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2018年12月26日 (水)

倭人伝随想 9 晋書地理志に周朝短里を探る 4/9 改

                    2018/10/26  2018/12/26 修正 2020/11/08

○周朝短里制への疑問
 さて、次に懸念があるのが、⑵の項です。いや、秦が短里を長里に変更したということも、議論が必要ですが、周の短里制がいかなるものだったか解明しなければ、秦里制を、議論しようがないので、後回しとします。

*晋書地理志に見る周朝制度

 周は、それまで中原を支配していた殷の覇権を奪って、王朝交代を実現したのですが、元々、西方の地方勢力だったので、統一国家を運営する組織も、制度も持っていなかったのですから、殷の制度、殷の官僚組織を継承しつつ、徐々に周の国家制度を組み立てていったものです。

*口分田制度(日本)

 参考となる口分田は、本朝律令では、「戸籍に基づいて六年に一回、口分田として六歳以上の男性へ二段(七百二十歩=約24㌃)、女性へはその三分の二(四百八十歩=約16㌃)が支給され、その収穫から徴税(租)が行われるとされていた。口分田を給付することは、人々を一定の耕地に縛り付け、労働力徴発を確実に確保できる最良の方法であった。」Wikipedia
 1㌃は、一片10㍍の方形の面積(百平方㍍)。

 少年少女以上の男女それぞれに支給されている点が、めざましいのです。

*井田制
 本朝の口分田のお手本となった周朝の井田制は、「中国の古代王朝である周で施行されていたといわれる土地制度のこと。周公旦が整備したといい、孟子はこれを理想的な制度であるとした。 まず、一里四方、九百畝の田を「井」の字の形に九等分する。そうしてできる九区画のうち、中心の一区画を公田といい、公田の周りにできる八区画を私田という。私田はそれぞれ八家族に与えられる。公田は共有地として八家族が共同耕作し、そこから得た収穫を租税とした。」 Wikipedia

*尺・歩・畝・里

 少し言い足すと、(中国)畝は、六百尺四方であり、一尺25㌢㍍とすると、一辺150㍍程度となり、およそ2.25㌃となります。縦横三個ずつ畝を並べた、井とも呼ばれる「里」は、一辺450㍍の正方形となります。つまり、距離としての一里は、450㍍となります。(あくまで概算です)

 「尺」は、時代によって異なったと知られていますが、多くの物差しに複製されて日常の経済活動に使用されるから、短期間に変動することはなく、長期的にも六倍に変動することはあり得ないのです。
 結局、記録に見る里は、おしなべて長里なのです。また、畝は、半永久的に継承される土地台帳に記載され、時代によって変動することはないと思われます。取り敢えず、周朝の短里制度は見えてこないのです。

 議論の詳細は、大変長引くので、別途説明します。

                              未完

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