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2018年12月 1日 (土)

今日の躓き石 「バリアフリー」反対論への疑問 毎日新聞の不思議

                    2018/12/01
 本日の題材は、昨日の毎日新聞朝刊特集面の「毎日ユニバーサル委員会 第4回座談会」記事であるが、最後に出席者の一人である東洋大教授川内美彦氏が提言している内容に頑固に反対するものである。
 つまり、「バリアフリー」に関する言葉いじりが、感心しないことおびただしいと言いたいのである。

*カタカナ言葉幻想
 川内氏の提言は、桜井氏が世界標準と豪語した「アクセシビリティー」を丸受けしたせいか、大きな勘違いで始まっている。
 「バリアフリー」は、カタカナ六文字の日本語であり、日本語であるから、海外の用語、用法と違うのは当然なのである。
 日本には、「バリア」(バリアー?)なる言葉はなかったし、「フリー」と言う付け足しも希であったから、この六文字カタカナ語は、古くさい概念のつきまとわない新語であり、つまり、新鮮で、好感度が高かったと思うのである。要するに、日本語としての「バリア」「フリー」は、英語の語源、語義とほとんど繋がっていないのであるから、バリアの意義は日本独特である。
 ちなみに、桜井氏の言葉として、「ハードル」が見えているが、この言葉など、完全な誤解にもとづく誤用の典型的な事例であるが、いまや、日本語となっているので、止められないのである。

*When in Japan
 今回川内氏から聞かされた評判は、欧米、おそらく、イングランド風土のお高くとまった貴人の意見であろうが、ローマではローマ人に習うべきであるように、日本では日本文化について学んだ上で、日本語で批判すべきである。勝手に、英語文化の物差しで、悪口を叩かないでいただきたい。それにしても、川内氏が端的に断言するように、世界こぞって英語圏の指導に従って、「正しい」英語を使用しているのだろうか。

*A13Yの愚
 そして、川内氏が代替語として提案されている「アクセシビリティー」(提言のアクセシブルは、形容詞であって、扱いにくいのである)は、語源らしい英語を推定すると、意味の多い語幹を元にすえた、大変できの悪い二段仕掛けの派生語であり、漸く通用するようになった、耳に親しみやすい単語を、何故、こんなわかりにくい、官僚や技術者の作文を連想させる独善的な単語に置き換えるのか、しみじみ理解できない。
 いや、どんな英語を使うか英語圏の勝手、日本人の知ったことではないと言うなら言うが良い。その趣旨の反論は、すでに上に、日本人視点で書いている。お互い様ということである。
 この言葉の語源と思われる英語は、Accessibilityなる13文字の綴りが長すぎて、A13yと略されそうである。まことに人工的でわかりにくい言葉だから、それ故に、日常使われず、それ故に妙な既成概念、言葉に付いた手垢がないから、誤解が無いと言いたいのだろうが、日本人には、無縁のこじつけである。
 
*「メデイア」幻想
 川内氏は、最後に「メディア」の指導力について講釈して、毎日新聞の権威に期待しているようだが、引き合いに出されるような「メディア」は、とうに権威を喪失しているのである。昔、新聞界では、毎日新聞を代表とする全国紙、放送界では、公共放送であるNHKが、言葉の護り人としての権威を感じさせていたが、すでに、国民の過半には、そのような旧メディアから押しつけられる言葉でなく、自分たちの間で、適当に言葉をでっち上げる文化が増進していて、「メディア」は、感情的な反発による離反を怖れて、若者言葉、当世言葉に迎合しているようにすら見えるのである。いや、「メディア」の構成員自体、すでに、「メディア」の聖なる役割を忘れているようにも見えるのである。(毎日新聞にはコメントしがたいと思うので、一読者が勝手に言う)
 当方の考えすぎであれば、幸いである。

*日本文化の試み
 当方は、古典的日本語の信奉者であるので、英語に範を得たと思われるカタカナ語に、英語視点から難癖を付けられるのは好まない。別に、文句タレの子でもないし、孫でもない。日本語に関しては、大の大人である。
 川内氏も、「やさしい日本語」と語っているので、上に紹介した提言は、それに反しているように思うのである。生煮えのカタカナ語は、日本人すら、よほどの説明がないと理解できないのであり、更に、どこかの土中から掘り出したばかりの泥まみれのカタカナ語を導入する意図には、共感できない。この辺りの「理屈」が、身についていないのではないかと危惧する。
 川内氏が、どうしても「バリアフリー」を廃語としたくて代替語を求めるなら、受け売りのカタカナ言葉でなくて、伝統ある外国文化である漢字言葉を造語して、「平坦化」としたら良いと思うのである。
 平坦は、比喩である。でこぼこ、段差、躓き石、落とし穴のない世界にしようというものである。平坦化するものは、物理的、フィジカルなものに限らず、心理的、メンタルなものも含まれる、と言う程度の含蓄は込めてある。かなり「やさしい」「日本語」と思うものである。
 最初から、地域固有の言葉に翻訳していたら、英語常識の欠如を責められることは無かったのである。反対論だけでは済まないので、提案を添えた。 

以上

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