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2018年12月11日 (火)

新・私の本棚 直木孝次郎 「古代を語る 5」 大和王権と河内王権 2/2

           吉川弘文館 2009年刊

 私の見立て★★★★☆ 必読          2016/12/11  2018/12/11

*具体的手段
 旗竿のようなものを利用し、藤原京から、逐次北上して参照地点をつないでいけば、最終的にそこそこの精度で目的地に到達できると思うのです。

 例えば、原点に立てた旗竿の真北に、二本目の旗竿を立てるのです。藤原京ほどの地点であれば、太陽観測によって、南北方向を得ていたはずです。区間幅を、旗竿の振り方で意思疎通できる程度にしておけば、特に通信機器がなくても、二本目の旗竿を一本目の旗竿の真北に位置決定できるのです。

 三本目以下の旗竿の位置は、先行二本の旗竿が真南の一直線上に見える地点に決定できますが、誤差が積み重なって方位がずれるのであれば、何本目かに一回、候補地での南北を太陽観測で決定し位置を確定すればよいのです。

 三本の旗竿が一直線上に並んだところで、最初の一本を北上させて行くという手法を順次採用すれば、目的地までに日数を要するものの、五十五㌖程度の距離であれば、そこそこの精度で真北に進むことができるのです。

 著者が気にしている途中の山の問題ですが、平地同様、随時見通す感じで北進していけば、特に困難なしに順次旗竿をたてて、真北に進めるはずです。

 経路上に登攀困難な高峰や対岸の見通せない大河や湖水があれば、そのような進行は不可能ですが、見る限り、克服可能な経路と思います。

 と言うことで、古代、先進光学機器も衛星写真もなくても、小数計算を含む十進数計算の思想がなくても、時分秒の時間計測概念がなくても、つまり、SI国際単位系に規定されたメートル法の単位系がなくても、この程度の距離と地面の起伏であれば、「一直線」に北進できると判断します。(愚考の一案です)

*謝辞・賛辞
 復習すると、藤田氏の叡知は、二万五千分の一地形図で見ると両地点が南北「一直線」上に見える、という発見に触発され、当時利用可能な手段で、藤原京のほぼ真北に山科陵を位置決定できたのではないかとの提言であり、こうすれば実現可能と読者側から手をさしのべられる真摯なものです。

 これをご自身の見識に照らして考証し、適切な理解と紹介を行われた著者は絶賛に値するものと信じるのです。

*失敗事例
 これまで、毎日新聞連載「歴史の鍵穴」論説を当ブログが批判し続けているのは、提示区間が途方もない長距離であり、時に、海上を延々と通過するから絶対不可能というのであり、論拠として掲載されている方位や距離の多桁数字が、現代の技術で測定された地形データを根拠無しに古代に適用し、無理で意味のない高精度計算を行う、と不法に不法を重ねているからです。

 要は、ここまで「地図妄想」と批判してきたのは、学術的に意味のない、本末転倒した主張を続けているためです。

*感慨
 豊富な知見と学識を有する先人が、ここに例示されたような合理的で、的確で、隙のない思考を行って見せてくれているのですから、虚心に見習うべきではなかったかと、歎くものです。

                               完

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