと推定されます。かくして、三国志は、各時代「最善の努力で継承された」という視点で評価していただきたいものです。
もちろん、いかに厳格に管理に努めても、史料が変質することは避けられないのですが、「下位写本の誤記や改竄が帝室原本まで波及する」というような、現実離れした、無謀な議論は、よほどの根拠がない限り避けていただきたいものです。
*捏造、改竄、差替の幻夢~余談
なお、厳重に管理された貴重書の各巻が巻物になっている状態では、「一部差し替えは不可能」ですから、部分的に模造作成した改竄物を、隠密裏に紛れ込ますことは、不可能の極みです。門外不出の秘蔵書の紙質ぐるみの模造など、到底できるものではないのですが、仮に、万が一、模造できたとしても、ということです。
このあたり、現代人夢想家の妄想は切りがないのですが、古代国家の史料管理の手際を見くびってはならないのです。犯行が発覚すれば、共犯者同罪は当然として、それぞれの両親、妻子は無論、三親等以内の親族が全員刑死する重罪を、誰が企て、あるいは、同意するでしょうか。そして、何のために。
未完