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2018年12月11日 (火)

新・私の本棚 直木孝次郎 「古代を語る 5」 大和王権と河内王権 1/2

           吉川弘文館 2009年刊

 私の見立て★★★★☆ 必読        2016/12/11  2018/12/11 2019/01/29

*北進の道
 今回の著者直木孝次郎氏は、史学先賢の中でも「巨匠」と呼ぶべき大家ですが、ここでは単に「著者」と書かせていただきます。

 題名が示すように、本書は、日本古代史に関する著書であり、当プログ筆者の守備範囲外ですが、訳あって末尾の部分を題材にさせて頂きます。

 もちろん、書籍全体を読ませていただいたのですが、史書の追究はともかく、多数の遺跡、遺物の現地、現物を身をもって体験された結果の貴重な論考であり、謹んで敬意を表させていただきたいと思っています。

 さて、今回取り上げるのは、末尾も末尾、最後に示されたご意見です。

*地図の思想
 ここでは、天智天皇山科陵が藤原京の真北に存在しているように見えることから、これは、山科陵設営当時、意図してその位置に造営したのではないかという仮説を紹介し、現地踏査の結果、具体的な位置設定手段は確認できないが、この仮説は否定しがたいとの意見を述べているものと思います。

 もとになる仮説を提示したのは、藤堂かほる氏(「天智陵の営造と律令国家の先帝意識―山科陵の位置と文武三年の修陵をめぐって―」(『日本歴史』六〇二号1998年)」)であって、このように発表誌も明記されているから、第三者が原文を確認して、追試検証できるものです。

 また、発表誌を確認するまでもなく、著者の簡にして要を得た紹介があり、藤堂氏論拠である両地点を記載している国土地理院発行の二万五千分の一地形図二面をつきあわせた際の両者の位置関係が明記されています。

*実施(可能と思われる)方法

 さて、著者が藤田氏の提言を元に現場確認された際の意見を拝聴すると、両地点は、ほぼ五十五㌖を隔てていて、丘陵というか、山が介在して直視できありませんが、何らかの手段で山を越えて位置確認できたから、山科陵は現在の地点に設置されたのではないかと感じたと述解されています。

 ブログ筆者は、理工学の徒ですから、以下、推定を試みています。実地確認したものではないので、実行困難とのご批判はお受けします。

 筆者は、自身の良心のもとに、古代の世界に自分を仮想して、このような任務の実行任務を与えられたら、十分に実現可能であると判断するものです。

 基本的な認識として、いかなる光学機器も、単体では、見通しの利かない二地点間の方位を測定することはできないのです。いや、見通し可能であっても、五十五㌖先が視認できると思えないのです。

 そのような無理でなく、古代人であっても利用可能な道具類を使用し、数人の技術者とその何倍にも当たる人夫をある程度の期間動員して、全区間を細分化した区間を順次踏破すれば良いのです。

                           未完

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