倭人伝随想 1 倭人とは何者か 1/3
2018/11/22
○随想のお断り
本稿に限らず、それぞれの記事は随想と言うより、断片的な史料から歴史の流れを窺った小説創作の類いですが、本論を筋道立てるためには、そのような語られざる史実が大量に必要です。極力、史料と食い違う想定は避けたが、話の筋が優先されているので、「この挿話は、創作であり、史実と関係はありません」、とでも言うのでしょう。
と言うことで、飛躍、こじつけは、ご容赦いただきたいのです。
□倭人とは何者か
*人族の由来
白川静氏の講演録「文字講話 Ⅰ」第三話「身分と職掌」に「周礼」が引用紹介されていて、某氏と呼ばれる「氏族」と某人と呼ばれる「人族」が、官名として列記されているのが見て取れます。「氏族」、「人族」は、当方が勝手に言うだけですが、ここだけの地域規格として諒解いただきたいのです。
当方の勝手な解釈では、「氏族」は、中国華夏文明の「氏」として認められている集団であり、尚書を解し、礼を弁える華夏文明の一員です。これに対して、「人族」は、氏として認められない蛮夷ですが、来貢して華夏文明に認知され、服属したものです。
ここでは、「人」は、周官制で定められた称号と解釈するのです。
*「倭人」の務め
人族の官名は職能を示しているようですから、「倭人」も、当時中原にはほとんどなじみのない稲作を司る、女性を担いだ種族と思いますが、周礼に倭人はないようなので、倭人が再来したかどうかは確かではないのです。どこでも、初見は記録するが再見以降は漏らされるのです。
周代記録に、「鬯人」はあっても、「倭人」はないようです。何れかの時に音信不通(「絶」)となって除名されたかと思うのです。封建され所領を得たら記録されたはずですから、正体も所在も不明とは、大した存在と認められてなかったようです。
*鬯草貢納
論衡に記録されている、周成王時の鬯草貢納とは、周礼儀式に必要な鬯草貢納の職能を割り当てられて、周に服属したことを言うのでしょう。周は、「倭人」を王朝儀礼の一職能に任じたかも知れませんが、職能を明記した青銅器の下賜はなく、鄙の蛮夷は記録を持たないために、二十年一貢程度の来貢すら維持できなかったかも知れません。
後の春秋時代、東周慶王の世に、斉桓公が、楚公に対して、周祭礼の苞茅貢納を怠ったと指弾しましたが、楚も、新参蛮夷の時、苞茅貢納職能を担うことで認知された由来を示しているように思います。
未完
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