新・私の本棚 白石太一郎 「考古学と古代史の間」 1/2
筑摩プリマーブックス154 筑摩書房 2004年
私の見立て★★☆☆☆ 参考のみ 2017/02/10 2018/12/10
*はじめに
本書を購読したのは、近年顕著な「古墳時代の開始吊り上げの主たる提唱者が、本書著者白石太一郎氏である」という風説を確認しようとしたものです。結論を言うとまさしくその通りで、著者は肯定的な確信犯だと言うことです。
言うまでもありませんが、当ブログ筆者の意見は、本書で公開されている論理の進め方に一般人として異論を唱えるもので、学術的な当否は対象外であり、まして、本書著者の権威を傷つけようとしているものではないのです。
*「考古学」と「古代史」の狭間
本書冒頭の述懐で、古代史分野と一般人が捉える学術分野は、「考古学」と「古代史」の、ずいぶん土台も筋道も異なった二分野に分かれていることが、素人にもよくわかるように、説かれているのです。
*議論の分かれ道
そうした前提が説明された後で、本書著者は、文献資料である魏志倭人伝の解釈と考古学の知見をすりあわせ、古墳時代の開幕を3世紀前半であると判断し、この判断に従うと、倭人伝の邪馬台国は、奈良盆地の一角ヤマトを本拠としたとの論理を述べています。この論争に良くある「決まり」主張です。
もちろん、その際に、先に述べた、考古学の見る遺物、遺跡は、他の遺物、遺跡との相互年代、つまり、どちらが古いか新しいかという判断はできるものの、「絶対」年代、つまり、西暦何年であるとか、中国のどの王朝の何年という断定はできない、という考古学への定評を克服したと主張するのです。明確な結論が端的に導き出されると言うことは、その形成過程が「結論」に向かう強い指向性を持って進められていたのではないかと思われるのです。
*自然科学的手法の限界
しかし、援用されている自然科学的時代判定は、どんなデータをどのような方法で検定したか明記されてないので一般論で批判するしかないのです。
言うならば、考古学の持ち分である遺物、遺跡鑑定でなく、自然科学の観点からの判定ですから、その判定は、自然科学視点で支配され、考古学の立場から責任をもって検証できないと思われるのです。つまり、本書著者が慎重に遠ざた文献史学の年代検定同様、「部外者」見解なのです。
当ブログ筆者の科学観は、そのような外部見解は、考古学者自身の見解形成に丸呑みして採用すべきでない、と言うものです。自然科学の判定が信用できないという話でなく、自身の学識および知見の範囲外のものは、(素人なりの)検証無しに受け容れるべきでない、というものです。
当ブログ筆者は、工学系訓練を受け、企業内で実務に携わり、場数はある程度踏んでいると考えてください。その背景から、科学技術的な測定と見解は、測定機器の高精度化とデジタル化によって、客観的なものと思われがちですが、実は、主観の影響を大きく受けると考えるのです。
未完
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