新・私の本棚 齋藤茂樹 技術と交通インフラを軸に古代史を再考する! 2-4
2018/12/09
私の見方 ★★★★☆ (必読級)
*為せば成る
但し、見解が分かれるのは、著者は、大変な困難があってもやるべきものが「やればできる」のであれば不可能ではない、との意見であり、当方は、一般人がとてもできないことは不可能である、との意見です。繰り返し繰り返し失敗しても、最後に辛うじて成功したら成功というかどうかです。
*修羅の如く
例えば、著者は、河川を荷船で遡行し最後に丘越えで山向こうに移すのは、大勢の船曳と陸上の修羅引きで克服できるから、陸運、荷役として成立するとしていますが、当方は、そのような難業は、継続して行うことができないから、業として成立しないと見ているのです。
*受け売りの陥穽
そうした理屈づけに、「海路」氏(『古代史の謎は「海路」で解ける』の著者、長野正孝氏をここではそう呼ぶ)の暴論に追従しているのも不審です。
荷船の峠越えを当然視するのは、過度の可能性論です。やればできるとして論じられていますが、古代人は、家族共々実生活を生きていたので、持続可能な方法で無ければ生業にならないのです。修羅で船の丘越えはできないことはないとしても、毎回それでは、人がもたない、船がもたないのです。
それ以外に、労苦の果てに半島に渡れたことをふまえて、大軍も渡海できると見ていますが、渡海拠点港の補給力、支援力には限界があり、白村江への大量の船舶の渡海は実行不可能な幻像に見えます。
*幻像君臨
「海路」氏流暴論の果てが、白村江幻像であるから情けないのです。虚像は、現実のものの見え方ですから、人それぞれ勝手となりますが、幻像には実体がないから、なんとも始末に負えません。
*石橋を叩いて
著者は、「海路」氏の主張を踏み台にするについて「石橋を叩いて」いるのでしょうか。私見ですが、「海路」氏は、著書に多年の実見に基づく知見を齎したとしていますが、実際は、一瞥で理解したつもりの、上滑りした空論に満ちています。
何しろ、古代存在しなかった「海路」なる単語で古代を解明するから、古代里程をメートル法で半端なく割りきるようなもので、古代になかった概念による考察は理屈から外れています。
著者が、同様の陥穽に陥ってなければ幸いです。いや、全体の堅実な史眼が、ここで迷走しているから、丁寧に批判しているのです。
未完
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