新・私の本棚 齋藤茂樹 技術と交通インフラを軸に古代史を再考する! 4-4
2018/12/09 2019/01/29
私の見方 ★★★★☆ (必読級)
*批評サンプル
具体的な批判を最後に述べます。
Kindle書籍には、ノンブルがないが、次の場所は、1 列島の地政学的位置と特異な地形「内陸の発展を担った河川と湖」の一部です。(Kindle の位置No.384). DEZAINEGGU-SHA. Kindle 版]字間スペースを削除)
その代わり交通面では、古奈良湖まわりの扇状地に河川が四通八達し、河内湖や巨椋池、琵琶湖までつながる水運が機能したのです。大和盆地が、標高三〇~一〇〇メートルと海面からさほど高くないことも水運が機能した理由です。
「水運が機能する」は要翻訳です。古代に「水運」はなかったし、無いものは、機能する、しないの論外です。「交通面」は、虚辞です。
古奈良湖があっても西部は山際で扇状地となれなかったはずです。
まして、河内湖、巨椋池、琵琶湖と羅列された湖沼は淀川水系で、古奈良湖と繋がっていないどころか、遠隔であり、最寄りの淀川支流木津川はなら山越えが必要であるから、水運が繋がるはずがないのです。
水運で肝心なのは、接する水面の広さでなく、船着き場を設営できる堅固な岸であり、船荷を貯蔵できる倉庫、上屋(明治新語)、そして陸送路です。後背市場がなければ買い手がなく荷下ろししてもしょうがないのです。「水運」の原動力は、琵琶湖由来の水量に恵まれ、急流の少ない淀川です。
古奈良湖について推察すれば、東方山並みから流れ込む水流はか細く、水運を支え得なかったと見られます。周辺に古代遺跡が乏しいのも見逃してはなりません。東岸扇状地は、遠巻きにされていたようです。
*大和盆地の遠隔性
大和盆地が、海面からさほど高くないというのは、上っ面の気休めでしょう。西方河内方面は、金剛・生駒の鉄壁に阻まれ、主要街道たる竹ノ内街道の奈良側は、延々たるつづら折れで、日毎の荷を背負って黙々と踏みしめる難路だったのです。わずか数㌖でも、峠まで往復が一日仕事でした。緑茶はないものの「峠の茶屋」で、背なの荷を交換して峠から担ぎ下りる「陸運」「幹線」と思われます。豪勢な後世用語を使うと、堂々たる大帝国の大水運、大陸運に見えますが、実際は、無数の草の根が支えていたのです。
*旧くて新しいつづら折れ
いや、竹ノ内越えは、実に最近まで、このつづら折れを利用していたのであり、新道が一直線に峠越えしたのは、そんなに昔ではないのです。
*木津川水運
「水運」などの時代錯誤は別として、木津川が平城京物流の「幹線」であったことには、木津「淀川流域盟主」説の当方は、大いに同感です。
完
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