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2018年11月23日 (金)

倭人伝随想 1 倭人とは何者か 2/3 

                    2018/11/22 追記 2020/12/14
*倭人渡海
 当時の様子を調べると、克殷、つまり、殷を滅ぼした周は、後の洛陽地域に、後の東都、成周を設け、時の成王が、東辺に雌伏する商遺民など不穏勢力を平定するために征東軍を率いて出御したと記録されていますが、その際、諸族入朝を命じた時のことのようです。

 先人は、この時、南方特産である鬯草を献じた倭人を、南の蛮夷と見ていますが、周代の倭は、既に東夷であったとも見られるのです。

 殷の出自である旧邦の商は、南方と西方の交易を中心とした、つまり、平和と協調を旨とした、穏やかな国でしたが、殷の遺民として討たれるのを避けるために、「倭人」の名の下に南海交易で得た亀甲、子安貝と共に、鬯草を貢献したかも知れません。

 そして、成王が長安付近の周都宗周に引き上げた後、周が封建した斉、魯の猛威を見て、殷一族と露見して討伐されるのを怖れて、小なりといえども、故郷を捨て異郷に移住したかも知れません。

*秦から魏へ
 秦が形骸化した周を滅ぼして記録を引き継ぎましたが、その秦も諸国の反乱で滅び、秦の記録は、いち早く秦都咸陽を接収した沛公劉邦の手に入りました。とは言え、周代来貢の倭人は忘れ去られたようです。
 武帝劉徹が朝鮮を滅ぼしたときも、海南に倭人探索したとしてもその形跡はありません。

 追記すると、この時、武帝の置いた四郡の所在地には、諸論あるようですが、半島南部を切り離している小白山地を越えた土地に所在していたとは思えません。後年、遼東郡が、支配下の楽浪郡を分郡し、帯方郡を新設したとき、そこは、荒地、つまり、郡政の及ばない未開地と書かれています。

*新の再発見
 二百年続いた漢を簒奪した新の創業、王莽は復古主義で、周礼を復興し、ました。その一環として、周に因んで、越人には、天下平定を称揚する白雉、倭奴には、鬯草のそれぞれ献上を命じたと思われますが、白雉献上はあったものの、鬯草献上はなかったのです。

 倭奴探索の余波として、海南に貨泉が伝えられ、大夫を貴人とする制が伝わったのは、周制が渡来したものと見られます。あるいは、周里、つまり短里は、この時、新たに施行されたのかも知れません。

*王莽改称癖
 王莽は、皇帝就職慶賀使招聘の際、「倭人」を一段貶めて「倭奴」としたとはいえ、倭奴は、特に蔑称ではなかったのです。当時、蛮夷格下げに邁進した王莽は、かって、漢が胸(匈)に徴を帯びる敵(対等勢力)「匈奴」に同格印章を渡し、一種尊称を許していたのを悪習とし、恭順する「恭奴」と改称、臣下印章を与えたものです。

 とはいえ、由緒正しい倭人は、一段貶められたと知らぬまま、倭奴として来貢することになりました。

 王莽は、帝国を簒奪した極悪人扱いでしたが、王莽が復興した周礼の多くは、「漢制」として維持されたのです。

                             未完

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